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Monday, August 15

読売新聞に掲載された『ヒロシマ・ナガサキ コレクション 戦争×文学 19』(集英社)の書評で朝吹真理子がつぎのように書いている。

人類に自滅を選ばない意志があるのであれば、もうこれ以上、原子力エネルギーを使いつづけるべきではない。この最悪の事故を契機に、原子力開発は永遠に終わってほしい。全54基が止まり、二度と稼働しないことを強く望む。そういう未来がおとずれてはじめて66年前を振り返ることができる。まだ「ヒロシマ・ナガサキ」の渦中に我々は暮らしている。

ここで朝吹真理子の所説の妥当性については問わない。さしあたり脱原発という話うんぬんはわきにおき、終戦記念日に掲載された朝吹真理子の書評がどうにも気にかかるものとして屹立するのは、11日の朝刊に載っている「読売緊急提言」と題された社説と意見が真っ向から対立するものであるからで、いまここで引用を厭わずに社説を確認してみるならば、読売新聞社の論説委員は、

電力不足と超円高のリスクを回避するため、多くの企業が工場を海外に移転する動きを加速させると国内産業は空洞化する。日本経済の土台が揺らぎかねない。そうした衰退を防ぐには、まず原発の安全性を確認したうえで、国の責任で原発を順次、再稼働させていくべきである。太陽光、風力、地熱などの自然エネルギーの普及を目指す方向は正しいが、直ちに主要な電力源になることは期待できない。政府は原子力を活用しながら、現実的で最善のエネルギー政策を追求しなければならない。

と書くのであり、朝吹真理子の書く原子力発電所が「二度と稼働しないことを強く望む」とは相容れない。「原子力開発は永遠に終わってほしい」と「国の責任で原発を順次、再稼働させていくべき」の距離は遠い。ここで思い出すのは2001年のアメリカ同時多発テロが起きたとき、臼杵陽の原稿が読売新聞でボツになったという話で、ボツの理由が社の編集方針に合わない、つまりは社論に反するというものだったのであるから、読売新聞社はこんなにもわかりやすい社論に反する朝吹真理子の書評をなにゆえボツにしないのだろうと不思議に感じるのだけれど、10年の時をへて読売新聞社は社説の主張と逆であっても外部の執筆者の原稿は文句をつけずに掲載するようにあらためたのだろうか。あるいはもしかすると、「ちょっと前に出てきた若い女の作家」が社論に反する何かを書いたところでどうということはなかろうという「社の編集方針」が働いたのかもしれない。

夕食、ピザとビール。食後にモーリス・メルロ=ポンティ『知覚の哲学』(菅野盾樹/訳、ちくま学芸文庫)。本文より訳注のほうが長い。

Tuesday, August 16

お盆休みの終焉。歴史の終わり、近代文学の終わり、夏休みの終わり。個人的にもっとも心理的衝撃が大きいのは最後の「終わり」。

夕食、味噌ラーメン、ビール。

Wednesday, August 17

大竹昭子『彼らが写真を手にした切実さを 《日本写真》の50年』(平凡社)を途中まで。

夕食、グリーンカレー、ビール。『家庭』(フランソワ・トリュフォー/監督、1970年、フランス)を鑑賞。

Thursday, August 18

大竹昭子『彼らが写真を手にした切実さを 《日本写真》の50年』(平凡社)のつづき。

夕食、白米、味噌汁、鯵の干物、ビール。

Friday, August 19

藤原聖子『教科書の中の宗教 この奇妙な実態』(岩波新書)。日本でのキリスト教の紹介のされかたを参照すると、キリスト教をめぐるキーワードが「愛」という言葉に力点が置かれすぎており「苦」が欠けていると指摘したうえで、

クリスチャンによっては、『パッション』という映画が象徴しているように、イエスの生涯を語るうえでこの語は中心的である。日本の教科書で学んだ高校生は、この「パッション」を受難ではなく「情熱的な愛」と訳してしまうのではないだろうか。

とあるのだが、それは高校生じゃなくて戸田奈津子のことではないか。

夕食、小松菜のパスタ、サラミ、白ワイン。

Saturday, August 20

CDのレンタルをしようと御茶ノ水の「ジャニス」に向かう。いつもはCDばかりに気をとられて見落としていたけれど、この店のビデオとDVDの品揃えもよくわからない事態になっていて、アレクサンドル・ソクーロフの作品が何本もあるのはどういうことなのか。

夜、「アテネ・フランセ文化センター」での特集「ジャック・ロジエのヴァカンス」のうち、『メーヌ・オセアン』(1985年、フランス)を鑑賞。カレー専門店「エチオピア」で夕食。帰宅後、ジャック・ロジエのDVD-BOXが今年の10月末に発売されるのを知るのだけれど、例によって発売元は「紀伊國屋書店」で、例によって福沢諭吉の紙幣が飛んでゆく価格設定で、いいものを出してくれるものの高価すぎて手をだせないという意味において、「紀伊國屋レーベル=みすず書房」というアナロジーを呈示したい。

Sunday, August 21

雨の降るなか陸の孤島、「東京都現代美術館」へ。いつもの清澄白河駅からではなく気分を変えて木場駅から向かってみるものの、やはり遠い。「名和晃平 シンセシス」展を鑑賞。併設の「Cafe Hai」で昼食。ベトナム料理。美術館をあとにしてバスに揺られて東京駅まで。「丸善」で珈琲と本の物色。

夕食、寿司、味噌汁、もやし炒め、ビール。佐藤文隆『量子力学は世界を記述できるか』(青土社)を読む。