おなじ本をもっている

「岡山の後楽園近くにある cafe moyau ((cafe moyau))の図書館部屋からお送りします」

「おいしい晩ごはんと岡山の地ビール「独歩」をいただきながら」

「今回岡山を旅するにあたり、ぜひとも訪れたい場所のひとつとして cafe moyau がありました。ここの店主の方とは個人的な知り合いでもなんでもないのですが、何年も前からずっと読んでいた「私のように美しい ((私のように美しい))」というはてなダイアリーの書き手なんですね。いまは自身のウェブサイト ((akttkc.com))を立ち上げて、そちらに文章を書かれてますけど、今日はいち読者、いちファンとして押しかけました」

「わたしもこの方の文章、好きです。読んでると精神が鼓舞される感じがして」

「他人のブログってじつはあんまり読まないんだけど、いつもチェックしている数少ないうちのひとつです。で、ブログを追っていたら、 近年、名前を出して小説を発表したり脱サラしてカフェを始めたりと色々めまぐるしくて、ちょっと吃驚したんだけど。いずれこのカフェを訪れなくてはと思いつづけて、ようやく実現した次第です」

「ところで、このたび訪問する直前に、cafe moyau のホームページでの記事「長居をされる方へ」 ((長居をされる方へ))がネット上で大反響を呼んで、わたしたちにとってもちょっとした事件でした」

「ずっとブログを読んでいる側からすると、いつもの文章と特段変わらないと思うし、いい文章であることに違いはないけど、特権的にこの記事だけが切り取られてしまうというのは少しばかり複雑な感情にならなくもないですが。おそらくは書き手本人の想像をはるかに超えて、ソーシャルネットワーク界隈で結構な反響を呼んでしまったわけだけど、大半が好意的な反応でしたよね。でも好意的だからよかったじゃないかと単純に考えるのは薮睨みであって、批判であれば、それに首肯くのであれ反発するのであれ対応の道筋は立てやすいんだけど、あんまり文脈を踏まえてないかなと思われる絶賛みたいなものはむずがゆいというか、ちょっと居心地が悪いわけです。そういう反応が一瞬でどどっと大量に押し寄せてきたという状況になっていて。ま、しかし、外野にいる人間からの無責任な意見ですけど、大量にテキストを参照されたといっても大半の人たちは「消費」だけしてすぐに忘却してしまうだろうし、逆にちゃんと読んでいる人には、いつもと変わらない文章として読まれていると思うので、あれやこれや考え込んでしまうには及ばないと思いますけどね」

「ネットで継続して読まれるって稀なことでしょうからね。いまの話、店主に直接お伝えしたほうがいいですよ」

「とても言いたいけどなかなか面と向かって言えなかったので、この場で言っておきます」

「どこかで聞いたことのある台詞ですね」

「で、そんな話はともかく、われわれにとって重要なのはこの図書館部屋ですよ」

「カフェに「図書館」ってちょっと説明がいるかと思うんですが、このカフェの店主所有のものを中心に、本が壁一面にずらっと並んでるんですね。要望があれば本の貸出もおこなっているようで、それで図書館部屋というわけです」

「図書館部屋の入口には貼紙があって」

「店主の思い入れのある本や、お客様や友人から頂いた本たちなので大切に扱って頂けるとうれしいです、とありました。本を読んだ後にはできる限り元の場所に戻して下さい、とも書いてあるんですが……」
「それ、全然守られてない気がする。たとえば白水社のゼーバルト・コレクションが揃ってはいるんだけど、一冊一冊がぜんぜん違う場所に置いてある」

「渋い文芸書の隣にビジネス書やサブカル系の本があったり」

「ブランショの『来るべき書物』の隣に『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』が置かれていたり」

「ツッコミどころがいろいろあって、これはこれで面白いことになってますけど。それにしてもこの本の並びは圧巻ですね。保坂和志の著作はほとんど揃っているんじゃないでしょうか。ヘッセの『幸福論』も寺山修司の『幸福論』も両方あるのが嬉しい。あ、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』が。この本は昔読んでちなみにわたしはまったくピンとこなかったのですが、たしか店主も読んだときのことをブログで書いていて、その頃『ヘンリ・ライクロフトの私記』を読んだなんていう人は周りにいなかったので嬉しかった記憶があります」

「いま世の中にブックカフェって結構あるけど、ピンチョンの『逆光』と保坂和志の『カフカ式練習帳』と蓮實重彦の『「赤」の誘惑』が面出しで並んでいるカフェなんてそうはないですよ」

「日本中探してもないのでは?」

「世界中探してもないよ」

「草臥れたカバーの新潮文庫のドストエフスキーがずらりと並んで素晴らしい佇まいです。この「独特な」本棚を見わたすと、嬉しいことにじぶんの本棚とかぶっているのがたくさんあるんですよ」

「おなじ本をもっている。さきほど片っ端から自宅の本棚とかぶっている本を逐一チェックしていったんですけど、なんだか気の遠くなる作業になってきた」

「どれくらいありました?」

「100冊くらいあった。背表紙を追いながらメモしてたら腱鞘炎になりそうな量です ((『この人の閾』『草の上の朝食』『プレーンソング』(保坂和志)、『ことばの食卓』(武田百合子)、『ドグラ・マグラ』(夢野久作)、『一千一秒物語』(稲垣足穂)、『変身』『審判』『カフカ寓話集』(カフカ)、『蛇を踏む』(川上弘美)、『キッチン』『デッドエンドの思い出』(吉本ばなな)、『百年の孤独』『わが悲しき娼婦たちの思い出』『エレンディラ』(ガルシア=マルケス)、『blue』『短篇集』(魚喃キリコ)、『セクシーボイスアンドロボ』(黒田硫黄)、『死霊』(埴谷雄高)、『からくりからくさ』『この庭に 黒いミルクの話』(梨木香歩)、『小川未明童話集』、『ねむれ巴里』(金子光晴)、『杏っ子』(室生犀星)、『津軽』(太宰治)、『深夜特急』(沢木耕太郎)、『ホテルカクタス』『雨はコーラが飲めない』『泣く大人』(江國香織)、『ムーたち』(榎本俊二)、『表象の奈落』『映画の神話学』『ゴダール革命』『随想』『反=日本語論』(蓮實重彦)、『映画千夜一夜』(淀川長治、蓮實重彦、山田宏一)、『フランソワ・トリュフォー映画読本』(山田宏一)、『目眩し』『移民たち』『土星の環』『カンポ・サント』『アウステルリッツ』(ゼーバルト)、『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)、『百鬼園随筆』『ノラや』『阿房列車』『冥途』(内田百閒)、『堕落論』(坂口安吾)、『鳳仙花』『枯木灘』(中上健次)、『かもめ・ワーニャ伯父さん』『可愛い女・犬を連れた奥さん』(チェーホフ)、『ワインズバーグ・オハイオ』(アンダソン)、『幽霊たち』『ムーン・パレス』(ポール・オースター)、『江戸川乱歩傑作選』、『悪霊』(ドストエフスキー)、『「いき」の構造』(九鬼周造)、『〈近代の超克〉論』(廣松渉)、『1973年のピンボール』『風の歌を聴け』(村上春樹)、『グリーンバーグ批評選集』、『映画の世紀末』(浅田彰)、『どこにもないところからの手紙』『フローズン・フィルム・フレーズ 静止した映画』(ジョナス・メカス)、『現代思想 ゴダールの神話』、『細雪』『痴人の愛』『刺青・秘密』『文章読本』『春琴抄』(谷崎潤一郎)、『眠れる美女』『愛する人達』『古都』『掌の小説』『雪国』(川端康成)、『日本近代文学の起源』『探究Ⅰ』(柄谷行人)、『羊をめぐる冒険』(村上春樹)、『箱男』『壁』(安部公房)、『外套・鼻』(ゴーゴリ)、『灯台へ』『波』(ヴァージニア・ウルフ)、『饗宴』『ゴルギアス』(プラトン)、『三人の女・黒つぐみ』(ムージル)、『死に至る病』(キルケゴール)、『絵画の準備を!』(岡崎乾二郎、松浦寿夫)、『11人いる!』『スター・レッド』(萩尾望都)、『囚人のジレンマ』(リチャード・パワーズ)、『太陽の塔』(森見登美彦)、『須賀敦子全集第1巻』、『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)、『河岸忘日抄』(堀江敏幸)、『音を視る、時を聴く』(大森荘蔵、坂本龍一)、『八月の光』『フォークナー短編集』(フォークナー)、『タマや』『小春日和』(金井美恵子)、『Xへの手紙・私小説論』(小林秀雄)、『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス)、『異邦人』(カミュ)、『重力と恩寵』(ヴェイユ)、『幼ごころ』(ラルボー)、『ボヴァリー夫人』(フローベール)、『大島弓子選集』))」

「単に趣味が似ているというだけの話には収まらないシンパシーを感じます」

「引越しのときに手放してしまって、いま考えるともったいなかったかなと思う本を発見したのも嬉しかったですね。保坂和志の『途方に暮れて、人生論』とか梨木香歩の『沼地のある森を抜けて』とか青木淳悟の『四十日と四十夜のメルヘン』とか山川直人の『コーヒーもう一杯』とか」

「親近感ありすぎで、もうほとんどじぶんの本棚のようです。榎本俊二の『ムーたち』もあるし」

「江川泰一郎の『英文法解説』があって、これもむかしもってました」

「というか、なんでそんな本がカフェになるんでしょうか? という話です。『広辞苑』もあるし」

「『コンパクト六法』や『古語林』もある。混沌としてますよ、この本棚」

「ところで、おなじ本をもっている共感もありますけど、この本もってない! うらやましい! というのもいくつかあって。ジョナス・メカスの『どこにもないところからの手紙』と『フローズン・フィルム・フレームズ―静止した映画』はもっていますが『メカスの映画日記』はないのでうらやましい」

「新潮社のピンチョン全小説はうらやましかったです」

「ムージル著作集の「特性のない男」が第1巻から第6巻まで揃っていて、身悶えするほどのうらやましさです」

「で、このムージル著作集をぱらぱらと捲っていたら……」

「店主の名前の入った沖縄行きの使用済み航空券が挟まっていて……」

「しおりとして使っていたんでしょうか」

「ここに報告しておきたいと思います」

「とても言いたいけどなかなか面と向かって言えなかったので、この場で言っておきます」

「どこかで聞いたことのある台詞ですね」

2012年10月7日 岡山 cafe moyau にて ( 文責:capriciu )