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Monday, December 28

今年最後の出社日。午後からの納会を回避するように有給休暇を行使して、労働は正午まで。会社近くの定食屋で昼食ののち、東京駅傍の丸善に立ち寄ってから帰宅する。

資生堂パーラーの花椿ビスケットをおやつとして頬張りながら、丸善で買った『ふらんす特別編集 パリ同時テロ事件を考える』(白水社)を読む。さまざまな論者によるテロ事件の分析はどれも首肯できるものなのだが、同時に、どの論も何か言い切れていないもどかしさを感じる。あまりに不可視な領域すぎて、ISをめぐって網羅的かつ的確に論じることなど不可能なのかもしれないが、たとえばパリ10区と11区を狙ったことにどれほど意図があったのかについて、誰もが「想像」でしか語ることができない。いかようにも議論を組み立てられる決定打のなさ。今回のテロ事件をめぐって精緻な分析をやったところで、論者の自己満足にしか見えない虚しさが残る。

朝、目玉焼き、ミニトマト、グリーンリーフ、バゲット、ブルーベリージャム、珈琲。
昼、豚ロース生姜焼き。
夜、白米、胡麻昆布、しめじと玉葱とわかめの味噌汁、豚肉と白菜の蒸し煮、しらすとグリーンリーフのサラダ、麦酒。

Tuesday, December 29

『UP』1月号(東京大学出版会)が届く。

尾仲浩二『あの頃、東京で・・』(KAIDO BOOKS)を読んで、尾仲浩二の写真集『背高あわだち草』を眺め、本棚から中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』(ちくま学芸文庫)と森山大道『犬の記憶 終章』(河出文庫)をとりだす。

小津安二郎監督『彼岸花』(1958年)を見る。『彼岸花』とは関係なく思い出したのは『秋刀魚の味』のことで、「そうみえた『秋刀魚の味』」と題された短編で保坂和志が『秋刀魚の味』について言及していて、それは『〈私〉という演算』(新書館)という本に収まっていることは先日書いた。図書館で取り寄せて中身を確認してみると、あれ? と思ったのは記憶していた内容とちがっていたことで、『秋刀魚の味』についてやや批判的に言及していた箇所があったように思ったのだがそんなことはなかった。記憶の捏造だったかとしばらく考えていたのだが、『彼岸花』を見終えてふと思い出したのは、『途方に暮れて、人生論』(草思社)のなかで保坂和志は『秋刀魚の味』にふれていたのだった。「私は「過去」を忘れない」というエッセイで、学校というものが嫌だという話をしたついでに、つぎのように書いている。

話は逸れるが、小津安二郎の『秋刀魚の味』の中に、東野英治郎演じる元・漢文教師の「瓢箪」を招いて内輪のクラス会をするエピソードがある。
あの映画では、笠智衆・中村伸郎・北竜二の同級生三人組がいつもつるんでいるのだが、その中の北竜二が、二人と待ち合わせた小料理屋に来る途中の電車の中で東野英治郎とばったり出会い、酒を飲みながら二人に、「どうだ。瓢箪を呼んで、たまにはみんなで集まろうじゃないか」と言い出すのだ。
笠智衆はすぐに賛成するのだが、中村伸郎は「あんなやつを呼ぶ必要はない。あいつを呼ぶんだったら俺は出ない」と言う。中村が瓢箪に「痛い目」にあわされてきたことは、笠も北も否定しないけれど、「おまえが出なかったらつまらないから、出ろよ」と言う。
結局、中村はクラス会に出席し、しかも瓢箪が「帰る」と言うと、家まで送り届ける役まで中村はしてしまう。
『秋刀魚の味』は1962年(昭和37年)の映画だ。こじつけのように聞こえるかもしれないが、戦後十数年も経てば、韓国・朝鮮は日本を許していると小津安二郎も思っていたのではないだろうか。
というか、私は韓国・朝鮮が何十年経っても日本を許さない気持ちがわかるような気がする。嫌な思いをした側は忘れないのだ。
「それが自分のアイデンティティだ」というようなことではない。ふだんはどうでもいいと思っているのだが、たとえば、嫌な思いをしなかった人たちがあっけらかんとした調子で、「もう昔のことだよな」と言ったりするのを聞くと、カツンときたりする。あるいは、「大人として適当に振る舞えばいいじゃないか」と言われたりすると、「大人ってどういうことだ? 大人なんかにならなくて結構」と言いたくなる。(pp.35-36)

「こじつけのように聞こえるかもしれないが」とあって、まあほとんどこじつけにしか聞こえないのだけれど、言いたいことはわかる。映画のなかで中村伸郎はある意味「大人の対応」をしている。大人の対応がとれたのは、クラス会での「瓢箪」が不憫でみすぼらしいさまであったことも影響しているが、ともかく『秋刀魚の味』はたしかに大人を描いている。しかし大人の対応をしなければならない理由などない。必要もない。私は「過去」を忘れない。

朝、クロワッサン、人参とグリーンリーフのサラダ、茹で卵、花椿ビスケット、珈琲。
昼、おにぎり、白菜の味噌汁、きゅうりと味噌、蜜柑、緑茶。
夜、白菜とアンチョビのパスタ、アクアパッツァ、バゲット、赤ワイン。

Wednesday, December 30

東京ビッグサイトで開催中のコミケで昨日はよしながふみが話題だったようなので、積読状態だった『きのう何食べた?』の1巻から11巻までを一気に読んでいたら一日が終わった。漫画を読み慣れていないので、どっと疲れる。

ポール・ジャストマン監督『永遠のモータウン』(2002年)を見る。

朝、トーストとブルーベリージャム、トマトとグリーンリーフのサラダ、茹で卵、珈琲。
昼、醤油ラーメン、麦酒。
夜、白米、かぶと油揚げの味噌汁、ほうれん草のおひたし、豚キムチ、冷奴、麦酒。

Thursday, December 31

日々の細々とした掃除のおかげで、大掃除の必要は特になし。ベランダを掃く。窓を拭く。靴を磨く。アイロンをかける。

twitterにも書いたが、今年刊行の本をあまり読んでいないので順番に挙げていくとそのまま今年の10冊になってしまう。以下、読んだ順。
・ハリ・クンズル『民のいない神』(木原善彦/訳、白水社)
・最相葉月『れるられる』(岩波書店)
・畠山直哉『陸前高田 2011-2014』(河出書房新社)
・近藤聡乃『ニューヨークで考え中』(亜紀書房)
・青木淳悟『匿名芸術家』(講談社)
・小熊英二『生きて帰ってきた男 ある日本兵の戦争と戦後』(岩波書店)
・岩井克人『経済学の宇宙』(前田裕之/聞き手、日本経済新聞出版社)
・中井久夫『戦争と平和 ある観察』(人文書院)
・リディア・デイヴィス『サミュエル・ジョンソンが怒っている』(岸本佐知子/訳、作品社)
・大沼保昭『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(江川紹子/聞き手、中央公論新社)

今年よかった美術館とギャラリーは以下のとおり。見た順。
・Alaska マルク・リブー写真展(シャネル・ネクサスホール)
・束芋 息花(ギャラリー小柳)
・青山悟 名もなき刺繍家たちに捧ぐ(ミヅマアートギャラリー)
・ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし(東京藝術大学大学美術館)
・サラ・ムーン NOW AND THEN(AKIO NAGASAWA)
・鈴木理策 意識の流れ(東京オペラシティアートギャラリー)、水鏡(ギャラリー小柳)
・クリスティアーネ・レーア 宙をつつむ(ヴァンジ彫刻庭園美術館)
・飯沼珠実写真展(新宿ニコンサロン)
・鴻池朋子 根源的暴力(神奈川県民ホールギャラリー)
・野口里佳 夜の星へ(キャノンギャラリーS)、鳥の町(ギャラリー小柳)

朝、ベーコンとかぶとトマトのグリル、トーストとブルーベリージャム、珈琲。
昼、無印良品のキーマカレー、麦酒。
夜、蕎麦(鮭の昆布巻き、ほうれん草、長葱)、ビール。