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Monday, March 11

強風なうえに雨が降るという辟易する朝の通勤。午前9時すぎには雨はやんで、気温がぐんぐん上がる。乱舞するスギ花粉。

エチオピアからケニアに向かうエチオビア航空の旅客機が墜落した。事故を起こしたのは去年インドネシアで墜落したボーイング社の新型旅客機と同型機だという。いまいちばん乗りたくない飛行機ナンバーワンである。

会社の昼休みの時間を利用して、マルティン・ハイデッガー『存在と時間』(細谷貞雄/訳、ちくま学芸文庫)を読みはじめる。

要するに、「時間のなかで存在する」という意味で考えられた時間が、さまざまな存在領域の分割の基準としてはたらいているということは、既成事実である。これに対して、どうして時間がこの格別な存在論的機能を発揮するようになるのか、さらにまた、とりわけて時間というようなものがどういう権利があってかような基準としてはたらいているのか、いわんや、このように素朴に存在論的な形で時間が用いられている用途のなかに、時間に本来そなわっているとおもわれる真に存在論的な含蓄がはたして十分に表現されうるかどうか、−−こういう問題は、いままでのところ、問われも検討もされなかったのである。「時間」は、それも通俗的な時間了解の地平におかれて、いわば「ひとりでに」この「あたりまえの」存在論的機能のなかに組み入れられ、そして今日にいたるまでそこにとどまっているのである。

夜ごはん、蒸した鶏肉とかいわれをのせた温かい蕎麦、麦酒。

読書。黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)を読む。

ある出来事の日付を特権的に祀りあげる趣味はもちあわせていないので、本日24時間にかぎり喧しく東日本大震災について語るマスメディアの態度にはつきあいきれないものがある。そもそも東京在住者の個人的な記憶でいえば、東北地方の甚大な被害を認識できたのは地震が発生した日の翌日以降のことで、当日の出来事から得られる教訓はこれといってなく、鉄道がすべて止まって徒歩で帰宅している途中、原宿駅近辺を歩いていたらどこかの店がイベントとしてカクテルパーティーをやっていて、さすが東京、ほとんど醜態でしかないけれど、でもいいぞ東京、と思ったことくらいである。なんの教訓にもならない。

Tuesday, March 12

今年はスギ花粉が例年に較べて大量に飛散しているらしく、花粉症の症状がわかりやすくでている。2017年の秋からシダトレン(スギ花粉舌下液)を毎日服用しているのだが、くしゃみがでる。薬が効いていないのか、服用していなければもっとひどい症状だったのかは不明。

読書。昼休みに『存在と時間』を読んで、夜は『鶴見俊輔伝』のつづきを読む。

夜ごはん、ちくわ天うどん、麦酒。

Wednesday, March 13

英国議会下院はメイ首相が呈示したEU離脱案を反対多数でふたたび否決した。迷走の極み。それにしてもテリーザ・メイの声がしゃがれすぎである。

夜ごはん、卵とトマトとほうれん草のリゾット、麦酒。

自宅シネマ。『ファントム・スレッド』(ポール・トーマス・アンダーソン/監督、2017年)を見る。エレガントな映像作品で退屈することもなかったが、あまりピンとこなかった。

ピエール瀧がコカインを使用した容疑で逮捕されたという。薬物関連のニュースが出ると、ドラッグについての種類だとか流通量だとか、やたらと詳しい人間が湧いてくるのはなんなのか。

Thursday, March 14

テレビを視聴できるワンセグつき携帯電話を所持すると、NHK受信料の契約義務が生じるかどうかが争われた裁判は、最高裁判所により契約義務が生じるとの判決で確定した。誰もが薄々気づいているとおり、この裁判における裏の争点は、放送法の法解釈の問題ではなく、ざっくりいってしまえばNHKのことが好きか嫌いかである。NHK大嫌いサイドからすれば、NHKが半強制的に受信料を徴収する姿勢が気に入らないという話で、ただ単純に、気にくわない連中の懐に金が入るのが不快なのである。文脈は異なるがJASRAC批判と雰囲気は似ている。

夜ごはん、ほうれん草とトマトと豚肉のペペロンチーノ、赤ワイン。

Friday, March 15

ピエール瀧の逮捕が教えてくれるのは、違法ドラッグをやっていても、必ずしも人間やめますかのような廃人になるわけではないという事実である。もちろんオーバードーズによる身体的な危険に晒される可能性があるわけだから、できることなら薬物はやめたほうがよい。しかしながら、健康被害を盾にドラッグをやめるように諭すのは、どこまでもむなしい。

ある日、とうとう私は、強面の中年男性の覚せい剤依存患者から手厳しい洗礼を受けるはめになった。その患者は、覚せい剤による逮捕歴と刑務所服役歴があり、それによって多くを失っていながらも、それでもなお覚せい剤がやめきれずにいた人だった。
診察室で、憮然とした表情で腕を組む彼の威圧感をいまでも私は忘れない。その日、私は、いささか気圧されながら、いつものように覚せい剤の健康被害について滔々と演説をしていた。すると、話しはじめてものの一分も経たないうちに、彼は私の話を遮り、声を張り上げてこう凄んだのだった。
「うるせえなぁ。害の話なんか聞きたくねえよ! 俺は自分の身体を使ってもう十五年以上も「臨床実習」してんだよ。クスリやりすぎて死んだ仲間だって見てきた。ところが、あんたがシャブについて知っているのは、本で読んだ知識だけじゃねえか。いくらあんたが専門家でも、ジャブに関する知識じゃ俺には敵わねんだよ」
さらに彼は顎をしゃくり上げてこういった。
「自分よりも知識のねえ医者のところにどうして俺が来てんのかわかるか? わざわざ長い待ち時間に耐えて、金まで払って病院に来る理由がわかるか?」
圧倒された私は、声の震えを必死でごまかしながら、平静を装って質問した。
「それは、な、なぜですか?」
すると、患者は不意に声と表情をやわらげてこういった。
「それはな……クスリのやめ方を教えて欲しいからだよ」
彼の指摘はまさに正鵠を射ていた。説教や叱責といったものは、それこそ彼の周囲にいる素人の人たちが無償でやっていることだ。それと同じものを、いやしくも国家資格を持つ専門家が有償で提供してはいけない。そもそも、この患者は強制入院しているわけではなく、自分の意志で専門病院の外来にやってきた人だった。私はそのことが持つ意味を完全に理解していなかった。完全に私の負け、玉砕といってよかった。
当然ながら私は、この患者に「クスリのやめ方」など教えることもできず、ただ、黙って唇を噛むことしかできなかった。
(松本俊彦「依存症、かえられるもの/かえられないもの 2」『みすず』2018年8月号、みすず書房)

Saturday, March 16

ニュージーランドで発生した銃乱射事件で、実行犯が犯行の模様をインターネット上で生中継していたと知って、ガス・ヴァン・サントの映画『エレファント』(2003年)の映像を思い出す。

山田登世子『メディア都市パリ』(藤原書店)とスージー鈴木『イントロの法則80’s 沢田研二から大滝詠一まで』(文藝春秋)を読む。

自宅シネマ。『カメラを止めるな!』(上田慎一郎/監督、2017年)を見る。特典映像みたいな映画だった。

夜ごはん、手巻き寿司、サラダ、麦酒。

Sunday, March 17

今週聴いたもの。James Franciesというピアニストのアルバムがよかった。
・The Unseen In Between / Steve Gunn
・Best Of Your Lies / Owen Lake And The Tragic Loves
・Teol Al Silencio / Carolina Katún
・Words of Wisdom / Awa Fall
・Flight / James Francies
・Marginalia / 高木正勝
・Live / Marcin Wasilewski Trio
・Daisuke Suzuki the Best 2019 / 鈴木大介