Monday, January 30
鴻巣友季子『全身翻訳家』(ちくま文庫)を読了。夕食、豚肉、大根おろし、万能葱をのせた温かい蕎麦、ビール。
Tuesday, January 31
渡辺靖『文化と外交 パブリック・ディプロマシーの時代』(中公新書)を読了。夕食、ビーフシチューと半熟卵、キャベツとコーンとミニトマトのサラダ、赤ワイン。ワインのあけ口が硬くて試行錯誤した結果、親指から血がでる。赤ワインと鮮血。
Wednesday, February 1
如月のはじまり。
オートバイ事故で唐突に不帰の客となったテオ・アンゲロプロスの追悼文を日本でしたためる者として、まずはあたまに浮かぶのは池澤夏樹かもしれないが、ヴィム・ヴェンダース、ダニエル・シュミット、ビクトル・エリセ、そしてテオ・アンゲロプロスらを『季刊リュミエール』誌上において「73年の世代」と名づけた人の固有名もまた当然想起せざるを得ないわけで、その人が追悼文を「読売新聞」に寄せているのを知って、会社の昼休みの寸暇をつかって図書館に赴き昨日の朝刊を確認してみたならば、すぐ隣には松浦寿輝が東京大学退官にあたりおこなった講演の模様が記事として掲載されており、なにやらすこぶる表象文化論的な紙面が展開されている事態を目にしたのだった。
夕餉にカレーをつくる。牛肉と人参と玉葱。辛口。夜、加藤久和『世代間格差 人口減少社会を問いなおす』(ちくま新書)を読了。ちくま新書は書名に「問いなおす」とつけるケースが結構ある気がして、Google検索で「ちくま新書 問いなおす」と入力してみた結果を眺めても、やはりちくま新書はやたらと問いなおしたがっている気がしてならないのだが、それはさておき、経済学者の書くものには独特の「癖」があり、慣れている者にとってはさして気にならないものなのだが、おそらくは経済学者自身もあまり意識していないかもしれないその言語運用のせいで、余計な誤解を招いている、損をしていると思うことがしばしばある。たとえば本書において、
子どもは社会の宝であるというように、子どもはその親や家族だけのものではなく、社会全体にとっても有益な存在である。子どもの数が減少すれば、労働力の減少や社会保障制度の持続可能性に影響を及ぼすことになる。そうした意味で、子どもは公共財的な性格、あるいは正の外部性を持っているとみなすことができる。すなわち、子どもが増えることで社会全体に便益をもたらすのであれば、子どもを育てるコストを社会全体で分担すべきということになる。それが少子化対策や家族政策が行われる理由である。
なんていう記述は、子どもの大切さについて語っているはずの文章であるにもかかわらず、「有益な存在」や「公共財的な性格」や「正の外部性」という語彙で子どもを表現すると、どれほど書き手に悪気はなくても(実際ないのだが)、経済学者って「冷徹」という印象を与えてしまうのではないかと思ってしまう。
Thursday, February 2
杉本博司『空間感』(マガジンハウス)を読む。
私は美術品とは光を受け続けて美しくなるものだと思っている。現代美術もいつかは古美術になる。まずは時代の評価に生き残り、次に時間の試練に耐え、光に晒されて、そして戦争や天変地異の災害からも遁れ、そうして生き残ることができた美術品に、作品の重みのようなものが付与されるのだ。美術品を美術館の暗い倉庫に幽閉して、光を当てずに劣化する時間を止めてしまおうという考え方は、時間に対する人間の傲慢だと私は思う。
夜の食卓は鱈とほうれん草のペペロンチーノ。
Friday, February 3
節分。『一冊の本』3月号(朝日新聞出版)は、連載ものに目をとおせば、金井美恵子がジェロニモついて延々書き、鹿島茂が小林秀雄について延々書き、橋本治が相変わらずの話を延々書くというなんだかよくわからない広報誌になっているが、小熊英二が今月号に寄せている
いまでも旧世代の運動経験者のなかには、脱原発運動がいつか連合赤軍事件のような過度の倫理主義を生むのではないかと考えている者もいるようだが、もはや社会状況も当事者の意識もちがうのだ。
という文章にふれて、ああそういえば積読になっていた『脱原発「異論」』(市田良彦、王寺賢太、小泉義之、絓秀実、長原豊/著、作品社)を読まなくてはと思ったのだけれど、こんな思い出されかたをしたら著者らは不快かもしれないが。夕食、白米、葱の味噌汁、万能葱と生姜をのせた冷奴、秋刀魚の塩焼き、大根おろし、大根の漬物。
Saturday, February 4
立春。飯田橋で下車、「東京日仏学院」で「カプリッチ・フィルムズ ベスト・セレクション 先鋭的であること:映画批評の現在とは」のなかから『労働者たち、農民たち』(ストローブ=ユイレ/監督、2001年、フランス/イタリア)を鑑賞。ストローブ=ユイレのファンで会場は押すな押すなの大盛況かと予想して座席の確保に不安をおぼえたのだが、行ってみたら観客はまばら。123分の「苦行」を終え、「ミヅマアートギャラリー」で「オ・チギュン展」。飯田橋駅ちかくの「hive cafe」で遅めの昼食ののち、少しばかり神楽坂を散策。古本と文房具・雑貨の店「クラシコ書店」に立ち寄り、鉛筆と古本を買う。山田和夫『エイゼンシュテイン』(紀伊國屋新書)。1964年の本。「紀伊國屋新書」なんてものがあるのを初めて知る。日が暮れて日本武道館近くの「成山画廊」で「松井冬子大下図展」を鑑賞。渋谷に移動し、夕食は広島風お好み焼き。ユーロスペースでレイトショー、『騎手物語』(ボリス・バルネット/監督、1940年、旧ソ連)。ここ最近のレイトショー通いに疲弊してしまい行こうかどうしようか迷ったものの蓮實文体全開の「1985年にボリス・バルネットを発見することの恥ずかしさと喜びについて」(『映画狂人万事快調』、河出書房新社)の扇動に背中を押されて駆け込んだのだが、駆け込んだかいのあった爽快な作品。
Sunday, February 5
雑事、雑事。夜の食卓は鯖寿司、葱の味噌汁、鯖の西京漬、キャベツと胡瓜とコーンとミニトマトのサラダ。夜、ストローブ=ユイレの映画を二作品、『アン・ラシャシャン』(1982年、フランス)と『ロートリンゲン!』(1994年、ドイツ/フランス)を鑑賞。安眠。