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Thursday, February 8

ネットを立ち上げたらきょうのGoogleロゴはパウラ・モーダーゾーン=ベッカーだったので驚いた。神奈川県立近代美術館葉山で彼女の絵を観たのはいつだったか。展覧会の期間を調べたら2016年1月から3月までだった。評伝を読みたいと思いつつ読んでいない。

テジュ・コール『オープン・シティ』(小磯洋光訳、新潮社)を読了。

私は幸福感というものがいかに儚く幸福感の根拠がいかに脆いか気がついた。雨降りの世界から入った暖かいレストラン、料理とワインの匂い、興味深い会話、上品な桜材のテーブルに降り注ぐ仄かな陽の光。これくらいのことで、幸福な気分はあるレベルから別のレベルへと移る。チェスのコマを動かすのと同じだ。幸福な時の只中にそれに気がつくこともコマを動かすことであり、かすかに幸福感を失うことだ。
(p.152)

本能的に赤ん坊を救い、少し幸せを感じた。生き延びたルワンダ人と時を過ごし、少し悲しくなった。人が死ぬと名が消えることは、もう少し悲しいし、複雑な関係を持たずに性欲が満たされるのは、もう少し幸せを感じる。そんなふうに思考の後に思考が続いた。人間の状態とはなんと他愛ないものだろう。私たちは内なる環境を整えるために不断の努力を課せられているのだ。いつまでも雲のように放り上げられているのだ。案の定、私の心はそんな意味を述べもしたし、それに居場所を割り当てた。少しの悲しみという場所を。私たちが歩いている通りにかつて流れていた水は、フラジェの中央にある人口の池に流れ込んだ。やがて池は破壊され中央分離帯が作られた。最古の神話の中で、陸が海を分けて誕生したときのように。

夜になった。アパートメントに入って服を脱ぎ捨て、裸のまま闇の中でベッドに横になった。大きな雨粒が部屋の窓を叩く。あの天気予報は正しかったのだ。私がいた場所から雨は同心円状に広がりヨーロッパの大地を襲っていた。雨はポルトガル人街の全域に激しく降り注いだ。フェルナンド・ペソアの祭壇にも、カフェ<カーザ・ボテーリョ>にも。雨はハリールの電話の店に降った。そこではファルークが仕事を始めていたかもしれない。雨はレオポルド二世の銅像の頭に降った。クローデルの碑にも、パレ・ロワイヤルの石畳にも。雨は降り続けた。街はずれのワーテルローの戦地にある、ライオンの丘、アルデンヌの森、無数の若者たちの骨が歳を重ねている憎しみの平地に。そして西の彼方にある無傷の街や、イーペルの街や、フランドルの大地に身を寄せ合い点在する白い十字架たち、荒れ狂う海峡、北の極寒の海までも。それからデンマークにも、フランスにも、ドイツにも。
(p.156-157)

Saturday, February 10

横浜美術館で「石内都 肌理(きめ)と写真」、「横浜美術館コレクション展 – 全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」を観る。石内都の廃墟アパート写真と、横浜・横須賀の点景写真をやっと、初めてまとまった形で観ることができた。強烈だった。街だろうが建造物だろうが身体だろうが衣服だろうが、撮られているものが皆たしかにそこに在った。原寸大で撮っているわけでもないのに、目の前に存在していた。常に1:1で対象と対峙する石内都。コレクション展もみっちり観たので少々疲れた。

夜、窓を開けると雨が降り、いくらか温かい空気に変わっていた。きょうは18日ぶりに10℃を超えたらしかった。