Monday, April 2
大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ 3・11後の哲学』(岩波新書)。大澤真幸の本を読んでいると、どこで「第三者の審級」オチがやってくるのかばかりが気になってしかたがない。そのむかし『批評空間』だったかで、岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房)の刊行にあたり催されたシンポジウムの模様を読んだら、なんでもかんでも「第三者の審級」というじぶんの理論に回収してしまうことに浅田彰がいささか呆れ気味だったと記憶しているのだけれど、それからもう十年くらい経過してもなお継続は力なりの格言を愚直に実践するかのように大澤真幸はずっと「第三者の審級」を唱えつづけている。
夜、白米、ネギの味噌汁、秋刀魚の塩焼き、大根おろし、野沢菜、ビール。
Tuesday, April 3
横浪修が撮影した春めいた表紙の『装苑』5月号(文化出版局)を読んだら日傘作家のひがしちかが出ている。このあいだ『クウネル』にも出ていた。
Wednesday, April 4
パヴェーゼ『流刑』(河島英昭/訳、岩波文庫)はどこか既視感ただよう読書で、物語の三分の一あたりを経過したところで『パヴェーゼ文学集成』(岩波書店)を以前に図書館で借りて既読だったのに気づくというひどい記憶力。夜、『二十四時間の情事』(アラン・レネ/監督、1959年、フランス/日本)を鑑賞。
Thursday, April 5
ワシーリー・グロスマン『人生と運命』第2巻(斎藤紘一/訳、みすず書房)を読みはじめる。
Friday, April 6
わたしはきっとフェイスブックをやらないだろう。それは人脈を豊富にすることで人生が豊かになるというイデオロギーに与しないという単純な理由で、そもそも「友達」を必要としない。これまでも必要としなかったしこれからも必要としない。人それぞれで多少の意味合いの齟齬はあるだろうがいちおう世間一般にこれまで日本語で流通してきた「友達」という言葉。そう呼ばれる類の「友達」ですら必要としないのであるから、いわんやフェイスブックの「友達」をや。ごく偶に半年だか一年だかに一度、密度の濃い会話のできる相手がいるのは愉しいことかもしれないという事実を否定するつもりはないけれど、しかしながら友達の存在は絶対だとは思わない。友情から遠く離れて。むかしラジオでゴンチチのゴンザレス三上が人間が嫌いで動物は好きだという話をしていたけれど、親しむのであれば動物のほうがずっとよい。
友情を求めるのは人間の本性である。人々と友情を結べない人は、犬、馬、猫、ネズミ、クモといった動物と親しむことになる。(『人生と運命』)
Saturday, April 7
外岡秀俊『3・11複合被災』(岩波新書)を読んでいたら、最後のほうで「行方不明」というものの喪失の深さを伝えている。しかし例として引き合いにだされている旧満州から引き揚げた人の話が強烈すぎて、「3・11」の衝撃がやや霞んでしまうのだった。週末のギャラリーめぐりは銀座から原宿そして青山へ。「杉本博司 Five Elements」(ギャラリー小柳)、「ポーラミュージアムアネックス展 2012 華やぐ色彩」(ポーラミュージアムアネックス)、「NAOKI写真展」(シャネル・ネクサス・ホール)、「マグナム・フォト創設65周年記念 マグナム・コンタクトシート」(リコーフォトギャラリー)、「さわひらき Lineament」(資生堂ギャラリー)、「片岡義男×堀江敏幸写真展」(トーキョー カルチャート by ビームス)、「Monkey’s Books & Grooves」(タンバリンギャラリー)、「北島敬三 ISOLATED PLACES」(ラットホールギャラリー)、「CHANEL リトルブラックジャケット写真展」。
Sunday, April 8
早朝の中目黒で目黒川沿いの桜を賞翫してから、渋谷の「イメージフォーラム」で『ニーチェの馬』(タル・ベーラ/監督、2011年、ハンガリー/フランス/スイス/ドイツ)を鑑賞。はじまる前に「イメージフォーラム」傍の「スターバックス」で細野晴臣の本『分福茶釜』(鈴木惣一郎/聞き手、平凡社)を読みつつ映画の公式サイトをみたら、細野晴臣がコメントを寄せていた。夜、白米、梅干、豆腐と油揚げの味噌汁、万能ネギと生姜をのせた冷や奴、ちくわと胡瓜、ほうれん草のおひたし、焼き魚(かます)、ビール。