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Tuesday, January 1

起きて、身支度をして、いつもと同じようにすべての部屋をざっと拭き掃除して、普段よりいくぶん気合いを入れてメイクをしてからお雑煮づくりに取りかかる。お雑煮には鶏肉、せり、長ねぎ、なると、ちくわを入れる。昨年よりずっと美味しくできた。昨年同様、お屠蘇をおちょこではなくポーランドのビアマグでいただくため、食卓には漆塗りのお重、お椀、アラビアのお皿(取り皿として)、ポーランド陶器が脈絡なく並ぶ。

お正月は、1. おせち、お雑煮、お屠蘇をいただくこと 2. たとえ外出しなくても丁寧にメイクをしてお気に入りの洋服を着ること 以外はもうお正月でもなんでもないように過ごせばいいんじゃないかと思った。初詣に出かけるわけでもないし、初日の出を拝みに行くわけでもないし、元旦にやることと言えば本を読む、映画を観る、画集や写真集を眺める、悩みながら文章を書く、といつもと何ら変わることがないではないか。あるいはいっそ一晩クラブを借り切って騒ぐとか、外国で過ごすとか、0か100かという過ごし方を試みるのはどうか。それにしても穏やかないい天気で、とても空が綺麗だ。

11時から、きのうに引き続き松浦寿輝がMCを務める「ミュージック・イン・ブック~音楽と文学の交差点~」(NHK-FM)を聴く。きょうのゲスト川上未映子が「事後的にではあるけれど、『ヘブン』のテーマソングだと思っている」として、REMEDIOSの「Forever Friends」を選んでいた。僭越ながら「capriciu sound track 晩夏篇」でも名曲として選んでいることをこっそり告白。

『目ざめて腕時計をみると』(堀江敏幸/著、サンクチュアリ出版)を読む。モノクロ写真と小さなテキストからなるこの写真集(堀江敏幸初の本格的な写真集とのこと)のタイトルが島尾敏雄の『夢のかげを求めて―東欧紀行』(河出書房新社)の一節からつけられたことは、昨年4月、表参道のトーキョーカルチャートで「片岡義男+堀江敏幸展」を鑑賞したときに知ったわけだが、その『夢のかげを求めて―東欧紀行』が自宅の本棚に未読のまま収まっており、きょう現在に至るまで未だ読まず、の体たらくを嘆きつつ手にとってみればその一節は1967年11月14日、ちょうど島尾敏雄がポーランドのチェンストホーヴァという首都ワルシャワから200キロほど南にある街に向かおうとしている日に書かれたものであることがわかった。これは何としてでも早々に読まなければならない。

夜、お正月の食卓の花としてえらんだシンビジューム(蘭)がとても華やかで、眼福にあずかりつつ朝と同じおせちとお雑煮をいただく。今年目指すところとして、もっと家の中に花と緑を増やしたい。それを実現するべく、昨年末には食卓用に加えてソファの隣の小さな本棚に飾る花として深紅のバラをえらんだ。

食後は自宅シネマ2本。『モード・イン・フランス』(ウィリアム・クライン監督、1985年、フランス)と『スリ』(ロベール・ブレッソン監督、1959年、フランス)。

Wednesday, January 2

わたしにとって「毎年1月2日は写美の日」なので「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」を観に出かける(1月2日の東京都写真美術館は無料展示です)。「おめでとう写美クイズ」に答えると全員に何らかの賞品が当るというのでクイズに答えてくじをひいたら、おめでとうございますお客様大当たり! と言われ、非売品である写美カレンダーを渡された。2013年開催の展示の写真が12ヶ月分。これはけっこう嬉しい。「ニァイズ」を毎号欠かさず読んでるご利益だろうか。きょう観た展示では、笹岡啓子と田口和奈がとてもよかった。笹岡啓子の作品は岩場や波打ち際で釣り糸を垂れる人々を遠景でとらえたもので、本人の名前だけならいくつかの媒体で目にしていたけど、しっかり作品を観るのは初めてで、本当に素晴らしかったので、もう全作品観たい。ネットで情報を探していたら以前書かれた飯沢耕太郎のレビュー記事が見つかり、それによると笹岡啓子は一貫して大きな自然のなかに小さく人をとらえてきたとのことで、そしてそれはよくある、自然と人間とを両極に置くとらえ方ではなく

笹岡の写真では、なぜか両者とも、どこかはかなく消えてしまいかねない脆さ(弱さ)を抱え込んでいるように見えてくるのだ。その寄る辺のない印象をより強めているのが、霧、靄、水といった要素なのではないだろうか。それらをいわば自然と人間を包み込み、その中に浸透していく媒体として、繊細に、注意深く画面に写し込んでいくことによって、彼女の風景写真に特有の、肌理の細かい肌触りが生じてきている。

と飯沢耕太郎が書いている [1]ように、通り一遍のものではないということがよくわかる。

夜、湯船に浸かりながら岡本かの子『老妓抄』(新潮文庫)のなかから表題作の「老妓抄」を読む。浴室のなかで本を読むことはごくたまにしかしないけれど、不思議と集中できる。『老妓抄』は一編ずつ、ちびちびと読んでいる。

Thursday, January 3

寝床からもそもそと起き出したらりんごが剥かれており、珈琲が淹れられており、わー、と思い、それらをいただきながら窓の外を見るとブルーグレーの空をバックに大木が風に揺れており、とても寒そうだと思う。きょうは外に出るだろうか、部屋に籠りきりだろうか、年末からの疲れが出てしまい、食事のあと本格的に転寝。

お昼はベーコンとパプリカと小松菜のパスタ、グリーンリーフと玉ねぎとミニトマトのサラダ、卵とほうれん草のスープ、白ワイン。和食がちになるお正月、キリッと冷えた白ワインが爽やかでとても美味しい。一昨々日に続いて「80歳 ミシェル・ルグランの軌跡 第2回」を聴く。

夜はロッセリーニ3作品を鑑賞。『イタリア旅行』(1954年、イタリア/フランス)、『不安』(1954年、イタリア/ドイツ)、『ドイツ零年』(1948年、イタリア)を。

ちなみにきょうは堀江敏幸の誕生日であるらしかった。

Friday, January 4

翻訳についてつらつら考えていたところ、タイムリーな文献があると『図書』(岩波書店)1月号の鹿島茂と吉川一義によるプルーストをめぐる対談「プルーストの一〇〇年」を薦められたので読む。

お昼はレッドカレー、グリーンリーフのサラダ、ビール。

夜は、昨年末から楽しみにしていた、会いたかった方々との新年会。きょう会った方々に伝えたいことは言葉にするのが極めて困難なことばかりで、それを苦しみつつ言葉に変換していくことが今年の課題。

それにしても鎌倉に行きたい。お正月の鎌倉を楽しんだのは2年前のこと。いがらしろみのジャムのお店がある通りを歩きたい。何てことない通りだけれど。鶴岡八幡宮から海岸めざして歩いて、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居、と数えたい。江ノ島で焼いた蛸を食べたい。葉山にも行きたい。美術館に向かうバスに乗りたい。葉山マリーナを横目に見たい。森戸神社のあたりから海を眺めたい。関内の象の鼻パークにも行きたい。いまのわたしは海成分が不足している。

Saturday, January 5

朝、小さなクロワッサンひとつ、オレンジジュース、珈琲。

三菱一号館美術館で「シャルダン展 静寂の巨匠」を観る。解説には

平凡でありふれた日常の品々を形づくる曲線や斜線、陶器や金属など異なる素材が生み出す色彩の変化や光の反射を、シャルダンは好んで描いた。日々の道具、たとえば銅鍋や水差しなどの「用具の美」に気づき、表現できた画家は彼の前にはひとりもいなかった。これらをカンヴァスや銅板、木板など、異なる支持体に描くことにより、絵肌には独特の効果が表れる。

とあり、日常の道具をモチーフにした先駆者としても注目に値するけれど、なんといっても、小さく描かれたモチーフ、素朴で無造作なようでいて緻密に計算された複雑かつ絶妙な構図が興味深い。現存する唯一の花の静物画である「カーネーションの花瓶」という作品が魅力的だ。デルフト製の陶器に活けられた、白と赤のカーネーション、月下香、スイートピー、クロッカス、小さなユリを描いたもの。

昨年末にたいそう上等な海苔を頂戴したので、夕ごはんは手巻き寿司。手巻き寿司は準備がたいへん、食べるのもたいへん、後片付けもたいへん。具はネギトロ、かんぱち、マグロ、卵焼き、キムチ、鮭フレーク、ツナ、きゅうり。せりとなるとのすまし汁、ビールとともに。

寝る前に『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ監督、1945年、イタリア) を観る。

Sunday, January 6

朝、ツナをのせたライ麦パン、グリーンリーフと卵焼きと鮭フレークときゅうりとコーンのサラダ、オレンジジュース、珈琲。一部昨夜の残りを流用。お昼はカレーライス。カレーがあれば。きょうの自宅シネマは『銀河』(ルイス・ブニュエル監督、1968年、フランス/イタリア) と『罪と罰』(アキ・カウリスマキ監督、1983年、フィンランド) 。

  1. artscapeレビュー 笹岡啓子「VOLCANO」 []