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Monday, December 12

薄ぼんやりと私の記憶の残滓としてあった内田樹がそのむかし書いていたある事柄について正確に確認しようと図書館で『「おじさん」的思考』(晶文社)を借り出してみたものの、ぱらぱらとページをめくってみても目当ての該当箇所は本書に存在せず、その代わりといってはなんだが

先日、東京大学の先生とその話(引用者注:最近の若い人たちは「古典」や「外国文学」を読まないという話)をする機会があった。その先生の授業で、「これまで読んだことのあるフランス文学の作品の書名を書け」というアンケートをしたら、中にひとこと「カフカ」と書いた学生がいたそうである。
すると横にいた某私立大学の同じフランス文学の先生が「ははは、冗談じゃない。そんな程度で嘆かれては、こちらの立つ瀬がありません」と応じた。その先生のゼミでは、学生たちが自分の研究したいテーマを書いて提出するきまりなのだが、そこに専攻研究テーマとして「カミュトルとサル」と書いてよこした学生がいたそうである。
「カミュトルとサル」。作り話では出せない暴力的なリアリティを感じる。

という秀逸なくだりが目にとまったのだった。似たような話として、爆笑問題との対談で中沢新一が話していたことに、ニューアカデミズム全盛期に浅田彰の『構造と力』を『構造とか』といった学生がいたらしいことを思い出す。『一冊の本』(朝日新聞出版)を読む。

夜ごはん、白米、梅干、蛤と万能葱の味噌汁、秋刀魚の塩焼き、大根おろし、ひじきの煮物、もやしのナムル。

Tuesday, December 13

山田奨治『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』(人文書院)を読む。日本の著作権業界にみられる傾向を「被害の過大な見積もり」「強い保護だけ横並び」「権利を主張しないと損をするかもという疑心暗鬼」とまとめ、権利者側への批判的分析を施したもので、著者の見解は明快。ところで、『キャンディ・キャンディ』の著作権帰属をめぐるトラブルにふれた箇所があるのだが、『キャンディ・キャンディ』の正式な表記が『キャンディ♥キャンディ』であるために、文中何度も「♥」のマークが登場する事態に陥っていたのが印象ぶかい。見開きページがうっかりファンシー。

夜ごはん、鰆と葱のうどん。

Wednesday, December 14

『みすず』(みすず書房)と『UP』(東京大学出版会)を読む。読みさしだったルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』(野口良平+那須耕介+石井素子訳、みすず書房)のつづきも。夜ごはん、タコライス、もやしとコーンビーフのコンソメスープ。

Thursday, December 15

どれだけ読んでも咀嚼できた気のしない『失われた時を求めて』をまた読んでいる。終わらない読書。夜ごはん、茹でた豚肉と万能葱たっぷりの醤油ラーメン。

Friday, December 16

荒川洋治『昭和の読書』(幻戯書房)を読む。

いまは読まれなくなった丹羽文雄についての過去の議論を持ち出され、退屈な人もいるかもしれない。でも、いま読まれないもののなかに、実はいまという時代を照らしだすものがあるのだ。また、「どんな素材でもどしどし小説にする」ことができる小説家ばかりになった平成の現在、これは、中村光夫によって過去のひとりの作家が批判されているだけの話ではないように思える。丹羽文雄ほどの才能はないのに、丹羽文雄気取りの作家が続々と現れて量産をつづけるのがいまの世界なのだ。またそうした作家ばかりだから、この遠い話は、いまは経験できないものについての話なのだ。

夜ごはん、白米、葱と人参の味噌汁、鰺の干物、大根おろし、万能ねぎの冷や奴。

Saturday, December 17

東野翠れん『イスラエルに揺れる』(リトルモア)を読む。背伸びのない知性と感性。いい本でした。夜ごはん、蛤とほうれん草とトマトのパスタ。

Sunday, December 18

水谷周編『アラブ民衆革命を考える』(国書刊行会)を読む。夜ごはん、中村屋のビーフハヤシ。