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Monday, April 16

『僕らのヒットパレード』(片岡義男、小西康陽/著、国書刊行会)を読んでいる。片岡義男と小西康陽の対談と、それぞれのエッセイ。版元は国書刊行会で編集は樽本周馬。片岡義男と「アメリカ」の関係はいつも興味ぶかくみているのだが、それはそうと対談で小西康陽が、

片岡さんもすごい量の原稿をお書きになっていたでしょう。片岡さんが読んでらっしゃらなければいいと思うんですけど、僕はそのことを日本のアンディ・ウォーホルって書いたことがあるんですよ。

と述べたのに対する片岡義男の返事が、

アンディ片岡ね。

いや、そういうことじゃないんじゃないか。アンディ片岡ってなんだ。何事もなかったように対談は進んでゆく。

夜、パスタ。蛤とパプリカと玉葱とほうれん草とベーコンを和えて。赤ワイン。

Tuesday, April 17

『僕らのヒットパレード』のつづき。

自分は身内や親しい友人との会話の中では「オレ」というのが自然なのだが、ときどきクラブやパーティーなどでそう口にすると面喰った顔をする人がいる。過日、週末のパーティーが立て続けにあったときは、何人かの女性に「コニシさんて、オレっていうんだ」と言われ、「似合わない」とさえ言われた。

夜、白米、梅干し、豆腐と油揚げの味噌汁、レタスの胡麻油和え、キムチ、焼き魚(ホッケ)、レモン、ビール。

Wednesday, April 18

通勤の読書はジャン・ジオノ『丘』(山本省/訳、岩波文庫)。雑誌『プレジデント』が読書の特集を組んでいるというので本屋でぱらぱらと立ち読み。教養のない者らによる教養主義のはしたなさを思う。夜、イエローカレー、コロナビール。

Thursday, April 19

『建築の大転換』(伊東豊雄、中沢新一/著、筑摩書房)を読んでいたら、ニューアカ全開『雪片曲線論』(中公文庫)所収の「建築のエチカ」が補論としておさめられていて面食らう。

チベット人の建築思想には、建築が自然のプロセスに還元できない、なにか超越的な秩序にしたがおうとする生のスタイルを反映したものであることが、はっきりと意識されている。建築はユークリッド幾何学的な「理性」をその手段として、怪物的な自然のかたちの隠蔽や去勢のうえになりたっているのだ。仏教寺院はそういう建築物のモデル中のモデルとして、もっとも単純明快な自然数の原理をもとにして作られている。ところが、ここにこまったことが起こる。仏教寺院の方はそれでよいかも知れないが、その中で説かれ修行される仏教思想の方は、建築という行為に反映されているような「理性」をラジカルにのり越えていこうとしているからだ。そこでは、なにかの超越的なものをもとにしてこの世界を階層化し、秩序づけるような生のスタイルを捨て、いかなる超越も否定した徹底的な内在性の哲学が展開されていたのである。
チベットの仏教寺院の内部が、そういうものが嫌いな人にはほとんどグロテスクとさえ思える色彩やかたちで埋め尽くされているのは、仏教寺院という建築物のかかえる、このようなパラドックスをのり越えようとする努力と深い関係があるのだ。そこには、人間のグラフィック表現が、ユークリッド的な幾何学のような「理性的手段」を放擲したときに、どのような空間やかたちが現われてくるかという問題に対する、ひとつの解答のようなものがしめされている。寺院の内部を「都市化」すること。これがチベット仏教の選んだ道だった。

とつらつら書き写していると、中沢新一の抜群の文章力にあらためて感心するとともに、「そういうものが嫌いな人」であるじぶんの近代主義者っぷりを再認識させられたり。

夜、鮭のまぜご飯、油揚げと豆腐の味噌汁、ほうれん草のおひたし、キムチ、胡瓜と味噌、鰺のひらきを絞ったレモンで、ビール。

Friday, April 20

大和田俊之『アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(講談社選書メチエ)は従来の固有名詞を中心としたよくある記述、つまりは「ロマン主義/モダニズム的な歴史観において、「作品」は単一の「作家=アーティスト」と結びつけられ、傑出した作家の羅列そのものが芸術ジャンルの〈歴史〉を構成する」という語りにかわって、文化史的な方法論で編まれたアメリカ音楽史。歌は世につれ。夜、定時で帰ってお寿司とビール。

Saturday, April 21

午前7時、パン屋にバゲットを買いにいく。朝食後、読書。保坂和志の書くもの、とりわけエッセイという部類にいれられるものを読んでいると、あまたの共鳴とあまたの反感が頭のなかを駆けめぐり渦を巻くのだが、『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』(筑摩書房)で共感したのは、

勤め人時代、同僚がよく「××部の△△課長がちょっと相談があるって言ってるんだけど、おまえも来てくれよ。」と言ってきて、私が面倒くさいからイヤだと答えると、「飯喰わしてくれるってさ。」と言うのだが、そのたび「飯ぐらい自分の金で食う。」と言ったものだ。国と国との外交でも、昼食会とか晩餐会とか、どうしてそんなに食べ物につられるのか。

というくだり。あるいは、

読者が想像するように私は一般に相当面倒くさいと評される現代文学しか読まず、それ以外の、たいていの人が「おもしろかった。」「一気に読んだ。」と褒める小説が退屈でくだらなくてしょうがない。

というくだり。

昼、白米、油揚げと葱の味噌汁、焼き魚(鰈)をレモンと醤油で、牛肉とパプリカとパセリの炒めもの、野沢菜、ビール。外出、銀座の「ヴァニラ画廊」で「エクスリブリス・コンチェルタート 日欧幻想蔵書票展」。会社で展示内容をパソコンで確認しようとすると「トレンドマイクロ」の閲覧制限にひっかかってしまう「ヴァニラ画廊」。銀座線で表参道に移動して「スパイラル」で「細倉真弓個展 KAZAN」。「青山ブックセンター」に立ち寄り、夕食は近くの中華料理店で。食後いちじるしく体調が悪化したところで「シアターイメージフォーラム」のレイトショー(『メランコリックな宇宙 ドン・ハーツフェルト作品集』)。

Sunday, April 22

髪を切り、買いものを済ませ、昼、白米、梅干し、油揚げと豆腐の味噌汁、卵焼き、野沢菜、キャベツの胡麻油和え。岸本佐知子の訳書を二冊。ショーン・タン『遠い町から来た話』(河出書房新社)とジョージ・ソンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』(角川書店)を。

「何たることだ」リック大統領はその日の夕方を心待ちにしていた。サプライズで民にエクレアを配り、十四行詩(ソネット)をひねってみよと提案するつもりでいた。
だがリック大統領は自国の民をよく知っていた。たとえ何個エクレアをふるまわれようとも、今の彼らには、後ろ髪ひかれるような陰気なソネットしか作れないだろう。(『短くて恐ろしいフィルの時代』)

というくだりにぐっとくる。夜、温かいうどん、柚子と大根おろし、小松菜と葱、茹でた鶏肉をのせて。野沢菜、沢庵、ビール。食後、廣瀬純『蜂起とともに愛がはじまる 思想/政治のための32章』(河出書房新社)を読む。映画論ミーツ新自由主義批判。