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Monday, May 21

前夜のラジオ番組にて。聴取者からの質問にこたえるかたちで翌日の金環日食について「まったく興味がない」と歯切れよく語りながら「日食よりも日食を見ている人に興味がある」と喋っていたのは菊地成孔だったけれど、金環日食をめぐっては大衆的なメディアの情報をさして熱心に追っていなくとも世間のざわざわとした「狂騒」は伝わってきて、煽って煽ってスペクタクル化しなければ「興奮」も「感動」も生じないのであれば人の感受性というものもいよいよ末期的症状ではなかろうかとのいささか斜に構えた感想をもちつつ、窓からそそがれる光量の減少を否が応でも感知せざるをえない朝を迎える。おそらく大半の人はメディアの閉塞的な熱狂をかるく眺めながら「興奮」や「感動」とはいくばくかの距離をとっているのが実際のところであろうが、とはいえ金環日食になどまるで興味がないという表明がいささか疎外的に響いてしまう程度には「興奮」や「感動」が瀰漫している状況であることは拭えず、いまここで唐突に固有名詞を登場させてみるならば、なんとなく世間一般に蔓延る「興奮」や「感動」に対してきわめて敏感であった書き手がナンシー関だったのだと、天体ショーの幕開けに思い出す人物として適切であるかは甚だ心もとないが思い出してしまったものはしかたがない。この夏、ロンドンオリンピックというスペクタクルにおいて似たような「興奮」や「感動」が反復されるだろうことを想像すると辟易してしまう。

夜、白米、辛子明太子、豆腐の味噌汁、塩辛、鰺のひらき、大根おろし、ビール。

『カフカ式練習帳』(保坂和志/著、文藝春秋)を読んでいると「変態はイデオロギーで、露骨は観察」とあって、先週の日記でセザンヌの変態性にふれたけれどセザンヌは終生「露骨」の人だったのかもしれない。

Tuesday, May 22

東京スカイツリーが開業。ギー・ドゥボールの本でも繙きたくなるほどの二日連続スペクタクル。

「KAWADE道の手帖」(河出書房新社)の吉田健一特集で保坂和志がエッセイで言及している『瓦礫の中』と『東京の音』が読みたくて、近所の図書館をさがしてみるものの単行本も文庫もみあたらず、判型が大きくて通勤中に読むにはやや難儀だけれど『吉田健一集成』の第七巻に両方の小説がはいっていたので手にとったら差し挟まれた「月報」を書いているのが金井美恵子で、目をとおしてみたらいきなり「この集成にははいっていないが」とのことわりではじまり『埋れ木』という吉田健一が遺した最後の小説について延々語るという、読む者を翻弄するようなきわめて吉田健一的世界が展開されるこの「集成」はいったいなんだ。

夜、明太子と大葉のパスタ、白ワイン。

Wednesday, May 23

フランドル絵画について調べている。参考文献として『ルーベンス回想』(ヤーコプ・ブルクハルト/著、新井靖一/訳、ちくま学芸文庫)。

夜、白米、しらす、豆腐と万能葱の味噌汁、焼き魚(鰈)と檸檬醤油、塩辛、ひじきの煮物、胡瓜と味噌、ビール。

Thursday, May 24

震災による原子力発電所の事故をめぐって、放射能汚染による死者数と自動車事故による死者数を比較するロジックについて論争めいたもの(?)があったように記憶しているが、そもそも自動車自体とりわけ都市部においてはなくてもよいと考えている人間にとって思い出すのは『自動車の社会的費用』(宇沢弘文/著、岩波新書)で、ひさかたぶりに読み返してみたら、

歩行者の安全が保障されないような道路構造のもとでは、自動車運転者がどのように細心の注意をはらおうとしても、交通事故を防ぎえないことはいうまでもない。このような道路で、歩行者に危害を加える危険性が非常に高いことを知りながら、自動車運転をおこなおうとするのは、どのような倫理感をもった人々なのであろうか。

とある。

夜、ベーコンとほうれん草のペペロンチーノ、ベビーリーフと胡瓜とコーンと白胡麻のサラダ、ビール。

Friday, May 25

『古井由吉自撰作品』(河出書房新社)第一巻のなかから書下しの「半自叙伝」と朝吹真理子の解説と『杳子』を読む。会社の帰りに本屋で『きのう何食べた?』(講談社)第六巻を購入。

夜、ビーフハヤシライス、ビール。

Saturday, May 26

渋谷ヒカリエの8/CUBEキューブで「荒木経惟/花ト恋人」展。隣のフロアで教育セミナーみたいなものをやっている音が漏れ聞こえてくる。こちらはアラーキーの撮った女の裸体と花の写真。

青山にあるAtoZ Cafeの屋上テラスでランチとビール。前景にはプラダ、中景には六本木ヒルズと東京ミッドタウン、後景には東京スカイツリー。

「本の島」のイベントに参加するため青山ブックセンターへ。「本の島」とは青土社の編集者・津田新吾が生前構想していたあたらしい出版のかたちで、青山ブックセンターが断続的に催しを開いてきたけれど、このたびは雑誌『本の島』が刊行されたのを記念して堀江敏幸と吉増剛造によるトークショー。

私が最初に津田新吾という編集者の名前を記憶することになったのは学生のころに読んだ『ジェンダー・トラブル フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(ジュディス・バトラー/著、竹村和子/訳、青土社)で、いまあらためて確認してみたら訳者はつぎのように書いている。

わたし自身の仕事と重なってしまったために、出版は当初の予定からずいぶん遅れてしまったが、寛大に、しかし鋭く催促し、また編集者として種々の助言を与えてくださり、校正時にはさまざまな配慮をしてくださった青土社の津田新吾さんに、この場を借りて篤くお礼申し上げる。/本稿を校正しているときに母が急逝した。わたしがこのような研究をし、このような著作の翻訳をしたいと願うのは、母の人生の思いが遠く近くにいつも感じられていたからだった。

津田新吾も、そして竹村和子も、もうこの世にいない。

愉しい時間だったトークショーでなにより感心したのは堀江敏幸の話術で、わりと自由奔放にしゃべる吉増剛造に柔軟かつ適切に切り返す様子をながめながら、『堀江敏幸が教える実践トーク術』とでもいった類いの本でも出したらよいのではないかと思う。ところで最後に観客から質問を受けつけていたが、個人的には堀江敏幸に聴いてみたいことはいろいろある。「髪の毛がさらさらですけどシャンプーは何を使っているんですか?」とか「これまでに断った原稿依頼はあるんですか?」とか「着ているジャケットはどこで買っているんですか?」とか。

六本木に移動して、「さわひらき/追伸」(オオタファインアーツ)、「ミリアム・カーン/私のユダヤ人、原子爆弾、そしてさまざまな作品」(ワコウ・ワークス・オブ・アート)、「森山大道/カラー」(タカ・イシイギャラリー)、「鈴木伸吾/浮島」(ゼンフォトギャラリー)。移動中の読書は『植物記』(牧野富太郎/著、ちくま学芸文庫)。

Sunday, May 27

練馬区立美術館で「鹿島茂コレクション2/ジョルジュ・バルビエ+ジャン=エミール・ラブルール アール・デコ、色彩と線描のイラストレーション」を鑑賞ののち、日比谷公園のオクトーバーフェストでドイツビールとソーセージ。ほろ酔いアート遊覧、銀座で「岡本光市/switch」(ポーラミュージアムアネックス)と「マイケル・ケンナ/IN FRANCE」、四谷で「ROOMS」(Place M)。