600

Monday, April 25

ウクライナ政府がツイッターでヒトラーやムッソリーニとともに昭和天皇の写真をならべて「炎上」したらしい。西欧人がいかに日本の権力構造や大衆心理を理解していないかの証左といえる事例だと思うが、しかし日本の権力構造や大衆心理などというものは、外部(外国)から見たらまったくもって意味不明であることもまた自覚しなければならない。ならべる人物として昭和天皇ではなく東條英機を据え置けばよかったのではとの意見も目にしたが、とりたてて東條英機を擁護する必要などないものの、ヒトラーやムッソリーニのような指導者とはいえず、彼一人に戦争責任を押しつけるのは多少なりとも近現代史を学んだ者であれば無理があることはあきらかなはず。「無責任の体系」の論点はいまだ死なず。通勤電車の読書。きのうから読み始めた『世界史の考え方 シリーズ 歴史総合を学ぶ①』(小川幸司、成田龍一/編、岩波新書)を最後まで。高校時代に受験科目として日本史を選択したかつてのじぶんに対して、日本史のみならず世界史をしっかり勉強すべきであることを説教調で伝えたくなる、とても読み応えがあって鼓舞される新書。ところで、先ほど「戦争責任」という語彙を使ったけれど、本書のなかで永原陽子が「戦争責任という言葉は日本語特有の言い方であり、うまく他の言語に翻訳しづらいもの」と述べていて、そうなんだと思う。夕食、焼豚とかいわれと茹で卵をのせた醤油ラーメン、麦酒。夜、映画鑑賞。『銀色の月明かりの下で』(デイヴィッド・バトラー/監督、1953年)を見る。

Tuesday, April 26

筑摩書房のPR誌『ちくま』今月号の劈頭に掲載されている蓮實重彦のエッセイに、濱口竜介監督作品『ドライブ・マイ・カー』についてのコメントがニューヨーク・タイムズ紙に掲載された経緯が書いてある。

NYに拠点を置くさる日刊高級紙からは、授賞当日にインタビューを受けた。アカデミー賞については一切興味がないといって断ったつもりでいたのだが、それでもなおメールの交換を望んでいる。ところが、その質問があまりに的外れだったので、即座にご免こうむることにした。それは『ドライブ・マイ・カー』という作品の「日本性」の濃淡を問うものだったので、それなら、濱口監督が尊敬するカサベテスの『ハズバンズ』(1970)について、それが「アメリカ的」かどうかといった愚かな問いをいったい誰が発するだろうかと書いてやったのである。それはTokyo発の記事には反映されていなかったが、『ドライブ・マイ・カー』は優れた作品だが傑作とは呼べぬという点だけが、難しい英語で記事になっていた。(p.4)

読書。最新号の『週間読書人』(読書人)で、岩井克人の国際基督教大学における最終講義の標題が「新しい会社の形を求めて:なぜミルトン・フリードマンは会社についてすべて間違えていたのか」だと知って、「すべて間違えていたのか」というずいぶんとまた喧嘩を売っている惹句に興味をひかれつつ、なんの気なしに岩井克人の旧著『ヴェニスの商人の資本論』(ちくま学芸文庫)を再訪する。会社からの帰り道は台風でも接近中なのかと思う程の強風。夕食、鰻丼、絹ごし豆腐とあおさの味噌汁、麦酒。夜、映画鑑賞。『歴史は夜作られる』(フランク・ボーゼイギ/監督、1937年)を見る。

Wednesday, April 27

梅雨のような天気。読書。今年の1月に中公文庫から円地文子の『食卓のない家』が刊行された。あらためて文庫化されたのは小説の題材となっている連合赤軍事件から今年で50年という節目の年だからだろうが、いまさら連合赤軍関連の書籍に目をとおす関心は欠いていたものの、本書は読んでみたいと思っていたので先日本屋で購入した。この小説の存在を知ったのは20年以上前に読んだ柄谷行人の『倫理21』(平凡社)に言及があったからで、となると「読んでみたい」と思ってから20年以上経過してしまったわけだが、それはともかく、柄谷行人はこの小説を気に入っていたようで『必読書150』(太田出版)でも取りあげて書評を綴っている。

1972年武装ゲリラ闘争を目指し冬山にこもって訓練していた連合赤軍の学生たちが、内部のリンチで十数名を殺した。この事件がきっかけで日本の新左翼運動が一気に衰退した。これに関しては多くの論評がなされ、小説も書かれた。しかし、このとき、赤軍派の家族が世間から攻撃され、会社を辞めたり自殺したりしたことは注目されなかった。保守派はいうまでもなく、左翼もそれを不問に付した。それを重視したのは円地文子だけである。この小説では、息子が逮捕されながら、会社をやめず謝罪もしない父親が主人公である。実際のモデルにはそんな人は一人もいなかったから、円地が書いたのは、もしそうような人物がいたら、というフィクションである。息子が信念をもってやったことで親が自殺せねばならないのが日本の社会であるとするなら、そうような社会的な強制に抵抗するほうが、漫画的なゲリラなどよりもっと革命的なのではないか、と円地は考えた。実際、この小説では、その結果として、ある意味でリンチに匹敵するような惨劇が彼の家庭に生じるのである。(p.191)

夕食、白米、絹ごし豆腐とあおさの味噌汁、鰤大根、麦酒。

Thursday, April 28

夕食、大葉と刻み海苔をのせた鱈子パスタ、麦酒。読書。円地文子『食卓のない家』(中公文庫)を読む。ひと昔前の小説を思わせる雰囲気が文章から滲み出ているものの、おもしろく読んでいる。先の柄谷行人の論評にあるとおり、あるいは篠田節子が文庫解説でもそう書くように、現在でも状況はさして変わっていない加害者家族と日本社会(世間)の関係性の問題が大きな主題となっている小説であることは間違いないが、テーマから外れるような小さな物語の造形にこそ興味をおぼえた。「ある意味でリンチに匹敵するような惨劇が彼の家庭に生じる」と柄谷行人がいうほどの陰鬱な読後感はなく、「まあ、実のところ世の中も人間もそんなものなのよ、と冷めた笑みを浮かべている文豪の姿が見えるようだ」と書く篠田節子の感想のほうに親近感が湧く。小説はいかようにも読める。

Friday, April 29

祝日。功利的思考により「みどりの日」でも「昭和の日」でも休日であればなんでもよいと思っている。曇りのち雨の天気予報。朝食後、部屋の掃除と靴磨きを済ませてから、天候が悪くなる前に近所のスーパーマーケットまで食料品の調達に向かう。昼食、白米、ほうれん草としめじの味噌汁、豚肉とキムチの炒めもの、焙じ茶。午後は、値が張るだけあって美味しい「BISCUITERIE BRETONNE」の焼き菓子と珈琲をお供に読書。おととい会社帰りに本屋に立ち寄って購入した蓮實重彦『ショットとは何か』(講談社)を読む。蓮實重彦はじぶんが気に入らない映画論を批判するときに俄然活き活きしてくる。最近の蓮實重彦は自身が後期高齢者であることをこと折にふれて言及しているが、おなじ話を繰り返しネタにする点は後期高齢者として正当な振る舞いではある。夕方、雨脚が強くなる。夕食は焼肉(牛肉、玉葱、ピーマン)、ほうれん草と卵の中華風スープ、キムチ、麦酒。

Saturday, April 30

晴れ。朝食後、洗濯を済ませてから外出。道中の読書は蓮實重彦『映画の神話学』(ちくま学芸文庫)の読み返し。山手線の恵比寿駅着。東京都写真美術館で展覧会を二本見学する。「本城直季 (un)real utopia」と「TOPコレクション 光のメディア」。本城直季の写真はどこかポップな雰囲気を醸しだしているので、震災後の東北地方を被写体にするのは向いていないのではと余計なお世話なことを思う。カレー沢薫の「ニァイズ」のバックナンバーを入手してから美術館をあとにし、恵比寿駅前の「SHAKE SHACK」でアボカドバーガーとポテトの昼食。アトレ恵比寿の「成城石井」で買いものを済ませてから、山手線に乗って原宿駅へ。街中はGW期間中らしい人だかり。みんなマスクをしている異様さを除けば、都心の風景は徐々に戻りつつある。「BEAMS RECORDS」で鎌倉のカフェ「café vivement dimanche」のポップアップショップを開催中と知って立ち寄る。珈琲豆を買う。表参道を目指して歩く途中、東急プラザのスターバックスに寄ってエスプレッソアフォガートフラペチーノをピックアップ。スマートフォンのアプリ機能「Mobile Order & Pay」で事前に注文して行列を避ける知恵をつけたので快適。散歩がてら青山の裏道を歩いて「青山ブックセンター」まで。平凡社ライブラリーから刊行されているカント『純粋理性批判』の下巻が棚にあったので買う。少し前に『純粋理性批判』を読もうと思いたつも、どの翻訳で読むべきかという悩ましい問題があって、いちばん手に入れやすいのは岩波文庫だが翻訳に難ありとの悪評が聞こえてくる。腰を据えて精読するつもりはないのでぶ厚い単行本は避けたく、となるとほぼ自動的に原佑の訳文による平凡社ライブラリーを選択することになる。しかし平凡社ライブラリー版は上巻と中巻の入手は容易なのだが、下巻が品切れという困った状態にある。品切れが放置されているのは理由のないことではなく、下巻に収められているのは「超越論的方法論」だけだからだろう。黒崎政男は『カント「純粋理性批判」入門』(講談社選書メチエ)でつぎのように書いている。

『純粋理性批判』の大きな構成から言うと、全体は「原理論」と「方法論」の二部構成になっている。しかし、「方法論」は頁数も少なく、あまり重要ではない(当該の専門研究者の方々、ごめんなさい!)(p.87)

上下巻のみで完結させず、カント研究者に重要ではないといわれる部分を独立させた平凡社の意図が理解できず、もはやそもそも買う必要あるのかという話だが、上と中だけあって下がないのもなんなので購入した。ずっと誰も手をつけず青山ブックセンターにあったということだろうか。あわせてウィトゲンシュタイン『哲学探究』(鬼界彰夫/訳、講談社)を買う。渋谷ヒカリエの「MARKS&WEB」でヘアブラシを買って、「LE PAIN de Joël Robuchon」でパンドミを買って、帰途に就く。夕食、ホタルイカとアスパラガスのパスタ、ベビーリーフとホワイトセロリとタコとしらすのサラダ、ミッケラーのペールエール。

Sunday, May 1

五月がはじまる。曇天。朝食、目玉焼き、サニーレタスとトマトとベーコンのサラダ、トーストとクリームチーズとブルーベリージャム、ヨーグルト、珈琲。アイロンがけののち、近所のドラッグストアとスーパーマーケットを廻る。昼食、白米、しめじとほうれん草の味噌汁、鯵のひらき、鶏肉の酒蒸しとかいわれ、きゅうりとかぶと茄子の漬物、加賀棒茶。午後は読書。断続的に読み進めてきた平出隆『鳥を探して』(双葉社)を最後まで。本書が絶版なのは勿体ない。雨。夕食、海鮮丼(鮪、生卵、しらす、小葱)、絹ごし豆腐としめじとかいわれの味噌汁、きゅうりとかぶと茄子の漬物、麦酒、焙じ茶。『MONOCLE』5月号を読む。