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Monday, April 9

晴れ。スギ花粉はだんだん収束してきた模様。新緑の季節へ。

朝の通勤中、駅からの徒歩の道のりで、どこの会社かは知る由もないが新入社員とおぼしき人びとが固まって歩いているのを目にする。似たようなスーツを着た集団がぞろぞろ歩いている光景はいささか気味が悪い。彼/彼女らはなぜそんなにも群れたがるのだろう。

『現代日本の批評 2001-2016』(東浩紀/監修、講談社)を読む。東浩紀、市川真人、大澤聡、佐々木敦、さやわかによる座談会にたいして特段の感想はないのだが、インターネットで東浩紀を検索したときの画像結果を眺めては、どうしてあんな相貌になっちゃったのと思うばかりである。

夕食、白米、ほうれん草と長ねぎの味噌汁、野沢菜、豚の角煮と大根の煮もの、ビール。

Tuesday, April 10

無駄に忙しい一日。大西巨人『神聖喜劇』(光文社文庫)の第3巻を読み終える。

ここ最近のファッション誌やカルチャー誌をひらくと差し挟まれているUNITED ARROWSによる以下の広告。

広告にはクレジット表記が一切ないのでモデルが誰だかわからないのだが、なんとなく既視感があると思って記憶を手繰りよせ、撮影場所はFreunde von Freundenで紹介されているパリ在住の建築家の自宅ではないだろうかと気づく。
Freunde von Freunden : Louise Brody & Charles Poisay
部屋のレイアウトはちがっているけれど、壁に掲げられている絵画はおなじものである。

夕食、白米、長ねぎとわかめの味噌汁、まぐろの刺身、ほうれん草の胡麻油炒め、鶏肉とキャベツの蒸し煮、ビール。

Wednesday, April 11

本日も無駄に忙しい一日。

酒井直樹『ひきこもりの国民主義』(岩波書店)を読みながら、戦争について考えることはつまるところ戦後について考えることなのだと、しみじみ思う。他国と戦争をするのであれば、開戦時点で戦争の終わらせ方を考えておかなければならない。戦争の終わらせ方の見通せない戦争などすべきではなく、可能なかぎり外交的努力によって解決を図るべきである。さらには、終わらせ方のみならず、戦争が終結したのちの相手国の戦後を想定できないような戦争は回避したほうがよい。それは反戦というより、回避したほうが自国にとって身のためだからだ。

夕食、豚肉とほうれん草のアンチョビパスタ、アボカド、赤ワイン。

Thursday, April 12

三たび無駄に忙しい。だんだん雑誌の京都特集にたいして食傷気味になっているものの、『Hanako』(マガジンハウス)の京都特集を買ってしまう。

帰宅途中に花屋によって、ユリの花束を買う。

数々の裸体写真が繰り出されるので満員電車内で読むにはやや憚られる、森貴史『踊る裸体生活 ドイツ健康身体論とナチスの文化史』(勉誠出版)を自宅で読了。

夕食、キャベツとパプリカのキーマカレー、新玉ねぎとカッテージチーズのサラダ、ビール。

Friday, April 13

あいもかわらず無駄に忙しい。

会社の昼休みにベルント・シュティーグラー『写真の映像 写真をめぐる隠喩のアルバム』(竹峰義和、柳橋大輔/訳、月曜社)を読んでいると、自宅の書架に眠る写真集のいくつかを見返したくなり、まったくもって労働なんてやっている場合ではない。

日本経済新聞などの紙面を賑わす、流行りにのったビジネス寄りの人工知能の話題に辟易してきたところで、郡司ペギオ幸夫『生命、微動だにせず 人工知能を凌駕する生命』(青土社)を読む。

脳科学は、脳に、非同期的並列分散処理と同期的逐次処理を見出し、事前と事後の区別を見出し、事前・事後の情報処理の再帰的繰り返しによって、脳をシステムとして理解し、意識をその結果もたらされる脳活動の機能として捉えようとする。それは、脳を計算機とのアナロジーにおいて捉えようとする研究戦略であり、事前・事後の双対空間の中で意識を捉えんとする試みである。しかし、そこには双対空間からの逸脱、或る双対性から別の双対性への逸脱の連鎖がない。情報論的に情報の統合を定義し、全体的機能=意識を見出そうとする研究戦略もまた、逸脱の連鎖を見逃すことになる。無際限な逸脱の連鎖こそ、双対空間が基礎づける再帰的情報処理――客観的実在――に対峙する懸念――主観的実在――として現象化するものである。
人工知能が人間を凌駕するだろうといわれるシンギュラリティは、比較可能な双対空間内部の議論である。人間の能力には、もちろん双対空間のもたらす再帰的計算能力も認められる。これだけなら、早晩、人工知能にとって代わられるだろう。しかし双対空間の逸脱の連鎖においてこそ、我々は各々〈わたし〉を体現する(〈わたし〉は「ワタシ」と同様に単なるラベルでありながら、事前と事後を明瞭に分離しない)。それは、観念論的双対空間がもたらす合理主義に、単に経験主義的偶然が接続されるのではなく、相対空間の間である地を、あたかも実体のように開設する現象である。ここに、観念論と経験論の接続体=意識がもたらされる。そこにある過程がアナロジーであり、アナロジーを解読する方法もアナロジーでしかあり得ない。それは、全てを実体化し比較可能とする人工知能の、決して及び得ない領域である。私よりおいしくコーヒーの飲める人工知能があっても、私にとっては何の意味もないのである。

夕食、鶏肉とセロリと玉ねぎのスープ、ガーリックトースト、赤ワイン。

Saturday, April 14

曇天。渋谷にてレコード店行脚。HMV record shop、ディスクユニオン、レコファン、ハイファイ・レコード・ストアをめぐる。ミシェル・ルグランのレコードを一枚購入。

表参道方面へむかって歩き、途中青山ブックセンターをひやかしてから、午後2時ごろに青山川上庵で遅めの昼食兼早めの夕食。天せいろ、半熟うまき、鴨ロースのあぶり焼き、野沢菜、琥珀エビス。

いまにも雨粒の落ちてきそうな空模様のなか、表参道周辺から渋谷まで歩く。BOOKMARCでケイト・バリー写真展「ACTRICES」、marimekko、RAT HOLE GALLERYでアンディ・ホープ1930「Where did it come from!」、CASE TOKYOで中平卓馬「氾濫」。歩きまわったので疲労困憊。iPhoneの歩数計は19532歩とカウントしている。

米英仏がシリアを攻撃との報せ。

Sunday, April 15

雨と強風の朝。旅の調べものとラジオ。

夕食、豚肉のステーキ、フライドポテト、蛸ときゅうりとミニトマトのサニーレタスサラダ、バゲット、ブルームーン、赤ワイン。

大森荘蔵『時間と自我』および『時間と存在』(どちらも青土社)を読む。