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Monday, August 15

上野へ。国立西洋美術館で「自然と人のダイアローグ フリードリヒ、モネ、ゴッホからリヒターまで」「西洋版画を視る エッチング:線を極める、線を超える」「調和にむかって ル・コルビュジエ芸術の第二次マシン・エイジ」、常設展を観る。今回、「自然と人のダイアローグ」の展覧会グッズのトートバッグにカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの絵が使われており、すごい時代になったもんだと思う。カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは今回のこの展示の要のひとつであり、そもそも重要な画家であるが、そういう画家じゃないんだけどな〜という思いにかられる。まあ別にトートバッグになってもいいんだけどさ…。

会場にはところどころに画家や哲学者の言葉が引用されていた。

睡蓮は世界の一瞬間。それは両の眼の朝。
夏の夜明けの不意打ちの花である。
ーーガストン・バシュラール

Tuesday, August 16

『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(ペドロ・アルモドバル監督、1988年)を鑑賞。観てないのに観た気になってしまうほど有名な映画を初めて観たのだけど、なんと、素晴らしい娯楽作。よくこういう脚本思いつくなあ…と凡庸の極みであるわたしは感動をおぼえる。

Wednesday, August 17

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夫はきょうから仕事だが、わたしはきょうまで夏休み。新宿まで出て、SOMPO美術館で「スイス プチ・パレ美術館展 印象派からエコール・ド・パリへ」を観る。この展覧会では、わたしの大好きな絵、モイズ・キスリングの《サン=トロペのシエスタ》が出品されている。2019年の庭園美術館でのキスリング展で出会って一目惚れした絵に再会。嬉しい! ほかにも、ヴラマンク、キース・ヴァン・ドンゲン、ヴァロットン、ユトリロなど好きな画家の絵を適度な人口密度の空間でじっくり観ることができた。ニコラス・アレクサンドロヴィッチ・タルコフの《ダンス》、ロジェ・ビシエールの《台所のビシエール夫人とロート夫人》、テオフィル=アレクサンドル・スタンラン《2人のパリジェンヌ》が印象に残ったのだが、これら3名の画家のことはまったく知らなかった。

美術館を出てフラフラとブックファースト新宿店に吸い込まれ、気づけば2時間近く経っていた。4冊購入。ルミネにも寄ってnailsincでネイルを2つ買う。渋谷で下車し、渋谷フクラスのMaduで器を、キャトル・セゾンでマグカップを買う。ヒカリエのsmithでMOGLEA×DELFONICSコラボアイテムの手鏡とラッピングペーパーを買う。気ままに消費するといつも、行き着く先には何がある? とぼんやり自問自答する。

Saturday, August 20





「浅間国際フォトフェスティバル2022 PHOTO MIYOTA」会場であるMMoP(モップ)に到着。新型コロナウィルスの煽りをうけて2年ぶりの開催となったが、わたしたちとしては3度目の参戦で、あおあおとした緑の中に写真が点在する光景はもうすっかりお馴染みだ。

ロバート・ザオ・レンフイ、エリック・ケッセルス、ロレンツォ・ヴィットゥーリ、木村和平、水谷吉法、野村佐紀子、細倉真弓、沢渡朔、森山大道、小林健太、グレゴリー・エディ・ジョーンズ、ピクシー・リャオ、吉田志穂、イェレナ・ヤムチュック、トーマス・マイランダー、エリック・ケッセルス・セルジオ・スメリエリ、ヴィヴィアン・サッセン、石内都、大杉隼平、キム・ジンヒの作品を鑑賞。ウクライナの作家イェレナ・ヤムチュックがオデッサ(オデーサ)に住む人々を被写体にした作品がよかった。「2014年からロシアの侵攻が始まった状況下で、オデッサ軍事アカデミーで訓練を受け始めていた10代の若者たちのポートレイトなども撮影している。その後、現在のロシアの攻撃によってウクライナに暮らす少年少女たちも被害を受け、予期せずこれらの写真には新たな意味が付与された」。1970年に生まれたイェレナ・ヤムチュックは鉄のカーテンを越えて亡命したため何年も母国に帰ることができなかったという。

お昼は敷地内にある「STEAK HOUSE Feu」のテラス席にて。涼しい風を受けて、テラス席には我々のほかに誰もいなくて、快適このうえない。食事が進むにつれて目の前の浅間山の山頂にどんどん霧がかかり始め、やがて雨が落ちてきたが、それほど本降りにはならなかった。もう一度展示会場をめぐって、敷地内にあるセレクトショップCERCLE plusで赤白ワイン、調味料、ジャムなどを買って会場を後にする。