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Monday, September 28

バーニーズ・ニューヨークから25周年を記念したカタログが届く。バーニーズ・ニューヨークでの買いものはこれまでの生涯で2回くらいしかないと記憶するが、メンバーズカードをつくったがためにこちらの財政的余裕などお構いなしにお知らせは届く。それはそうと、アメリカにあるバーニーズと日本のバーニーズ・ニューヨーク各店とは直接の資本関係がないことをWikipediaを読んで今更ながらに知った。

夜、玉ねぎと人参をくわえたビーフシチュー、サニーレタスとすりおろし人参とトマトのサラダ、赤ワイン。

リチャード・ハウス『クロニクル 3 ある殺人の記録』(武藤陽生/訳、ハヤカワ文庫)を読む。

Tuesday, September 29

夜、ウィンナーとピーマンと玉ねぎを一緒に炒めた焼きそば、ビール。

『一冊の本』10月号(朝日新聞出版)を読む。金井美恵子の連載のない『一冊の本』なんて、喩えるなら、金井美恵子の連載のない『一冊の本』のようだ。

Wednesday, September 30

福山雅治が結婚して、失意の女性勤労者たちの欠勤続出が一部で予想されたようだが、朝の山手線は平常通りの混雑ぶりであった。

夜、白米、わかめと万能ねぎの味噌汁、ほうれん草のおひたし、鶏肉とピーマンの塩麹炒め、枝豆、ビール。

『図書』10月号(岩波書店)を読む。今号で『図書』は800号とのこと。池澤夏樹と斎藤美奈子の対談に1965年1月号の目次が引かれているのだが、そのなかに「社会科学の方法(三) ヴェーバーとマルクス」があった。読み返せばあとがきあたりに書いてあるのかもしれないけれど、大塚久雄の『社会科学の方法』(岩波新書)って『図書』の連載だったのか。

Thursday, October 1

第2四半期明けの月初は忙しくて、残業。

カール・シュミット『現代議会主義の精神史的状況』(樋口陽一/訳、岩波文庫)を読む。現行の日本の政治状況において、シュミットのこの本の翻訳を上梓するのは意義のあることなのかもしれないが、変化球すぎて好事家的な読書人以外に伝わるのか不明。それでも民主主義と議会主義の結びつきをぶった切るシュミットの議論の運びかたは痺れるし、ナチス加担者にもかかわらず(であるがゆえに?)現在でもなお読まれ続けている魅惑的な存在であるのが、本書を読んでいるとなんとなくわかる。

夜、牛肉のステーキ、人参のすりおろしサラダ、いんげんのオリーブオイル炒め、ミニトマト、サニーレタス、ゆで卵、赤ワイン。

Friday, October 2

朝の山手線は遅延に次ぐ遅延で、悲惨な状況に。普段より50分くらい遅れて会社に到着。車内ではずっと立ちっぱなしでiPadに目を通しながら辛抱していたのだが、何度も繰り返される車内アナウンスのおかげで、読んでいた『The Economist』の内容にさっぱり集中できず。

夜、白米、塩辛、大根とわかめの味噌汁、きゅうりとミニトマト、鯵のひらき、大根おろしとかぼす、ビール。

Saturday, October 3

現物を確認してはいないのだが『The Double Life of Paul De Man』という書評などを参照するかぎり『ハイデガーとナチズム』に似た雰囲気と思われる本が去年でた ((このあいだ読んだ岩井克人『経済学の宇宙』(日本経済新聞出版社)にポール・ド・マンの「暗部」についての言及があって、それについて語るさいに岩井克人は具体的な書名を挙げていないのだが、たぶんこの本のことかと思う。))。ポール・ド・マンが若いころにベルギーの親ナチ系の新聞に記事を書いていたことは「ド・マン事件」として知られている話だが、そのほかにもド・マンは詐欺やら重婚やら経歴詐称やらをしでかした想像以上に裏のある人間であったらしい。しかし人としてろくでもない思想家であれば、なんといってもハイデガーがチャンピオンだと思うし、ナチ加担者でいえばカール・シュミットだっているし大丈夫じゃないか、とまるで慰めにならないエールをド・マンに送りたい気分になるのだが、ド・マンのそういう人となりを知ったうえで『読むことのアレゴリー』(土田知則/訳、岩波書店)所収のルソー論を読むと、たいへん味わい深いものがある。

昼すぎ、近所の蕎麦屋で鴨南蛮を食べてから、図書館に移動。吉田茂の『回想十年』と『大磯随想・世界と日本』(いずれも中公文庫)を借りる。

家に戻ってしばし休憩。土田知則『ポール・ド・マン 言語の不可能性、倫理の可能性』(岩波書店)を読む。とても明晰なド・マン論。ド・マンの癖のありすぎる韜晦な文章に較べて、本書はすらすらと読めてしまって、すらすら読めてしまって果たしてよいのかという読後感。

夜7時、新宿の居酒屋「馬鹿とけむり」で催された総勢6名の会合に出席する。本来であれば半年以上前に実施されるはずであった会なのだが、イニシアティブを握って幹事の立ち位置につく人間がいない結果、ずるずるとひっぱって本日に至る。それなりに知的な固有名詞が飛び交うなかで、議論の核心に向かおうとする雰囲気を醸し出しつつも、最終的にはその直前で話を脱臼させる発言を(わりと私が)繰り返すことで、「実のある話をしたような気がするけれどよく考えると何の話をしたのだかいまいち明瞭でない」という事態に。居酒屋を後にし、喫茶店「らんぷる」に移動して話のつづき。閉店まで。本流である幹から離れて、瑣末な枝葉のような事柄に拘泥することから、本日の集まりは「枝葉会」という野暮な命名がなされた。盆栽でも育ててそうな会だな。「枝葉会」を終えて、詳しい話は省略するが、サルトルを読みたい気分になった。

Sunday, October 4

昨日の影響で、喉が痛くてしかもだるい。買いものと雑用で一日が終わる。渡辺守章『パリ感覚』(岩波現代文庫)を読む。

夜、蒸し餃子、舞茸と玉ねぎの中華風スープ、ビール。