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Monday, October 12

朝の音楽、Westerman「Your Hero Is Not Dead」とCartalk「Pass Like Pollen」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、トマト、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、お弁当。晩ごはん、鶏肉とソーセージと人参と玉葱のポトフ、くるみパン、赤ワイン。

筒美京平死去の報せ。残業。読書。インゲ・シュテファン『才女の運命 男たちの名声の陰で』(松永美穂/訳、フィルムアート社)を読む。会社帰りに本屋で『FUDGE』11月号(三栄)を買う。夕食をとりながら聴いた、6人の弦楽器奏者からなるLes Pléiadesというユニットの、ベートーヴェンの交響曲第6番とシェーンベルクの「浄夜」がよかった。

Tuesday, October 13

朝の音楽、Nate Mercereau「Joy Techniques」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、ベビーリーフとイタリアンドレッシング、トマト、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、お弁当。晩ごはん、白米、白菜とほうれん草の味噌汁、辛子明太子、絹ごし豆腐とキムチ、鯵のひらき、シャインマスカット、麦酒。

残業。読書。岩波新書を二冊。アンドレアス・レダー『ドイツ統一』(板橋拓己/訳)と小池和子『カエサル 内戦の時代を駆けぬけた政治家』を読む。

Wednesday, October 14

朝の音楽、Meridian Brothers「Cumbia siglo XXI」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、ベビーリーフとイタリアンドレッシング、トマト、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、お弁当。晩ごはん、茄子とトマトとほうれん草とベーコンのパスタ、麦酒。

読書。ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』(木下眞穂/訳、白水社)を読む。映画。『白い恐怖』(アルフレッド・ヒッチコック/監督、1945年)を見る。

Thursday, October 15

朝の音楽、Chad Lawson「You Finally Knew」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、トマト、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、豚肉と小松菜をのせた温かいうどん。晩ごはん、白米、しめじと小松菜の味噌汁、辛子明太子、しらす、鯵のひらき、麦酒。

読書。カリ・ファハルド=アンスタイン『サブリナとコリーナ』(小竹由美子/訳、新潮社)を読む。

Friday, October 16

朝の音楽、Jónsi「Shiver」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、トマト、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、ポークビンダルー。晩ごはん、ソーセージとキャベツと鯖缶の洋風チャーハン、赤ワイン。

読書。ジャン=ジャック・ルソー『ルソーの戦争/平和論 「戦争法の諸原理」と「永久平和論抜粋・批判」』(ブレーズ・バコフェン、セリーヌ・スペクトール/監修、ブリュノ・ベルナルディ、ガブリエッラ・シルヴェストリーニ/編、永見文雄、三浦信孝/訳、勁草書房)を読む。映画。『ヒズ・ガール・フライデー』(ハワード・ホークス/監督、1940年)を見る。

Saturday, October 17

朝の音楽、Goldmund「The Time It Takes」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、トマト、ミルクブレッドとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、焼豚とゆで卵と小葱をのせた醤油ラーメン。晩ごはん、鶏肉とうどんと白菜と小葱の鍋、麦酒。

一日中雨が降る。体調を崩しかねない冬のような寒さ。読書。『伊丹十三選集 2 好きと嫌い』(中村好文/編、岩波書店)と『伊丹十三選集 3 日々是十三』(池内万平/編、岩波書店)を読む。伊丹十三の次男である池内万平によれば、伊丹十三のジェンダー観は現在の視点からするときわめて真っ当だったようだが、しかしながらそれが教育的身振りとして子供にうまく伝わるかどうかは別の話であるよう。

子供が生まれる前後、伊丹さんは精神分析や育児論、男女論などに関心を持ち、色々と調べていた時期でした。この選集には収録されていないのですが、同じころの雑誌インタビューで、次のように語っています。

僕はね、テレビなんか子供が見ているやつを、片っ端からそばでけなすわけ。っていうのはね、そういうのに出てくる女の子っていうのはひどいわけよ。完全にヒステリーとして描かれてるわけね。やっぱり男は大したもんだ。判断や行動は全部男にまかせて、女は「女らしく」おとなしくしてりゃいいんだって話に−−もう、これは必ずなってる。そういうのを見てね、けなすわけよ。絶えず吹き込んでないとね、男と女っていうのはああいうもんだと思っちゃうからね。(『セサミ』1977年秋号 婦人生活社)

これは雑誌向けに話を大げさに言っているのでもなんでもなく、実際に私がテレビでアニメなどを見ていると、容赦のない野次が後ろから飛んでくるのでした。
たとえば、ヒーローが敵を次々と倒して大活躍、というような場面では次のように。
「こういう作品を小さいころから見せることによって、“男らしさ”というものを子供に刷り込んでいるんだろうなあ。腕っぷしの強い男が偉いっていうわけだ。で、お前はそれを見ているわけだが、面白いかね?」
と、一事が万事そのような具合。こんな圧迫面接めいた状況でテレビ番組を見ていて、楽しいわけがありません。結果、私はいわゆる子供番組であるアニメや特撮などを、ほぼ見ないまま成長していきます。
今となっては伊丹さんの言わんとしていたことも理解できますし、「男らしさ」「女らしさ」という尺度にあまり拘泥しないよう教育されたのは、むしろ幸運だったとも思えますが、小さいころの私には、単に「よくわからないけれど子供番組を見るのを親に邪魔された」という思うばかりが強く残されました。
そして、長じて一人暮らしを始めた途端、何かを取り戻さんばかりの勢いで、当時放送されていた子供番組やアニメを、面白いかどうかは問わず、朝から晩まで録画してまですべて見るという生活を半年続けることになるのですね。
これから子育てをされる方には、男女平等を教えるにしても、伊丹さん方式はお勧めできないとお伝えしておきます。何しろ抑圧の反動が凄かったので。

Sunday, October 18

朝の音楽、Derrick Hodge「Color of Noize」を聴く。

朝ごはん、目玉焼き、ベーコン、サラダほうれん草とイタリアンドレッシング、トマト、くるみパンとクリームチーズ、ヨーグルト、珈琲。昼ごはん、鶏ハムとサニーレタスとチーズのサンドイッチ、珈琲。晩ごはん、鶏肉と長葱の蒸し餃子、卵とわかめの中華風スープ、麦酒。

銀座遊弋。メゾンエルメスで「ベゾアール(結石) シャルロット・デュマ展」を見て、無印良品でお茶を買って、UNIQLO TOKYOで花を買って、久世福商店で調味料を買って、ルミネのUNITED ARROWSでベルトを買う。銀座の街はそれなりに賑わっていた。外国人観光客を見かけないほぼ日本国内在住者と思われる人びとで賑わう銀座。