56

Friday, June 22

私は観光ガイドのたぐいをいっさい読まない人間で、しかも地理に疎いものだから、旅の最中は偶然そこに立ち寄ったり、人に連れて行ってもらったりしないかぎり、なにがなんだかよくわからないまま動くのが常である。ずいぶん前、たまたまバスで通りがかっただけのモン=サン・ミシェルという浮かない浮島を虚構のなかで扱ったところ、なんとそれが世界的観光地で、誰知らぬ者のない名所だと教えられて驚愕したことがあった。要するに、常識がないのである。(『時計まわりで迂回すること 回送電車V』、堀江敏幸/著、中央公論新社)

「たまたまバスで通りがかっただけ」というのは俄に信じがたいパリからバスで四時間あまりはかかる僻地にあるモン=サン・ミシェルを訪れるツアーに参加するため、朝七時半に集合場所のギャラリー・ラファイエットにむかう。しばらく待っていると添乗員として姿をあらわしたのは社会科の教師のような風采の日本人中年男性で、行き帰りの車内でのこの人の話がとてもためになっておもしろいのだけれどまるで学校の授業のような雰囲気で、修学旅行気分でフランスを北上する。心配だった天気は問題なく良好。モン=サン・ミシェルに到着してからは昼食はじぶんたちで勝手に食べるというプランを選択したので、食事つきのツアーの一行とは別れて飲食店がならぶ道をどの店にしようか右往左往した結果一件の店に入るも、賑わうテラス席が埋まっていたので室内の席に座ったのだけれど店員はメニューすらもってこなくて、こちらから頼んでようやくメニューを持ってきたはいいが、今度は注文をとりにこない。東洋人の観光客だから冷たい対応をしているのかと思いきや、あとからやってきた隣に座った西洋人の家族づれにもメニューをもってこなくて家族づれはぼんやり途方に暮れているという、モン=サン・ミシェルの食べログがあったら悪口雑言が乱れ飛ぶのではないかと思われる状況に陥る。諦めて店を飛び出し、ちがう店に入る。こちらは普通に応対してくれて、料理もおいしくて、はじめからこの店にすればよかった。小島に築かれた修道院を見物しながら、マイケル・ケンナが写真集『IN FRANCE』でモン=サン・ミシェルの風景をカメラに収めているのを思い出し、こんな天候の変わりやすい風の強い場所でよく長時間露光の撮影をしたものだと感心する。夜、社会科の先生がおすすめしてくれたファミレスみたいな気軽なレストランでおいしい料理とワイン。

Saturday, June 23

あれは、留学生として二年間住む予定でパリに着いて、まだひと月か、ふた月しかたっていなかった頃だと思うが、だから一九七六年の晩秋の或る晩のこと、わたしはシャイヨー宮のシネマテークの夜九時半からの回で、フレッド・ジンネマンの『ジャッカルの日』を見たのだった。終電の時間が心に懸かりながらも、殺し屋がド・ゴール大統領暗殺に成功するかどうかが気になって途中で席を立つことができず、結局この長尺の犯罪映画を最後まで見てしまい、映画が終わるともう深夜零時をかなり回っていて、他の観客たちと一緒に走って地下鉄の駅に駆け込んだものの、案の定もう最終電車は出てしまった後だった。大学都市の寮にどうやって帰ったものだろうか。またパリの様子もよくわかっていない時期だったのだと思う。外国に住む留学生特有のあのやや空虚な解放感と、どこかよるべない、かすかに甘美な不安のようなものにあやされるような思いをしながら、わたしはとりあえずトロカデロ広場からぶらぶら歩き出したのだった。そして、どのくらい歩いてからだったのか、パッシーあたりか、ビル=アケムの河岸のあたりまで来ていたのだったか、とにかくどこかの高台の街角でふと眼を上げると、イルミネーションに照らし出されてきらきら輝くエッフェル塔が、思いのほか大きなシルエットで視界に立ち現われて、わたしは不意に衝かれるような思いで立ち止まってしまった。こんな美しいものがこの世にあるのかという感動で、動機が速まり、ほとんど躯が痺れるほどだったというのはいささかも誇張ではない。(『エッフェル塔試論』、松浦寿輝/著、筑摩書房)

鬱屈とした予備校時代に大森荘蔵の存在を教えてくれた現代文の過去問題集はのちの自身の思考をかたちづくるうえで重要な「文献」だったのだが、過去問題集に掲載されていた文章にはほかに松浦寿輝の『エッフェル塔試論』から抜き出された一節があり、これもまたひとつの煌めく星辰としてわたしの知識の星座を彩ることとなる。土曜日の早朝、メトロでトロカデロ駅で降りて、シャイヨー宮から望む、晴れわたる朝の青空を従えて屹立するエッフェル塔に息をのむ。周囲の売店がまだ営業を開始していない時間であるにもかかわらずすでに塔に昇るための長蛇の列が連なっており、高所恐怖症なので高い場所をあまり歓迎しないという心理的要因も相俟って、エレヴェーターを利用しての「虚空への上昇」(『エッフェル塔試論』)を避け、ジャン・ヌーヴェル設計のケ・ブランリー美術館の外観を仰ぎ見る寄り道をしてから、シャン・ド・マルス公園をエッフェル塔を背にして旧陸軍士官学校のほうへ歩いてゆく。アンヴァリッドを横目に眺めながら、『恋のエチュード』(フランソワ・トリュフォー/監督、1971年、フランス)でジャン=ピエール・レオが美しい草木や花壇そして点在する彫刻のなかを陰鬱な面持ちで歩いていたロダン美術館へむかう。降りそそぐ陽光と典雅な庭。メトロで少しばかり南下してつぎの目的地であるモンパルナス墓地に移動し、墓地を見てまわったのちリュクサンブール公園にむかってアイスクリームを頬ばりながら「パリは公園だけを訪れていても飽きない」(『パリを歩く』、港千尋/著、NTT出版)を実感しつつの散歩。いったんホテルに戻る途中でタダでもらった商品券を使うためにギャラリー・ラファイエットで散財し、夜はクルーズ船でセーヌ川をわたる。「イルミネーションに照らし出されてきらきら輝くエッフェル塔」を眺めたのをもって観光は終了。

パリにいかなる幻想も抱いていなかったこともあってさしてショックは受けなかったものの、歴史ある美しい街並という世界的に流通する商業的イメージのパリの印象しかないと吃驚するかもしれないのは、パリの街はひどくきたないということである。もちろん場所にもよるが、道のあちらこちらにゴミが散らかっており、いちおう毎日掃除はしているようだけれどいつも汚れている。こきたない街、パリ。しかし一方で、パリはどこまでも美しい。観光名所だけでなく市井の人びとが暮らしている通りを歩いてみても、美しいという形容詞を捧げることに抵抗はない。歴史ある美しい街並というイメージがけっして虚構ではないことをフランスの首都は誇示している。ひとたび顔をあげれば、どこまでも旅行者を圧倒する風景がひろがっている。目線を下げればこきたなく、目線を上げれば美しい。

Sunday, June 24

最近、シャルル・ド・ゴール国際空港からパリ市内に向かう高速道路等において、渋滞で停車している車両の窓を叩き割り、座席上のハンドバッグ等を奪う事件が急増しています。(外務省 海外安全ホームページ「シャルル・ド・ゴール国際空港からパリ市内に向かう高速道路上等での強盗被害に対する注意喚起」)

オペラ座前からシャルル・ド・ゴール国際空港まで約十五分おきに走るロワシーバスは、どの資料を参照しても所要時間はおよそ六〇分と書いてあったのだが、朝早く六時くらいの出発で高速道路も空いていたからなのか運転手がスピード狂で乗客の命など知ったことではないのかわからないが三〇分たらずであっさり着いた。空港内のちょっとしたカフェで朝食をとってから十時二〇分出発の飛行機で日本を目指すのだが、フランスから日本の直行便が出ているのだからそれで行けばいいのに手配されたKLMのチケットは一度オランダのスキポール空港まで飛び、そこから乗り換えて成田空港にむかうというルートを採用しているので、今回の旅のヨーロッパの玄関は入口も出口も空港からは一歩も出ていないオランダとなった。スキポール空港では売店の雑誌コーナーにあった『VOGUE』と『MONOCLE』に残りのユーロ紙幣を使うというほとんどネタとしての買いものをして、これからの十一時間の長旅に備える。機内食とビールとワインと睡眠。

Monday, June 25

日本に帰国。カレーを食べる。