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Saturday, June 16

異国は、本来、異国だというただそれだけのことで絶対の危険をはらんでいる。(『彼らの流儀』、沢木耕太郎/著、新潮文庫)

旅に出ると、日頃の生活からの解放感もあって、ついつい油断が生じがちです。こうした心のスキが、海外では、取り返しのつかない結果を招きかねません。(外務省 海外安全ホームページ「海外旅行を予定されている皆様へ」)

成田までが遠い。旅に、とりわけ異国への旅にむかわない理由として、長年にわたり利用してきたのが「成田までが遠い」という言い草だったのだけれど、上野から日暮里を経由して成田国際空港にたどりつく京成スカイライナーに乗ってみたら意想外にあっさりと到着してしまい、飛行機が離陸する三時間も前というやや早くにすぎる空港内のタリーズで、時間つぶしに珈琲を飲んでいた。午後一時半、昨晩うっかり熟読してしまったウィキペディアの「航空事故の一覧」というおそろしいページの内容を反芻しながら、KLMオランダ航空でアムステルダムにむけて出発する。ほとんど飛行機というものに乗らない身ゆえにエコノミークラスの座席の狭さにおののき、こんな場所に十一時間もいなければならないのかと少しばかり暗澹たる気分になるものの、世評はどうだか知らないけれどこのたび乗ったKLMはそれほど居心地は悪くなくて、なにより機内食はおいしい。離陸後しばらくは気流が不安定だったらしく機体がずいぶんと揺れた。「機体は揺れていますが心配ありません」とのアナウンスが流れるのだが、「揺れていますが心配ありません」って「黙って俺について来い」と同様の「なぜ」という問いを受けつけない強弁ではなかろうか。現地時間の夕方六時すぎ、オランダのスキポール空港に到着。日本との時差は九時間。雨天という天気予報を裏切って、あきれるほどの快晴。しかし好天に浮かれている場合ではなく、アムステルダムでは入国審査をしなければならない。まったく悪いことをしていないのに人に緊張を強いることでおなじみの空港審査。いくつかある入国審査の行列のひとつに並んだのだがぜんぜん先に進まなくて、ふたつ隣の列に目をやるとすいすい人が流れてゆく。すかさず列をチェンジ。そっと確認してみると最初に並んだ列はいやな感じの女性が担当で、ひとりひとりネチネチと質問攻めにしている。片やこちらの列はイオセリアーニの映画にでも出てきそうなやる気のない青年が担当しており、パスポートを見せるとか細い声で「ハロー」と挨拶の言葉をつぶやいてルーチンワークよろしくスタンプを押してくれてあっさり入国審査が終了。あっさり終わるのは嬉しいがどうかと思うほどのあっさりさ。というか、あの覇気のない人がいやな感じの女に告げ口されて首になったりしないか心配だ。もし今度スキポール空港を利用する機会があれば、またあの人の列に並びたい。広すぎて移動するのにくたびれて仕方がないスキポール空港から見える外の景色は、巨大ビル群が屹立していてまるで品川のよう。はるばる十一時間飛行機に乗って私は品川に来たのかと感慨に浸る。今回の旅の目的地はオランダではなく、アムステルダムはたんなる経由地なので、しばし空港内で待ちぼうけ。息抜きに飲もうとコロナビールを買う。はじめてのユーロ。KLMの小型機に乗り換えて目指すはベルギーのブリュッセル国際空港。時計を見ると夜の九時すぎなのに外はまだ明るくて、機内から見えるのはきれいな青空というのがなんとも妙な感じ。無事に着陸したと同時に機内で流れた音楽がなぜかコリーヌ・ベイリー・レイ。ベルギー関係ない。空港では現地語と英語のできるドライバーがお出迎えしてくれたが、こちらは外国語をしゃべるという能力がいちじるしく低いので、ホテルまでの移動中は車内を沈黙が包む。今回旅行会社におまかせしたのは航空券とホテル予約とベルギーのホテルまでの移動だけなので、あしたからはすべて自力で動かなくてはならない。

Sunday, June 17

一日か二日のこともあれば、数週間にわたることもあったが、いつも遠いはるかな異郷へいざなわれる心地になったそのベルギー旅行のうち、ある輝くような初夏の一日に私が訪れたのは、それまで名前しか知らなかった都市アントワープであった。(『アウステルリッツ』、W・G・ゼーバルト/著、鈴木仁子/訳、白水社)

朝、心配だった天気はさいわいにして崩れず。ホテルを出発し、ブリュッセル北駅からベルギー国鉄をつかって北に進路を取る。異国で交通機関を使うのはひと苦労で、そもそもどこで切符を買ったらいいのかわからず、日本人はおろか旅行者すら見あたらない陰鬱な空気を漂わせる朝のブリュッセル北駅を切符をもとめて彷徨い、なんやかんやでなんとか列車に乗り込む。二等車に四〇分あまり揺られて到着したのはアントワープ中央駅。顔を上にむけてエントランスホールの高い天井の先を見つめながら、ゼーバルト『アウステルリッツ』の冒頭を重ね合わせた。

中央駅はルイ・ドゥラサンスリの設計で、計画から完成まで十年の歳月をついやし、一九〇五年の夏に国王臨席のもとで開業をむかえたという。この駅の範として、レオポルド王がおかかえ建築家にすすめたのは、ルツェルン駅の新駅舎だった。とりわけ国王を魅了したのは、それまで駅舎建築の常であった低い天蓋を超えて劇的に高くそそりあがる天蓋のコンセプトだった。そしてこのコンセプトを、ドゥラサンスリはローマの万神展(パンテオン)にヒントを得て、すばらしく効果的に実現したのである。だから現代人の私たちですら、とアウステルリッツは語った、建築家のもくろんだ通り、このホールに踏み入ったとたんに俗世を離れ、世界の交易と交通に捧げられた大伽藍(カテドラル)の中にいるかのような感慨に打たれてしまう。

『アウステルリッツ』では駅に隣接する動物園について劈頭語られているが、旅の軌道は反対側、ノートルダム大聖堂のほうへ。朝早くしかも日曜日に訪れたので開いていない店舗がほとんどで人もまばらのなか、フルン広場からノートルダム大聖堂を眺めて市庁舎まで歩き、そのままシュヘルド川ちかくまで散歩してステーン城を見物する。『地球の歩き方』を参照するとそれまであった海洋博物館がべつの場所に移転してからはステーン城は内部公開されていないとあったが、確認したところカフェになっている。雰囲気のある場所を人はカフェにしがち現象は世界各地で発生している模様。あす月曜日は美術館が軒並み休館なので美術館めぐりを本日に詰め込んで、まずはモード美術館(MoMu)に向かおうと意気込んだものの、地図を睨んでも道順がいまいち判然としなかったので、すかさずiPhoneをとりだしグーグルマップで「MoMu」と入力して検索。が、グーグルマップの回答は「“揉む”のことでしょうか?」。ばかにしてるのか。アントワープの道端でiPhoneになめられる。たどり着いたモード美術館で「LIVING FASHION Women’s Daily Wear 1750-1950」を鑑賞し、展示室にはほかにベルギーの女子学生らしき集団だけで、周囲に男が私しかいないという日本のカフェでしばしば陥るハードボイルドな光景が再現される。日曜日のため閉じていた併設の書店のショーウィンドウをじろじろ見ていたらハンマースホイの画集を発見。国立西洋美術館での展覧会カタログを購入しなかったのをずっと悔いつづけ、古本屋で画集の棚をまえにするたびにカタログがないかを捜してしまう癖が抜けなくなってしまったハンマースホイの呪縛。アントワープで画集に遭遇するとは。あとで調べたらコペンハーゲンで催された展覧会の図録らしく、値段は五〇ユーロ。欲しくてしょうがないけれど店がやっていないので諦めて移動し、市庁舎付近の店でお昼ごはん。ステーキとサラダとフリッツとベルギービール。食後、アントワープの街中を少し散策してブリュッセルに戻る。アール・ヌーヴォー様式のブリュッセル中央駅で下車してすこし歩いてモン・デ・ザール(芸術の丘)へ。もこもこの雲が天空を覆い広大な庭園とその先の街並が見わたせる光景が美しい。つづいての美術館訪問はロワイヤル広場の南西にどっしり構える王立美術館で、古典美術館と現代美術館から成るベルギー最大の美術館だけれど、残念ながら現代美術館は改装中(そういえばアントワープの王立美術館も工事中だった)のため古典部門のみを鑑賞するが、それでもブリューゲルやルーベンスの絵画をじかに観れたのは嬉しい。ルーベンスの大作がどーんどーんどーんと、わりと野ざらしな感じで立て掛けられてあったのが印象ぶかい。閉館までの残り時間を気にしつつマグリット・ミュージアムに駆け込む。二〇〇九年にオープンしたばかりの新しい建物なのだが警備がずいぶんと厳重で、入口で荷物はロッカーにしまえと注意をうけるのだが、じゃあなんでルーベンスの絵画があんな野ざらしな感じで置いてるのかといくばくかの疑問を抱えつつ、マグリットの作品をざざざっと鑑賞。マグリットの描く青空に浮かぶ雲と、本日ずっと見つづけたベルギーの風景とが重なりあって、すっと腑に落ちる感覚を賞翫する。同時に開催中の企画展(スタンリー・キューブリックの写真展)はさすがに時間切れで間に合わなくて、怒濤の美術館めぐりを終え、今度はアーケード街のギャルリー・サン・チュベールに足をむけ、目指す行き先は本屋。外国に来ても本屋に行く。二階の吹き抜けからの眺めが素晴らしいトロピズムという書店で、昼間に見つけたハンマースホイの画集を発見してしまう。画集なんて重い荷物になるし、事前にアマゾンで調べたら日本で買ったほうが安いのはわかっていたけれど、旅の記念とばかりに買ってしまう。しかしよくよく考えてみれば、というより考えなくても自明であるが、ハンマースホイってデンマークの画家でありベルギー関係ない。夕食までのあいだ聖ミッシェル大聖堂の見える小さな公園のベンチで休んでいたら、目の前には日本の震災の惨状を伝えるパネル展示があって、浮浪者らしき男に「Don’t worry」と話しかけられる。あなたのあしたの暮らしのほうを心配したほうがよいのではないかと思われるがいかがか。夜七時前、圧倒的な玲瓏たる建物に囲まれて思わず感嘆の声をあげてしまうけれど、あまりの偉容にケバケバしさすら感じてしまう世界遺産のグラン・プラスに到着。ムール貝の白ワイン蒸しとフリッツとベルギービールという夕食をグラン・プラスの建造物を眺めながら。それにしても夜九時をまわってもあたりは日中のような明るさで子どもがボールを蹴って遊んでいる光景には慣れない。

Monday, June 18

あなたは、たった一夜ベルギーの存在を忘れて眠りについた罰に、生涯繰り返しベルギーに送り返される運命にあるのだ。しかしベルギーを呪ってはいけない。ベルギーには何の罪のないのだから。ただ、そういう国が存在するというだけの話であって、あなたには、それを旅人の便宜で、目の上の瘤のように取り扱う権利はないのである。(『容疑者の夜行列車』、多和田葉子/著、青土社)

朝、土砂降りの雨。日本であればとても外出などしない空模様だが、時間を切り詰める旅行者の勢いでホテルを出て地下鉄の駅を目指すものの、服も靴も靴下もびしょびしょになってやる気を一気に削がれ、そそくさとホテルに逆戻りして計画を練りなおす。ホテルでしばらく待っているとさきほどの沛然たる豪雨が嘘のように陽光が射し込んできて、気まぐれなベルギーの天気にしてやられる。ブリュッセル北駅からベルギー国鉄をつかって北西に進路を取る。鉄道の一等車と二等車のちがいはどんなものかと一等車に乗ってみたのだが、これが階級社会かという短絡的な結論に飛びつきたくなりそうなほど露骨なまでに一等車に乗っている人たちは身なりや雰囲気がよい。一時間半ほど列車に揺られて北海沿岸のリゾート地オステンドに到着。なんとなく逗子に来た気分。はるばる十一時間飛行機に乗って私は逗子に来たのかと感慨に浸る。家の近くにこんな公園があったらどんなにいいだろうと思うレオポルド公園を散歩してから海を見にゆき、バカンスの季節にはまだ早いので人の数はそれほどでもない砂浜で、北海の先のうっすら霞むイギリスを眺めた。海沿いを歩いていると昼食の時間、適当にはいったレストランで、きのうの夜につづいてムール貝の白ワイン蒸しとフリッツとベルギービール。昨晩食べたムール貝の白ワイン蒸しはそれなりにおいしかったけれど、もっとおいしいムール貝が存在するのではないかという期待を抱かせるもので、その期待の味がこちらだった。生涯のほとんどをオステンドで暮らした画家アンソールの家が再建されて記念館になっているジェームズ・アンソール・ハウスに立ち寄り、扉を開けて出迎えてくれた受付の人が、あなたほどアンソールの記念館で働くに相応しい人もいないのではないかと言いたくなる相貌の中年女性だった。本当はオステンドでポール・デルヴォー美術館にも行きたかったのだが、オステンドからさらにローカル列車に乗るという海外旅行初心者には難易度の高すぎる道程なので今回はパスして次回(があるとして)にする。オステンドの通りを歩きながら聖ベテロ&パウロ教会を眺めてつぎの目的地ブルージュへと向かう。ブルージュの街並はどれほど形容詞を重ねても追いつかないほど素晴らしく、凛とした佇まいの瀟洒なベギン会修道院はもちろんよかったけれど、のみならず街並すべてが美しすぎて目眩がする。途中で道に迷って観光客はおろか地元の人すらまばらの道に迷い込んでしまったのだが、どこを切り取っても絵になる都の相貌にどうなっておるのかこの街はと言いたくなる。ナポリを見てから死ねというイタリアの諺があるけれど、ブルージュを見てから死ねという諺があってもいいかもしれない。街の中心部マルクト広場のカフェでベルギービールを二杯。広場をぐるっと囲むようにカフェやレストランがずらりと並んでいて、店名はちがってもテント庇はどれも緑色でおなじだ。景観を考えて一緒にしているのだろうか、それともこの辺いったいの飲食店を牛耳る商魂たくましい観光客の誘致に躍起な緑色好きのゴッドファーザーが取り仕切っているのだろうか。もし万が一後者であったならば、美しい街ブルージュの闇をみる思いである。