Monday, September 5
残暑。
先週末に東京都写真美術館がリニューアルオープン。美術館の略称が写美(しゃび)からTOP(トップ)に変更になったことは、今年の5月に「ニァイズ65号」で知った。「Tokyo Photographic Art Museum」の頭文字をとってトップとのこと。ダサくないか。写美は写美でダサいのだが、あれは牧歌的な愛嬌のあるダサさであって、勢い込んで気取った雰囲気をまとおうとして結果ダサくなるのは救いがない。写真美術館の意に反して、今後も陰で写美と言いつづけよう。いちばん気になるのはこれまで正月に二階ロビーでやっていた雅楽演奏「しゃび雅楽」のことで、今後は「トップ雅楽」にでもなるのか。
「ニァイズ64号」で、写真美術館が扱うのは表現としての写真のみ、商業写真はほかで稼げばいいと笠原美智子は語るのだが、改装後のこけら落としが杉本博司なのはどうなのか。商業写真ではないけれど商業写真以上に儲かってそうではある。杉本博司は。
『UP』9月号(東京大学出版会)が届く。第一次大戦後のアヴァンギャルド芸術運動を書誌学的に整理した、論文と図版がセットになった西野嘉章『前衛誌 未来派・ダダ・構成主義』の広告が入っている。一瞬惹かれるも、価格を見たら3万9000円。
夜は和食。大根と人参と豚肉の胡麻油炒めをつくる。
Tuesday, September 6
関西国際空港で麻疹に感染した人物が千葉の幕張メッセで催されたジャスティン・ビーバーのコンサートに行って感染を広げているというのは、先月末の話題。ジャスティン・ビーバーはお騒がせな歌手だが、ライブに行く観客のほうもお騒がせだった。地味に感染者数を増やしているなかで、麻疹に感染したこともなければ予防接種を受けた記録もないので、近所の病院でMRワクチン(麻疹・風疹混合ワクチン)を接種することに。麻疹は子供が感染しても大変だが大人が感染すると合併症によっては重症化しかねないので結構恐ろしいウイルス、であることを今更知った。
今回MRワクチンを接種した病院は小児科。とある情報網で紹介してもらった病院が小児科だったのだ。会社員が帰宅帰りに小児科に立ち寄って注射を打つ光景も変だが、問診票に最近罹った病気として「胃炎」と書いたのも変。胃炎の人間が小児科に来るか。
ワクチンを打ったあとにお酒は大丈夫かと訊くと、一杯二杯は問題ないよとの回答を頂戴する。アルコールを飲んでいいかと小児科で質問するのも妙な事態。夕飯は、焼きそばとビール。
Wednesday, September 7
病院で貰ったMRワクチンの説明の紙を読むと、副作用に「不機嫌」なる文言。副作用としての不機嫌。今後数週間は不機嫌になったらすべて副作用のせいにしたい。
ラジオをつけると野宮真貴と横山剣とのデュエット「男と女」が流れる。映画『男と女』50周年を記念してつくられたアルバムのタイトルは『男と女 ~野宮真貴、フレンチ渋谷系を歌う。』だという。すごいタイトル。以前に野宮真貴はカジヒデキと一緒に「池袋へ行くつもりじゃなかった」なる歌を唄っていたが、もはや渋谷系はギャグとして扱われる領域に達したのだろうか。
Thursday, September 8
今夏の話題に、フランス南部の自治体がイスラム教徒の女性用水着ブルキニを禁止したのがあった。イスラム教徒の服装に対するフランスの不寛容な方策は、一見イスラムを排斥する差別的な姿勢のように映り、実際のところそのような感情の混入もなくはないだろうが、少なくとも表向きの理由は共和主義の原理を尊重するため、である。共和主義の理念からすれば、「個」の連帯として維持されている社会において、民族や宗教を優先させるわけにはいかない。差別ではなく、あくまで「個」から成る共和国の理念を守るためという理屈である。イスラム過激派によるテロの頻発を背景に論争の文脈はやや複雑化しているけれども、このての小競り合いはフランスでは歴史的に繰り返されてきた。このへんの事情については、樋口陽一『ふらんす 「知」の日常をあるく』(平凡社)が平易な言葉で解説してくれているのだが、それはそうと日本人にはブルキニは海女さんの格好にしかみえない。
共和主義と多元的自由主義の対立というフランスにおいて幾度も繰り返されてきた論争については、先日読んだ長谷部恭男『憲法の理性』(東京大学出版会)にも書いてあり、フランス特有の共和主義の理念が生まれた歴史的経緯についての説明はつぎのとおり。
フランスは大革命を通じて政治制度を民主化すると同時に中間団体を破壊してその軛から個人を解放するという社会の急激な変革をも遂行した。従来の社会的紐帯が破壊された以上、それに代わる社会の統合原理を国家が提供する必要がある。革命期における言語、度量衡の統一、行政の中央集権化も平等な諸個人からなる国民(nation)の創出という国策を担っていた。これは、徐々に中間団体の力が衰退し政治機構の民主化が進んだため、急激な社会変革の必要のなかったイギリスと対照的なフランスの特異性であり、教育や文化がフランスにおいて国政上重要な意義を与えられてきたのも、この特殊事情による。(pp.140-141)
Friday, September 9
イギリス労働階級の貧困ネタを書かせたら右に出る者はいない感じになっているブレイディみかこの『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)を読んだ。この本を読んで興味をおぼえたのはイギリス左派のことではなく、むしろマーガレット・サッチャーの存在。サッチャーについて詳しく知りたい。去年刊行されたチャールズ・ムーアの書いたサッチャーの評伝はいつ日本語になるだろう。
Saturday, September 10
横浜美術館でメアリー・カサット展を見る。アメリカで生まれパリで活躍した印象派の女性画家・版画家の回顧展は、それなりの混雑ぶり。構図のおもしろい作品が多い。浮世絵からの影響に光をあてることが展覧会の主題としてあったようだが、カサットの作画すべてを浮世絵に還元してしまうような説明もあって、やや言いすぎの感あり。絵はどれもよかった。
みなとみらい線で日本大通りに移動。おばんざいプレートが美味しい「チャラン・ポラン」で昼食。この店の料理はどれも美味しいのだが、以前より量が減ってしまった気がする。
晴れた横浜を歩く。晴れたのはいいが日差しが強すぎてつらい。休憩スポットを見つけようにもこのあたりの飲食店に不案内なので、彷徨っているうちに横浜港大さん橋から元町ショッピングストリートを経て伊勢佐木町までという壮大な散歩に。途中レコード店兼カフェの「LocoSoul」によるもレコードは買わず、「古書 馬燈書房」によるも古本は買わず。散財しない一日で、暑い中ひたすら歩いて疲れきった一日。
小沼丹『椋鳥日記』(講談社文芸文庫)を読了。初めてパリを見た印象を「何だか東京の赤羽辺に来たと思っていたら東駅である」と書いていておかしい。小沼丹にとってパリは赤羽だった。
夕食は夏野菜カレー。
Sunday, September 11
早朝から雨。Sue Raney/Songs for a Raney Dayに針を落とす。雨の日のジャズ。
午前中、じぶんの背丈と同程度の高さのウンベラータが届く。立派な観葉植物で部屋に彩りを。しかし鉢植えが安っぽいのでプランターカバーを買わなくては。無印良品のものを最有力候補とする。
昼すぎに雨がやんだので、バスで図書館へ。読みさしの小林康夫『表象文化論講義 絵画の冒険』(東京大学出版会)に目をとおす。取り組んでいる本人たちの真剣さとは関係なしに表象文化論は知的道楽に思えてしょうがない。といっても否定的な感情はまったくなく、道楽擁護派ではある。
日経新聞の書評欄でケヴィン・バーミンガムのThe Most Dangerous Book: The Battle for James Joyce’s Ulyssesが翻訳されたことを知る。邦題は『ユリシーズを燃やせ』(小林玲子/訳、柏書房)。図書館にあったので早速借りる。あとサッチャーの回顧録を読みたくて書庫から出してもらった。
図書館ちかくのカフェで昼食。サンドウィッチと赤ワイン。
ひとつ余っている鉢を埋めるべく、近所の植木屋でモンステラを買う。引越し後の部屋のインテリアはこれでひとまず完成。花屋で買った八重咲きの向日葵とトルコキキョウを花瓶に活ける。
ラジオを聴きながら、サーモンステーキ、サラダ、バゲット、赤ワインの夕食。週末が終わってしまう。