Monday, May 13
忙殺の日々は本日をもって、いちおうひと段落。ぽっかり空いてしまった午前中の時間、いくつかの雑誌をめくる。ルシアーナ・ソウザをボーカルに迎えたYellowjacketsの「Raising Our Voice」をイヤホンで聴きながら、『BRUTUS』『Casa BRUTUS』『POPEYE』『GINZA』『FUDGE』『CLUÉL』などに目をとおす。
執筆した論考における捏造と盗用が判明して、大学を懲戒解雇となった深井智朗の文章を、この日記で過去二度ほど引用している。問題となっている該当の箇所ではないとはいえ、捏造と盗用を繰り返していたらしい人物の文章を疑いもなく好意的に引用しているものだから、わたしの書く文章もまったく信用できないことにお墨付きを与えてくれているようで心強い話であるが、引用したものを再度読んでみたところ、この箇所に問題があるかどうかはわからないが、岩波書店や中央公論新社の校閲をくぐり抜けたくらいなので、述べられていること自体はまともである。まともなだけに、不気味である。架空の神学者カール・レーフラーなる人物をでっちあげてしまうというのは、ほとんどある種の「病」を疑ったほうがよいかもしれなくて、人文系の論文において、他論文からの盗用やデータの捏造はありがちな話だが、人物の捏造にはふかい闇を感じる。
晩ごはん、白米、茗荷としめじの味噌汁、豚肉の油炒めと焼肉のタレ、もやしの塩胡椒炒め、スナップエンドウとかつお節のゆずポン酢和え、ビール。
熊谷徹『観光コースでないベルリン ヨーロッパ現代史の十字路』(高文研)を読む。ベルリンを旅する前に読んでおくべきだったような気もするが、旅したあとに読むと、それはそれで理解に奥行きが生まれる。
Tuesday, May 14
朝、BBCのラジオニュースでドリス・デイ死去の報せ。
晩ごはん、メカジキの白ワイン蒸しとほうれん草のソース、ベビーリーフと玉ねぎとツナとミニトマトのサラダ、赤ワイン。
夜、Spotifyでドリス・デイのアルバムを探して「You’re My Thrill」と「Cuttin’ Capers」を聴く。クリストファー・ヒルトン『ベルリンの壁の物語』(鈴木主税/訳、原書房)の上巻を読む。
京マチ子の訃報を知る。
Wednesday, May 15
晩ごはん、ざる蕎麦、ホタルイカの沖漬け、サーモンのオイル漬けとかいわれ、ビール。
夜、Norah Jones「Begin Again」を聴く。『ベルリンの壁の物語』の下巻を読む。
Thursday, May 16
ベストセラー作家など嗤われる存在でしかないと思うのだが、昨今ではベストセラー作家のほうが嗤う側にいるらしく、なかなか興味ぶかい状況である。
晩ごはんは会社から帰る途中にうどんを食べる。
夜、カティア・ブニアティシヴィリ「シューベルト:ピアノ作品集」とウラディーミル・アシュケナージ「亡命直前のリサイタル 1963」を聴く。 フレデリック・ケンプ『ベルリン危機1961 ケネディとフルシチョフの冷戦』(宮下嶺夫/訳、白水社)の上巻を読む。
Friday, May 17
幻冬舎の見城徹が、いま揉めている津原泰水の自社で出した本の実売部数をtwitterに晒して炎上したようだが、作家や同業者から批判の十字砲火を浴びて、あっさり謝罪して取り下げてしまった。かつて「顰蹙は金を出してでも買え」と嘯いていた人間にしては、あまりに間の抜けた着地である。見城徹は古典的なチンピラ風情の相貌でありながら、若い頃は気弱な文学青年だったというエピソードを繰り出してバランスを取ろうとしているあたり小賢しいのだが、小賢しさが彼の売りなので、その売りを徹底すればいいものを徹底できないところに限界を感じる。ところで、見城徹のtwitterを見たら「僕が考える、仕事の出来ない人の10の特徴」なるものが掲げられており、そのうちのひとつに「金にルーズ」とあるのだが、経理部の社員に8年間にわたってのべ9億円横領された経営者が何を言っているのだろう。
晩ごはん、ほうれん草とベーコンのパスタ、ビール。『ベルリン危機1961 ケネディとフルシチョフの冷戦』の下巻を読む。
ジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』(1991年)を見る。平出隆『ベルリンの瞬間』(集英社)に、日本語字幕つきのビデオをベルリンに送ってもらって視聴する話がでてくるが、渋谷のツタヤにおいてある『新ドイツ零年』の媒体はいまだにVHSなので、平出隆がベルリンで見たときから20年弱経過しているのに、いまだビデオテーブで見ることになる。
自分の前の宙に、片手または両手を差し伸べるようにして腕をひらき、抗議の意思や慨嘆の情を表明するのは、欧米ぜんたいの身振りなのか、もっと狭い地域のそれなのか、よくは知らない。だがドイツでなんどか見るに及ぶと、この表現法はドイツでこそふさわしいものに思えてきた。
見かけたのは街を歩いていて、車から車へのクラクションにふり返ったときである。鳴らされたほうの運転席で、女性が片手を窮屈に差し伸べて、なにごとかを短く口にした。鳴らされる筋ではない、という抗議らしいが、それはもともとメッセージとして相手に届くことを期待したものではない。危険な接近のあと、二台は離れていく。離れるまぎわに火花が散ったが、より長く残ったのは、やるかたない口惜しさの火花のほうだった。
彼女はむしろ、路傍から見ている第三者に届くことを意識しかのかもしれない。そうでなければ、孤独の密室の中で、自分にだけは見られること願ったのかもしれない。
二度目の例は、バスを待っていて目撃した。時速六十キロで走る目前を無茶に横断した歩行者に対して、冷や汗をかいたドライバーが両手をひろげた。つまりはステアリングから両手を離した。バス停から見ていて、抗議の身振りが早く終わらないかとはらはらもさせられるうち、車は走り去った。このときも、彼は車中で孤独だったろう。
抗議は届かず、慨嘆の身振りだけが残像をしばらくとどめる。街頭での無声の怒りは、ベルリンの印象のひとつである。ゴダールのあの映画を再見しようと思ったのは、そうした印象が理由ではなかったが、きっかけではあった。あの刺激的な映画は、また圧倒的なドイツ論ではなかったか、と思い返したからである。
Saturday, May 18
有楽町と新宿で買いもの。途中、ニコンプラザ新宿で北島敬三の写真展「UNTITLED RECORDS 2018」を見る。
晩ごはん、メカジキとタコのコンソメ風味の日本酒蒸し、レモン、ルッコラとベビーリーフのサラダ、ジャーマンポテト、バゲット、ワルシャワ空港で買ったビール。食べながら、radikoのタイムフリーでJ-WAVEの「RADIO DONUTS」に吾妻光良と渡辺康蔵がゲスト出演しているところを聴く。
柄谷行人『世界史の実験』(岩波新書)と市川裕『ユダヤ人とユダヤ教』(岩波新書)を読む。
Sunday, May 19
午後、新宿と渋谷を行脚。UNITED ARROWSで服を買う。ベルリン旅行で宿泊したCasa Camper Berlinで、軽食をWECKの容器に入れて提供するセンスがよくて、まねしようとLOFTで容器をまとめ買い。
晩ごはん、人参と玉ねぎと鶏肉のピラフ、かぶのコンソメスープ、ビール。