16


Monday, September 26

木原善彦『ピンチョンの『逆光』を読む 空間と時間、光と闇』(世界思想社)。帰宅途中に複数の針で内側から刺されるような腹痛に苦しみ帰宅後もしばらくのたうちまわる。なんとか夜ごはん、お粥、卵、焼き魚(鰤)、大根おろし、蒸し南瓜。

Tuesday, September 27

午前中に病院。パリエット錠20mg、ビオスリー配合錠、ムコスタ錠10mg、ブスコパン錠10mgを処方される。ブコスパンの副作用として眼の調節障害(物がだぶって見えたり、目のかすみ、異常なまぶしさ)を起こすことがあるというのを知って、

往来の両側に立つてゐるのは大抵大きいビルデイングだつた。僕はそこを歩いてゐるうちにふと松林を思ひ出した。のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖やし、半ば僕の視野を塞いでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失せる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。(芥川龍之介「歯車」)

を思い出したりするなど。ブコスパンにより腹痛は改善。が、物がだぶって見えたり歯車が見えたりはしないものの劇烈な頭痛に襲われた。

夜ごはん、白米、葱の味噌汁、蒸し南瓜、蒸し人参、生姜冷奴、焼き魚(鰺)、大根おろし。本棚から栃折久美子『モロッコ革の本』(集英社文庫)を抜きとる。「着替えをして、コーヒーをもう一杯いれて、今夜はもうしばらく起きていよう」というくだりに誘惑されるものの体調が回復するまで珈琲は飲めない。届いた『装苑』十一月号(文化出版局)をぱらぱら。

Wednesday, September 28

『八本脚の蝶』(ポプラ社)のなかで二階堂奥歯が

私は図書館派なので読んではいるけど持っていない本がとても多い。買った本:借りた本=1:390くらいではないだろうか。

と書いていて、なにゆえ 1:390 という比率なのかいまいちよくわからないものの私もおなじく図書館派なので借りてばかりいるのだけれど、自宅の本棚にもそれなりの本があってそれも未読のものもたぶんに含まれているのだからそれらをちゃんと消化しなくてはということで通勤前に蓮實重彦+武満徹『シネマの快楽』(河出文庫)を鞄につめた。このあいだ下高井戸シネマで観た『フィツカラルド』についてジャン=マリー・ストローブが

もしキング・ヴィダーの映画をすっかり見てたならば、『フィツカラルド』のような映画は絶対撮れないだろう。船が山の上に登っていくところがありましたね。あんな発想をして、あんなところにキャメラを置いて、映画にならないということがわかるはずだ。

とボロクソ言っていることを知る。ところで蓮實重彦が

それからいまの日本ではやっとアメリカ文化というものに対する理解ができたけれど、アメリカ映画だからという侮蔑的な雰囲気というのはずいぶん長く続きましたね。だから、アメリカ映画が好きだなんてことは、ある時期までは公言しなかったんじゃないですか。いまだからヒッチコックは素晴らしいといって電話をかけられるけれど、あの当時だったらちょっとそういう雰囲気ではなかったという気がします。

と述べるのだがそれはいったいどんな電話だろうかと思う。もしもし蓮實ですけど。ヒッチコックは素晴らしいんです。ガチャ。

夜ごはん、葱と卵をいれた温かいうどん。明日の内視鏡検査のため、以後飲食なし。

Thursday, September 29

病院。超音波検査と内視鏡検査。内視鏡は想像よりも楽だった。さしあたり胃も肝臓も大きな問題ないという診断。ムコスタ錠10mg、ガスターD錠20mgを処方される。内視鏡検査での麻酔の影響でふらふらのち睡眠。

寝起きに四方田犬彦『ゴダールと女たち』(講談社現代新書)を読む。「女たち」とは、ジーン・セバーグ、アンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジェーン・フォンダ、アンヌ=マリ・ミエヴィル。「岡崎京子と一九九〇年代の思い出に」捧げられた本書を読みながら、一九九五年の『現代思想』(臨時増刊号、総特集=ゴダールの神話、青土社)に掲載されている岡崎京子の描いた「ゴダールまんが」というカラー四ページのことを思い出して本棚から抜き出したり、あるいは四方田犬彦によるアンナ・カリーナへのインタビューで、彼女は出演したゴダール作品でどれが一番好きかをこたえているのだが、

もし一本を選ぶなら『気狂いピエロ』かな。でもそれは今日のことで、明日になれば別の一本を選んでいるかもしれないけど。

とあるけれど、『現代思想』とともに本棚から抜き出した『E/Mブックス2 ジャン=リュック・ゴダール』(エスクァイア・ジャパン)に収められた鈴木布美子によるアンナ・カリーナへのインタビューを確認してみるならば

好きな映画を1本選ぶことはできないわ。

とあって、たしかにアンナ・カリーナは日によって言うことがちがう。

夜ごはん、白米、ほうれん草の味噌汁、蒸し南瓜、鱈の西京焼、大根おろし、しらす。『悲しみよこんにちは』(オットー・プレミンジャー監督、1957年、アメリカ)でジーン・セバーグの姿を鑑賞。『ゴダールと女たち』によると、

『聖女ジャンヌ』と『悲しみよこんにちは』という二本のプレミンジャーのフィルムは、興行的には失敗し、批評家にも散々の不評であった。ところがここに奇特な例外がいて、二年連続してその年のベストテンに両者を入れた。それも『悲しみよこんにちは』にいたっては、ベスト3の一本にである。それがフランスで若手批評家として頭角を現そうとしていたジャン=リュック・ゴダールという青年であった。

Friday, September 30

朝、珈琲を挽く。きょうの読書は今福龍太『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)。

音楽は夜をおのずから内蔵し、夜の闇もまた音楽を孕んでいる。

いつもながらの馥郁たる香り立ちこめるような美文のオンパレード。しかしこれは諸刃の剣だと思うのは、今福龍太の書くものは文の流麗さに酔いしれていまい肝心の「論」が霞んでしまうことがなきにしもあらず。

夜ごはん、牛肉と葱の温かいうどん、蒸し南瓜、デザートに桃。届いた『一冊の本』(朝日新聞出版)十月号を読む。以下、金井美恵子「小さいもの、大きいこと」より。

4月5日の紙面には囲みで「雨ニモマケズ」の全文が載っていて、改めて読めば、この宗教的禁欲が、ファシズムと同根の戦前の日蓮主義的内容を、被災者に向けて朗読するというのは、気が狂っているとしか私には思えないし、ジョン・ダワーのように「雨ニモマケズ」をボランティアの若者の献身的精神に結びつけるのも、これではボランティアがまるで設立された当時のフランチェスコ修道会のようで、常軌を逸していかにも非現実的だし、戦後の日本史はともかく、戦前の宗教とファシズムの歴史に無知なのだろうとしか思えない。

Saturday, October 1

ラジオのち食料品と日用品の買いだし。近所にオープンした花屋でサーモンピンクのバラと花瓶を購入。開店記念のプレゼントとして小さな鉢植えの多肉植物(テクタ)をもらう。新宿へ。損保ジャパン東郷青児美術館で「モーリス・ドニ展/いのちの輝き、子どものいる風景」。絵画の制作年を確認してみるならばベル・エポックから第一次大戦後まで。ところがならべられた作品から伝わるのは戦争など起こらずにずっと「よき時代」が続いていたかのような錯覚。戦争をまるで意識させない絵画を前にして戦争のことを考えていた。

新宿ブックファーストをひやかしてから多摩川花火大会。小田急線の登戸駅から田園都市線の二子玉川駅方面にむかって河川敷の草叢をひたすら前進するというどこかのパルチザンか私は、という戦略をとったために、綺麗に打ち上がる花火に向かってざくざく歩いてゆくという奇妙な花火鑑賞と化す。聞こえるのは花火の音と人の歓声と鈴虫の鳴き声。

自宅にもどって夜ごはん、鶏肉と葱の温かいうどん、梨。胃と食道を悪くしてから水と烏龍茶ばかり飲んでいるのだけれど私が食事どきに大量の水や烏龍茶をがぶ飲みするため酒を買うより毎日お金がかかっている。本日、体調はだいぶ回復基調。

Sunday, October 2

図書館で本を返したり借りたり。新宿ツタヤでDVDとVHSをレンタルし、ふらりと伊勢丹。フォーナインズで眼鏡の調整をし、服をみたり靴をみたりで時間が経過。代々木上原に移動して古書ロスパペロテス。小西康陽『ぼくは散歩と雑学が好きだった。』(朝日新聞社)を購入。千代田線で表参道駅。裏路地を歩いて OMOTESANDO KOFFEE へ。カプチーノを注文。食べたいと思っていたお菓子は残念ながら売り切れ。飲み歩きながら COW BOOKSで開催中の「little press fair 2011」に向かう。スパイラルで「棚田康司展/○と一(らせんとえんてい)」。夜ごはんは蕎麦屋で。