モホイ=ナジは移動する。絵画、写真、彫刻、映画、グラフィックデザイン、舞台美術、出版など多様な活動を展開したハンガリー生まれの美術家モホイ=ナジの生涯を俯瞰すると、みずからの拠点をつぎつぎと変える人生であったことが見てとれる。彼の軌跡は祖国ハンガリーにはじまり、ウィーン、ドイツ、オランダ、イギリスといったヨーロッパ各地をへて、最後はアメリカにいたる。移動の人、モホイ=ナジ。しかしその移動は美術家本人の強い意志にもとづいてというより、当時の社会情勢の影響がおおきかった。ふたつの世界大戦を経験したヨーロッパという土地がモホリ=ナジに移動を強いたのである。現在、神奈川県立近代美術館・葉山館では、美術家の活動の軌跡とともにその全体像を窺い知ることができる「視覚の実験室 モホイ=ナジ/イン・モーション」展がひらかれている。
モホイ=ナジに移動を強いたのは戦争であるが、美術家になる動機を与えたのもまた戦争であった。モホイ=ナジは第一次大戦でドイツ・オーストリア同盟軍に従軍し、軍から配給された葉書に兵士の姿や日々の事柄を表現主義的なタッチで何枚も描きつづけた。その後画家としてデビューしたモホイ=ナジは幾何学的な絵画やコラージュといった構成主義的な方法論に傾倒してゆき、ハンガリーの前衛雑誌『MA』とかかわりながら創作をおこなうなか、母国ではハンガリー革命が勃発し共産主義政権が誕生する。モホイ=ナジは時の社会体制に協力を試みるものの受け入れられずウィーンに亡命することとなる。モホイ=ナジの移動の人生がはじまった。構成主義の画家として認知されだしたモホイ=ナジは、彼のその後の人生において重要な位置を占める人物とめぐりあう。「彼は思想家ならびに発明者として、また著述家、教育者として、一挙に功をとげた」とモホイ=ナジが世を去った際に追悼のコメントを残すことにもなる、バウハウスの創立者で建築家のグロピウスとの出会いである。グロピウスはベルリンのデア・シュトゥルム画廊におかれたモホイ=ナジの作品に目をとめ、バウハウスの教師として招聘した。ヨハネス・イッテンとパウル・クレーがうけもっていた授業の後任として、バウハウスでモホイ=ナジは「芸術と科学技術の統合」を目指しながら創作と教育に取り組んでゆく。モホイ=ナジとは作風のまったく異なるイッテンやクレーの後任、という事実は興味ぶかい。
もともとモホイ=ナジが美術という表現領域で目的とした表現は、特定の事物や個人的・内面的な感情に重きを置いたものではなかった。彼の関心は自己を取りまく現実をどう解釈するかであり、現状を未来に向かってどう変革できるかに重点が置かれていた。(井口壽乃『ハンガリー・アヴァンギャルド—MAとモホイ=ナジ』)
モホイ=ナジは従軍時代に葉書にスケッチしていた作風からはもはや遠く離れた場所に立っている。モホイ=ナジの関心は、内面の表出としての芸術作品ではなく、科学技術をどのように美術のなかへと組み込んでいくか、造形的探究がいかなる視覚的効果を生むかに向いていた。
モホイ=ナジのバラエティに富む活動のなかで鍵となるのはやはりカメラであろう。モホイ=ナジはカメラにたんなる記録装置以上の可能性を見ていた。バウハウス時代にモホリ=ナジは『絵画・写真・映画』という「教科書」を執筆しているが、論考の力点は「写真」や「映画」にあり、「絵画」それ自体にはない。「伝統的な絵は歴史的となり、終わっている」とはっきり告げている。あるいは別の著作のなかでも「手の絵画はその歴史的な重要性を守るだろう。が、おそかれ早かれその独占を失うだろう」(『ザ・ニュー・ヴィジョン』)と語っている。
リアルフォト、フォトグラム、フォトモンタージュといった作品を精力的に発表したモホリ=ナジ。フォトグラムはカメラを用いずに印画紙の上に物をおいて感光させる手法であるが、カメラを使わない技術に熱中したのもカメラを用なしと考えたのではなく、カメラという装置への逆説的な関心のあらわれであろう。モホイ=ナジは「未来の社会で文盲と呼ばれるのは、ペンと同じくカメラを使えない人だろう」という言葉を残しているほどであるから。
ナチスドイツが前衛作品に対して退廃芸術の烙印を押す時代が到来すると、グロピウスがバウハウスを去るのを後を追うようにしてオランダ、そしてイギリスへと居を移動する。その間に、舞台美術や広告、カラー写真の開発などさまざまな仕事をこなしている。そして、ハーバード大学建築学部長の職にあったグロピウスの要請でシカゴへと赴き、新天地でバウハウスの教育理念を継承するニュー・バウハウスの学長をつとめる。ニュー・バウハウス自体は財政の問題もあり一年で閉鎖するが、新たにスクール・オブ・デザインという名の教育機関を設立し、後進の育成に尽力した。
展覧会ではモホイ=ナジがアメリカに渡ってから撮影されたコダクロームフィルムの35ミリスライドが展示されている。みずから指揮をとる教育機関の夏期講座での学生たちの様子や家族たちとの日常のひとコマ、グロピウスの姿といったカラー写真がつぎつぎとスクリーンに照射されてゆく。それらは一見きわめてプライベートな眼差し、家族や知人を写したよくあるスナップショットのようにも見える。だが、けっして凡庸でない構図やほぼすべての写真にタイトルがつけられていることを考慮すれば、モホイ=ナジは意識的に「作品」として撮影したことはあきらかであろう。なにげないように見える写真の数々が、移動を繰り返し、前衛的な写真表現を追究しつづけた美術家の結晶として輝きを放っていた。