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Monday, December 17

政権交代の報せを受けて原理的なことを考えたくなる。たとえば今から90年前にウォルター・リップマンが導入した概念stereotypeについて。『政治学講義』(東京大学出版会)にある佐々木毅の明晰な要約をここで引用してみるならば、

ステレオタイプは「人間が見てから決定するのではなく、決定してから見るという傾向」に結び付いている。すなわち、人間は複雑で混乱を極める世界や環境に直面すると、自分の文化によって予め指定するところのメガネに従って一定の対象を選択し、それを知覚するのである。人間の心の中のステレオタイプが人間の思考や見聞を枠付け、人間はこうした形で現実を過度に単純化し、それを歪曲しながら知覚する。ステレオタイプは子供の頃から人間の中に定着し始め、人間の一生とほとんど不可分の関係にある。ステレオタイプの最大の意義は人間の努力を節約し、安心感を与えることにある。それによって、何を認識するか、何に関心を向けるかが自動的に決定され、安心できる世界が広がるからである。このように大多数の人間の判断や認識はステレオタイプを離れては考えられず、従って、変化する世界に対する適切な認識や判断が出てくるはずがないことになり、世論の非合理性は避けられないことになる。

とある。佐々木毅もつづけて書くように、リップマンの文章は民主政治に対する深い絶望感が漂っている。しかし問題は、絶望を全面的に引き受けたうえで政治学の検討は始まるということである。絶望から思考は始まる。おそらくは90年前の世界もそうだったように。ラジオから流れるクリスマスソングを聞きながらKindleに放り込んだリップマンのPublic Opinionをつまみ読み。なお、安倍晋三のモノマネがほぼ完成の域に達したことをここに報告しておく。

Saturday, December 22

バスに揺られる図書館からの帰り道、60代前後と思しき男二人が床屋談議といった風情で日銀批判をやっていて、雑音として聞き流せず辟易してしまう。日銀を批判するのは一向に構わないけれど、批判するなら齧りたての知識ではなく本気でやってくれないかな、と思ったりしながら帰宅。

それにしてもリフレ派の夢が安倍晋三でひらくとは一昔前には想像もしなかったことで、これまで辛酸を舐めまくってきたリフレ派にようやく出番がまわってきたという雰囲気だろうか。理論的にどれほど優れた業績を提出しようとも、感動的なまでに現実の経済政策決定には無力だった日本のリフレ派。でも数の上で圧倒的な勢力を握ることになる安倍内閣が勢いに任せてさらっとリフレ政策を実行してしまったら、かつて日銀の審議委員をやっていた中原伸之の孤軍奮闘は一体何だったんだろうという気もする(『日銀はだれのものか』中央公論新社)。ま、圧力に屈して日銀が態度をすんなり変えてしまうかどうかは興味ぶかいところだが、誤解と偏見にまみれたリフレ政策(とリフレ派諸氏は言ってる)が実現したら日本経済はどうなるんでしょうね! とさしあたり他人事のように傍観しておこう。ところで、安倍自民党圧勝によって日銀総裁の白川方明の立場がどんどん不憫な感じになっていて可哀想なので(あのいかにも学校秀才的な風貌が損をしている)、彼が日銀総裁に就任する直前に刊行された『現代の金融政策 理論と実際』(日本経済新聞出版社)を図書館で借りてきた。この本、英語文献を日本語に翻訳することなくそのまま引用していたりとまったく読者に親切じゃないところが好き。