Monday, December 4
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』(鼓直/訳、岩波文庫)を読む。『UP』12月号(東京大学出版会)が届く。
スターバックスのシュトーレンが売り切れだったので、かわりに五反田駅前のパン屋「Rød」でシュトーレンを買う。聞くところによるとスターバックスのパン・菓子はアンデルセングループが請け負っているらしいので、アンデルセン系列のパン屋である「Rød」で購入したシュトーレンは、事実上、スターバックスのものとほぼ同じと考えてよかろう。
Tuesday, December 5
ボルヘスを読むとカサーレスが読みたくなる。アドルフォ・ビオイ=カサーレス『モレルの発明』(清水徹、牛島信明/訳、水声社)を本棚から抜き出す。
Wednesday, December 6
テレビジョンなる日本放送協会の番組を受信する装置を有していないので個人的にはさして影響のない話ではあるが、NHKの受信料制度の合憲性を認める最高裁判所の判決には残念なものを感じた。残念なのはNHKの受信料徴収に「お墨付き」を与えた判決だったからではない。NHKとの受信契約を定めた放送法が合憲とされることは大方の見方であったから、判決内容自体に特段の驚きはない。残念だったのは、裁判官たちがそれ以上のことを何も言っていない点である。各裁判官の補足意見においてすら、たいしたことは述べられていない。もうちょっと仕事をしてほしい判決文である。判決は将来はじまるであろうインターネットでの放送についても言及はなく、議論を促すような補足意見すらなかった。
NHKの受信料訴訟において議論になるのは、国民の知る権利を実質的に充足させるにあたって、放送法64条1項の定めが果たして現代の情報網と照らして適当であるかである。判決は「放送をめぐる環境が変化しつつあっても、受信料制度の合理性は失われていない」と述べるが、あまり説得力はない。なぜ合理性は失われていないのかがさっぱりわからないから。スクランブル放送を導入したほうがよほど合理性と公平性は満たされる。NHKはスクランブル放送にしない理由として「スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます」と主張しているが、悪い冗談にしか聞こえない。NHKに「健全な民主主義の発達」と言われても。
NHKの公共性をいうとき必ずもちだされるのが緊急時の情報(災害情報など)の提供であるが、現代において緊急時の情報をNHKに頼る必要はない。むしろNHKだけに頼るほうがよほど危険な気もする。そもそも緊急時の情報提供が公共性の担保だとの主張は、NHKが垂れ流しているそのほかのテレビ番組にまっとうな公共性があるか疑わしいことを告白しているようなものだと思うが。
ところで、NHKの受信料にかんして議論になるのはテレビばかりで、ラジオの話はない。放送法にラジオについての明記がなく、NHK自身もテレビを所有せずラジオだけ聴いている世帯から受信料を徴収したい意思もなさそうなので、ラジオは完全にどうでもいい扱いである。ラジオ好きとしては寂しい。マニアックな曲ばかりをかけているゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」にどれほどの公共性があるかを最高裁で争いたい。
Friday, December 8
夜、『ディナー・ラッシュ』(ボブ・ジラルディ/監督、2000年)を見る。レストランでの一晩を時系列で描く群像劇であるが、最初はあったダニー・アイエロ演じる支配人のネクタイのディンプルが途中なくなっていて、つなぎに失敗しているなと思った。
Saturday, December 9
谷中散歩。朝倉彫塑館を訪問、フロランタン専門店「atelier de florentina」に寄り道、「稲毛屋」でうなぎの蒲焼、「古書ほうろう」で二冊。新宿に移動。東京オペラシティアートギャラリーで「単色のリズム 韓国の抽象」を鑑賞、「YYG Brewery & Beer Kitchen」でクラフトビール。