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Monday, March 5

画家を志そうとする者への教育的、啓蒙的な助言が満載のロバート・ヘンライ『アート・スピリット』(野中邦子/訳、国書刊行会)を読んでいると、

進化をめざす人類の闘いは、いまだ継続中である。
全方位を視野に入れた研究が大事だ。
新たな預言者やいかがわしい預言者を恐れないように。出かけていって発見せよ。未来はきみの手にある。

と、絵画どころの話でないあまりに風呂敷広げすぎな壮大な展開に。解説は滝本誠。夕ごはん、あさりとほうれん草とベーコンとパプリカのパスタ、ビール。夜、『バグダッド・カフェ』(パーシー・アドロン/監督、1987年、西ドイツ/アメリカ)を見る。

Tuesday, March 6

通勤電車で穂村弘『絶叫委員会』(筑摩書房)を読んでいる。車内には相当数の乗客がいるので「おんなちんこ」と題されたエッセイを迷惑防止条例違反にならぬようそっと飛ばした。夕食、白米、辛子明太子、葱の味噌汁、秋刀魚の塩焼き、野沢菜、キムチ。コロナビールを飲みながら、名古屋の「シマウマ書房」で購入したガストン・バシュラール『水と夢 物質の想像力についての試論』(小浜俊郎・桜木泰行/訳、国文社)を読みはじめる。バシュラールの本は書名がかっこいい。『空間の詩学』とか『火の精神分析』とか『夢みる権利』とか。

Wednesday, March 7

唐木順三『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(ちくま学芸文庫)を読む。会社からいちばん近い本屋はいかにもオフィス街のなかにある書店という趣なので、物体としての書物がどれほどあろうとも本の濃度とでもいうものが残念ながら皆無。しかしながらそれでもかろうじて文芸誌は平積みにされてあって、平積みにされているだけでましという評価を与えるべきかもしれないが、ともかくそこで会社の昼休みの寸暇を盗んで『文學界』4月号(文藝春秋)掲載の松浦寿輝東京大学退官記念特別講演「波打ち際に生きる 研究と創作のはざまで」を立ち読み。夕食、白米、ごま塩、キャベツのスープ、鯖とパプリカと葱とベーコンのグリル、ミニトマト、ビール。『ああ結婚』(ヴィットリオ・デ・シーカ/監督、1964年、イタリア)を鑑賞。

Thursday, March 8

小沼丹『更紗の絵』(講談社文芸文庫)を読む。「こんな所を学校にして、生徒が来るかしらん?」とくれば小沼丹。夕餉は、蟹と卵のタイカレー、ビール。

Friday, March 9

『みすず』3月号(みすず書房)を読む。夕食、白米、辛子明太子、葱の味噌汁、ほうれん草のおひたし、冷や奴、キムチ、鯵の干物、ビール。

Saturday, March 10

曇天模様の横浜で「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」(横浜美術館)。鑑賞後、「ニューヨークグランドキッチン」でハンバーグを頬張りながら松井冬子について討議。新宿に移動して今月いっぱいで閉店する「ジュンク堂」を訪れたら、六本木の「青山ブックセンター」でもう取り扱いはしていないですと言われ、新宿の「ブックファースト」で置いてないので取り寄せになりますと言われ、ようやく渋谷の「ナディッフ」で見つけて購入した『アルセーニイ・タルコフスキー詩集 白い、白い日』(前田和泉/訳、鈴木理策/写真、エクリ)が、新宿の「ジュンク堂」には面出しで6冊ほど平然と置いてある。夜、『昨日・今日・明日』(ヴィットリオ・デ・シーカ/監督、1963年、イタリア)を見る。

Sunday, March 11

「あれから一年」という膨大な言葉と映像の氾濫から逃れるようにこの日にふさわしい歌はなんだろうとなんの気なしに考えをめぐらせて、二階堂和美の「歌はいらない」はどうだろうと思ったりしたけれど、それよりむしろぴったり嵌ってしまうのはTHE 虎舞竜の「ロード」だ。大震災からちょうど一年後の言説としてそれはふざけているのかと詰問されればふざけていなくもないと応じざるをえない「ロード」発言であるが、そうした不謹慎を咎める雰囲気に抵抗してでも公言しておかなくてはと思うのは、「ちょうど一年前に この道を通った夜 昨日の事のように 今はっきりと想い出す」というこのあまりにぴったり嵌ってしまっている感どっぷりの冒頭の歌詞である。自宅までの道のりを歩いて帰った者にとって、この日のための歌だといっても過言ではない。午後、散歩と買いものと読書。ジャン・ボードリヤール『芸術の陰謀 消費社会と現代アート』(塚原史/訳、NTT出版)、『混成世界のポルトラーノ』(管啓次郎、林ひふみ、清岡智比古、波戸岡景太、倉石信乃/著、左右社)、『UP』5月号(東京大学出版会)を読む。夜の食卓、鮪とかんぱちの海鮮丼、人参と豆腐の味噌汁、ビール。