and more の悲哀

「音楽フェスのコマーシャルで、ずらずらと参加する有名ミュージシャンの名前を列挙したあと、最後、その他大勢という意味で and more と言うでしょ」

「エーーーン、モア!! っていうナレーションですね。ラジオ聴いているとしょっちゅう耳にします」

「日本でフェルメール展が開催されると、あのナレーションを思い出してしまう。フェルメールの作品が日本に来ると、フェルメール以外のオランダ絵画がいつも一緒に来ますよね。あれを観るたびにいつも and more の声があたまのなかで響く。フェルメール展って、あたりまえだけど主役はフェルメールで、フェルメール以外の作品ってあんまりスポットライトが当たりませんよね。言葉は悪いけどおまけみたいな感じで。フェルメール作品を飾る展覧会はだいたいフェルメールとその仲間たちという構成なんだけど、「仲間たち」と一括りにされる立場はちょっぴり切ないものがある。and more の悲哀ですよ。フェルメールばっかりちやほやしやがって、と思ってますよ、きっと」

「and more の面々が。今回の展覧会のテーマって「手紙」なんですよね? 「フェルメールからのラブレター展」というタイトルがついてるし。会場で説明を読んだら、オランダは当時識字率の高かった地域で、手紙によるコミュニケーションの文化がいち早く開花したと。で、素朴な疑問なんですけど、手紙の文化ってそんな最近のことなんですか? 日本の歌詠みとか考えても、手紙の文化が興隆したのが17世紀というのはずいぶん遅いんだなーとびっくりしたんですけど。本当?」

「んー、さあー、どうだろー? 調べてみないことにはなんとも。ただ今回、「手紙」っていうテーマ設定は少し強引な気もしましたけどね。というか、学芸員も困ると思うんだよね、フェルメール展が開催されるたびにどういう企画趣旨でやればいいか考えるのは大変なのでは。フェルメール展ってどうしたって、まずフェルメールの作品ありきだから。お客もフェルメール目当てで来るわけだし。フェルメールを掲げている展覧会ってフェルメール外しちゃうと、超地味な展覧会になってしまう。今回はフェルメール絵画が3作品。それと and more の絵画で構成されているという毎度のパターンです。手紙だけに限定するのではなくて、もう少し大きなくくりで「識字」とでもいえばいいのか、読書する人物の絵がずらりとまとまって展示されてましたけど」

「説明を読むと “「手紙」というツールをその一つの題材に、様々な場面でのコミュニケーションのあり方に注目しています” とありますが……」

「でもさ、17世紀オランダ絵画の手紙だとか本だとかに関係する作品が並んでいて、and more 作品はそういうのがたくさんあったんだけど、なぜそうなったかといえば、今回来たフェルメール作品が手紙に関係しているからでしょう(《手紙を読む青衣の女》《手紙を書く女》《手紙を書く女と召使い》)。まずフェルメールの女性が手紙を書いたり読んだりしている絵があって、そこからテーマ設定をしている気がする。で、それから and more の面々を招集したのかな?」

「うーん、とってつけたようなテーマかな、と会場でちょっと思って、でもこれは言っちゃいけないかなーと思ったんですが……」

「言っちゃいましたね。フェルメールが展示されていた部屋は贅沢なつくりでしたよね。広い部屋に3作品のみ展示という」

「しかもフェルメールの絵だけ背景が赤にしてあって、もうこれは貴重な絵画なんですよ! とアピール全開でした」

「実際貴重なわけだけど。でも、ま、フェルメールの絵画って好きなんですけどね」

「実はわたしはそれほどじゃないんですけど、フェルメールの魅力ってどのあたりなんでしょうか? 以前、何かのテレビ番組で、フェルメールの光のとらえ方がほかの画家とはいかに異なるかということを詳しく解説してくれていて、なるほどなーとは思ったのですが」

「個人的なフェルメールの思い出としては、学生のころ『フェルメール論 神話解体の試み』(小林頼子/著、八坂書房)を本のサイズとか把握しないまま図書館で予約したら、カウンターでバカでかい本を渡されて、家にもって帰るのにものすごく難儀したことですね」

「フェルメールの魅力を語ってないですよ、そのエピソード」

「いやいや、多少は関係あって。『フェルメール論 神話解体の試み』ではじめてフェルメールに関する「論」を読んだんだけど、フェルメールについて論じている人ってたくさんいるんですね。いろいろ研究されてる。今回の展覧会でフェルメール以外の作品って、でてくる人物の表情がちょっと変な顔してたりするでしょ。酒飲んで酔っ払ってたり。醜悪な表情をしているのは寓意ですよね。悪徳をたしなめる意味を込めて。きちんと家事をする女性たちを描いたりしているのも、これもまたある種の寓意になってたり。でもフェルメールの絵に登場する人物たちって、そういうわかりやすい寓意とはちがって、温和な、おだやかな顔をしてますよね。フェルメールが自身の作品にどれほどの「意味」を込めているのか図りかねるところがある。だからこの点は論者によって見解がけっこうちがうんですね。フェルメールの絵に性的な意味合いが込められているという人もいて、あるいは逆にそういう説を否定する人もいる。研究者によって意見はさまざま。作品数が少ないというのがまた謎めいた魅力を引き立ててるし。分析しがいのある画家なんだと思います。構図も細かく調べると緻密なことをやっているのがわかるし、使っている顔料もまた凝ってたりするし」

「研究者の腕がなるという話はわかるんですが、大衆的な人気もすごいですよね、フェルメールって。あれはどうしてでしょう?」

「ん? さあー? 綺麗で穏やかな感じだからじゃないの?」

「えー、そんな印象派の人気みたいな理由?」

「大衆的な人気の理由はよくわかりませんが。and more の話に戻るけど、フェルメール以外の17世紀オランダ画家の名前ってまったく憶えませんね」

「今回の展覧会でもちゃんと詳しく説明してくれているんですけどね」

「and more の悲哀ですよ。名前を憶えてもらえない。われわれが憶えようとしてないって話もあるけど」

「つぎのフェルメール展ではすっかり忘れてます」

「フェルメールってオーケストラでいうところの指揮者だと思う」

「指揮者?」

「熱心なファンじゃないかぎり、オーケストラの指揮者の名前はわかっても楽団員の名前なんて知らないでしょ。それと似てるかなあと。フェルメールが指揮者で、フェルメール以外の and more が楽団員。フェルメールと同時代を生きたオランダ画家であっても、テーマと関係しない場合は呼ばれない。今回の展覧会でいうと、手紙や本に関連する絵を描いていないと出番がない。オーケストラでも指揮者がある曲をやると決めて、たとえば今回はある楽器の出番がないとしたら、その演奏者の人は来なくていいよ、という感じでしょうか。でも展覧会でフェルメールはいなきゃ困る。フェルメール作品が出品取りやめになったらその展覧会がっかりでしょう。オーケストラでも指揮者が交代になったら観客はちょっとなーと思うはずで」

「あ、じゃあ、バンマスですね、フェルメールは」

「バンマスだったか、フェルメール」

2012年3月4日 山手線車内にて ( 文責:capriciu )