195

Tuesday, December 16

先週から今週にかけてろくに書くことがない事態になっているのは毎日のように部屋の片付けばかりをしているからで、本棚が一段落したら、つづいて収納、つづいて台所、と片付けたい領域がどんどん広がって、やるつもりもなかったのにうっかり年末の大掃除と化した。疲弊。片づけの魔法をかけるには、それなりに肉体を酷使する覚悟が必要であった。

夜、白米、しめじとわかめの味噌汁、ハム、黄パプリカとほうれん草と玉ねぎの炒めもの、水菜のサラダ、ビール。

Wednesday, December 17

『中央ヨーロッパ 現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド』(オラシオ/監修、DU BOOKS)は、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの音楽家を紹介するディクスガイドだが、この本のなかで、かろうじて名前を知っていたのはポーランドの歌手アンナ・マリア・ヨペックくらいかも。ところで本書には東欧にかんするエッセイが何本かさしはさまれており、そのなかでポーランド製品の輸入を商いとしている塚本雅彦という人が書いているポーランドのビール事情についての文章がおもしろい。

ポーランド人にいわせるとお酒とはウォッカの事を指します。彼らはビールをお酒とはいわないのです。それはビールのアルコール度数がウォッカより低いからではありません。中世以来何世紀にもわたり、ポーランドではビールのことを「液状のパン」と呼んでいました。当時は飲料水よりもビールの消費量のほうが多く、「水を飲んでも、病気になるだけ」という諺さえあります。

諺なのか、それは。

夜、鶏肉、ほうれん草のおひたし、水菜、生卵をのせた塩ラーメン、ビール。ジャネット・フレイム『潟湖(ラグーン)』(山崎暁子/訳、白水社)を読む。

Thursday, December 18

去年の11月に刊行された重田園江『社会契約論 ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』(ちくま新書)の文献案内でおすすめされていた山崎正一+串田孫一『悪魔と裏切者 ルソーとヒューム』は、今年の11月にちくま学芸文庫に収まって、その解説は重田園江が書いている。筑摩書房の出版プランのひとつの完結をみるような思いで、読んだ。

夜、白米、塩辛、大根とわかめの味噌汁、焼き魚(かます)、玉ねぎとトマトの和風ドレッシング和え、冷奴、ビール。松尾秀哉『物語 ベルギーの歴史 ヨーロッパの十字路』(中公新書)を読む。数年前ベルギーを数日旅しただけではさっぱりわからなかった、フランス語とオランダ語という公用語をめぐる紛争について、梗概を理解する。

Friday, December 19

日暮れ頃、竹尾の見本帖本店で「ヴァンヌーボ×15人の写真家」展を見るために神保町へ。荒木経惟、石内都、上田義彦、尾仲浩二、川内倫子、佐内正史、篠山紀信、鋤田正義、鈴木理策、鷹野隆大、高橋恭司、蜷川実花、野口里佳、松江泰治、森山大道らによる写真が各氏一枚づつ展示されている。アートディレクションは中島英樹。

夜、フレンチと中近東の料理を提供するBal Marrakechで夕食。

Saturday, December 20

夜、白米、大根と長ねぎの味噌汁、ほうれん草のおひたし、卵焼き、鶏肉の黒胡椒焼き、大根おろし、ビール。本日の読書は、マイケル・ライアン+メリッサ・レノス『Film Analysis 映画分析入門』(田畑暁生/訳、フィルムアート社)、細見和之『フランクフルト学派 ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』(中公新書)、荻野美穂『女のからだ フェミニズム以後』(岩波新書)。

Sunday, December 21

会期終了間近の「ジョルジョ・デ・キリコ 変遷と回帰」(パナソニック汐留ミュージアム)を見るために新橋で下車。が、展覧会場に行ってみたら入口付近に長蛇の列。あのこじんまりした美術館にこれだけの人の数では、とてもじゃないけどじっくりと絵画と対峙するなんてことはできそうもないので、そそくさと退散して、2000年にBunkamuraザ・ミュージアムで催された「デ・キリコ展 終わりなき記憶の旅」展の記憶を呼び起こそうとするものの、当時買った図録はとっくのむかしに処分してしまったし、14年前の展覧会の記憶は茫漠としている。

新橋から銀座まで歩いて、メゾンエルメスで「逆転移」リギョン展を見学。つい先日も訪れたのだが、奥の部屋の展示が靴を脱いで順番に鑑賞するかたちで何人もの行列ができていたので、ふたたび来訪したのだった。鑑賞者はつるつるすべる床を歩く展示なので、エルメスの係の人は来る人来る人に足元をお気をつけ下さいと伝えている。係の人たちは内心、来訪者の足元に注意を促すためにエルメスで働いているんじゃないと思っているかもしれない。

有楽町から上野に移動し、東京国立博物館の表慶館で開催中のエルメス「レザー・フォーエバー」に向かうも、行列を見るだけでイライラしてくる人間にとっては地獄のような行列ができあがっていた。即、退散。きょうはやたらと行列に行く手を阻まれる一日だ。ところで、去年の東京藝術大学大学美術館でのフェンディ、いま銀座でやっているディオール、そして上野でのエルメスと、近年有名ブランドによる自身のブランドの歴史を紹介するエキシビションが目につくのは、こういうのが流行っているのだろうか。このての展示で共通するのは、職人が常駐して修復作業などを実演していることがあるが、もうひとつ気づいたのは「物販」がない。服やバッグの販売を商いとしているのだから物販をやってもいい気もするが、カタログを売るくらいでブランド品自体を売るコーナーを見かけることはない。一般の美術展とは逆だ。昨今の美術展では展示にちなんだグッズやお菓子を売りまくっているが、おなじようにやったらいいのに。最低価格10万円以上の物販フロアとかあるといい。

日比谷線で上野から六本木に移動。ドイツビールの店フランツィスカーで、ホワイトビールとフライドポテトの小休憩。街が暗くなったらミッドタウンのライトアップをのんびり眺めようと向かったところ、なんと大行列! また行列か。並んでたまるかとばかりに、有楽町に向かい、落ち着いた雰囲気の丸の内のイルミネーションを仰ぎ見て帰る。

移動中の読書は石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』(講談社文庫)。夕飯は近所のカフェで。