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Monday, February 27

風邪から花粉症へのスムーズな移行がなされた。

Tuesday, February 28

一ノ瀬正樹『英米哲学史講義』(ちくま学芸文庫)を読了。冒頭、日本語の「功利」という言葉の意味から類推して哲学における功利主義を理解するのは誤解の元だとして、つぎのように代替案を提示している。

今日「功利主義」は、日本語としての名前の印象のマイナス要因を回避するため、「公益主義」などと呼ばれることもある。私自身は、「最大多数の最大幸福」というスローガンに即して、「大福主義」という呼び名を本書では提唱している。なんとなくふくよかで、しあわせな感じが伴う呼び名で、功利主義が受けてきた誤解を解くのにもよいかと思った次第である。

ふくよかでしあわせな感じは結構だが、「大福主義」というと、どうにもおいしそうな響きもあって、哲学用語でおいしそうなのはどうなのかと思っていたら、その点にかんして著者は織り込み済みであった。

しかし、私は、すでに触れているように、むしろ「最大多数の最大幸福」というスローガンに即して、「大福主義」という訳語もいいのではないかと感じている。利己的というのは悪く響いても、「幸福」ということは決して悪く響かないはずである。そして実際、功利主義とは、なによりも道徳的判断の基準を「幸福」に置くという、幸福至上主義の学説なのである。それに「大福」という名称は、あの甘い和菓子を想い起こさせ、あたたかい幸福のイメージを伝えるのに適しているようにも思う。
もちろん、功利主義あるいは大福主義が理論として成立するためには、超えなければならないハードルがある。それは、幸福の量を、つまりは快楽と苦痛の量を、どのように計算・測定するのか、という基準を明確にしなければならないという点である。それができなければ、大福主義といっても、絵に描いた大福になってしまう。ベンサムは、この問題について、かなり多くのページを割いて詳細に検討を加えている。

問題があるとすれば、大福が嫌いな人は、思想内容と関係なく大福主義を嫌ってしまう可能性があるということだ。

Wednesday, March 1

みすず読書アンケートで複数の人があげていた草光俊雄『歴史の工房 英国で学んだこと』(みすず書房)を図書館で借りた。英国史学という門外漢の内容ながら滋味に富む文章に惹かれ、手元に置いておくのもよいなと思って値段を確認すると、税別で4500円もする。特段書物として凝ったことをしているわけでもないので、売る気があるのか疑いたくなるような意味のわからない価格設定である。

Thursday, March 2

立山良司『ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー』(中公新書)を読む。イスラエル・ロビーの活動について教えられることが多く、とても勉強になった。アメリカに住むユダヤ人の、とりわけ若年層を中心に、イスラエルへの心情的傾斜が薄れてきているとの指摘が印象深いが、イスラエル・ロビーのアメリカ政治への影響力はいまなお大きいことも思い知らされる。読みながら感じたのは、日本においてこの本はバランスのとれた良書と評価されるだろうが、おなじ内容を英語に直してアメリカで出版したとしたら、ユダヤ人団体からきっと抗議がくるだろうということ。

『図書』3月号(岩波書店)が届く。シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』が冨原真弓の翻訳で岩波文庫で出るという。たのしみ。

Friday, March 3

『みすず』3月号(みすず書房)が届く。三浦哲哉の連載「食べたくなる本」を読んでいたら、石井好子の『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』にあるバゲットをめぐる一節を引きながら(『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』がなぜか『パリの屋根の下オムレツの匂いは流れる』になっているという摩訶不思議な誤植が存在。「パリ」じゃないし「屋根」じゃないし「匂い」じゃない。みすず書房の校閲が雑すぎる)、つぎのように書いている。

石井は、本場でしかその味は味わえないというようなことはあまり言わない。日本製のバゲットであっても、天火に入れて香ばしく焼き上げるならば、パリの焼き立てに「近い」と言う。この本は1950年代パリでの生活体験をもとに書かれていて、それは発表当時の読者にとっては、はるか遠い世界の話であっただろう。しかし石井の文章はまったく嫌みに感じられない。フランス料理であれなんであれ、一皿の料理はそれを支える技術がありさえすればある程度は再現できるはずだ、という信念が一文一文に漲っているからだろう。パリのバゲットだからといってむやみに礼賛する必要はない。問題は小麦の香ばしさをいかに引き出すかという技術だからだ。バゲットだけではなく、つねに聡明に料理の本質を摑まえているから、融通無碍な応用の提案ができる。からっとして民主的なのだ。

石井好子の「民主的」なスタンスとは対蹠的な存在として、おなじパリのバゲットでも、「パリの具体的な雰囲気」を特権視する勝見洋一をとりあげ、食をめぐる彼の懐古趣味的な文章について論じている。およそ科学的とも実証的ともいえない、神話的な過去を賛美しながら人を煙に巻くような筆致を繰り返す人物として、やや辟易しながら勝見洋一のことが描かれるのだが、あまり納得がいかないのはこの連載の初回で三浦哲哉はつぎのような文章を引用し、絶賛しているからだ。

この素晴らしいワラサを食べるためには、特別な塩が要る。魚には、その魚がいた海の塩が一番合うんです。日本海の魚は当然、日本海の塩が合うわけです。日本列島寄りの日本海は、海面から表層水、対馬海流層、日本海固有水という3つの層になっています。満月の月の日の満潮の時には、月と太陽の引力で、ミネラル豊富な深海の層と対馬海流が表面に上がり、混ざり合いながら岸に寄ってきます。それを汲み上げて作ってもらったのが、うちのオリジナル"月の雫の塩"。満月の日の海水は、ミネラルがとても豊富になります。そのなかでも、含有量が多いマグネシウムには苦味が、カルシウムには甘み、カリウムには酸味があります。(奥田政行『田舎町のリストランテ、頑張る』マガジンハウス)

勝見洋一のような懐古趣味にくらべればじゅうぶん「科学的」であるかもしれないが、「日本海の魚は当然、日本海の塩が合う」などという言説はもう少し慎重に読むべきであり、無邪気に褒めそやすのはやや一貫性を欠いた態度のように感じる。

Saturday, March 4

森友学園の話題がエコノミスト誌でも記事になっており、タイトルが「An ultranationalist kindergarten in Japan」というずいぶんな単語の組み合わせになっている。

海老原嗣生『お祈りメール来た、日本死ね』(文春新書)を読む。欧米の雇用事情との比較をつうじて日本の就職活動を再考した本で、書名はひどいが、内容はそれほどひどくはない。ヨーロッパの雇用制度を理想化するような言説に釘を刺しているのが本書の意義であろう。もっとも欧州の階級社会を知っていれば旧聞に属する話で、あらためて驚くようなことでもないが。ところで、途中「カタカナ語が多くて難しいと感じる方は、コラムに飛んでいただいても構わない」とあって、どんな話が繰り出されるのかと思ったら、たんなるフランスの教育制度の説明である。コレージュやリセやバカロレアといったカタカナ語が出てくるから難しいって、どれほど低次元の読者を想定しているのか。

Sunday, March 5

書評と健康欄を目あてに毎週日曜日だけ買っている日経新聞がリニューアルしていた。書評は土曜日に移ったらしい。その代わりに「NIKKEI The STYLE」という写真をふんだんに使った小洒落た折り込みが挟まっている。「こんな日曜日が待ち遠しい。」というどこかで聞いたような惹句のついた紙面は、食やファッションやアートを紹介しているのだが、呆れるほどスカスカで中身がない。最終面には小山薫堂がコラムを書いており、J-WAVEかこれは。

新宿の「Brooklyn Parlor」でハンバーガーとビールの昼食ののち、駒込に向かう。駒込に居住していた頃によく通っていた花屋でリースを注文するため。駒込まで来たついでに古本屋「BOOKS 青いカバ」に寄って三冊ほど買い、カフェ「百塔珈琲」で休憩する。

リュックサックが欲しくていろいろ物色した結果、恵比寿アトレにある「ÉDITO 365」にあったものを買うことに。あとで調べたらPKGというカナダ生まれのブランドらしい。

宇野重規『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)を読了。