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Monday, January 15

晴れ。澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』(中公文庫)を読む。残業で疲弊。

Tuesday, January 16

晴れ。三島由紀夫『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』(新潮文庫)を読む。読みながら自身の戯曲への関心のなさを再認識するはめに。つづけておなじく三島由紀夫の『文章読本』(中公文庫)を途中まで。
センター試験の地理の問題が論争化している。ムーミンをフィンランドの物語として回答させる問題に対して、大阪大学外国語学部スウェーデン語専攻の研究者らが疑義を呈している [1]。いわくムーミンの舞台設定はフィンランドだと断定されているわけではないと。しかしだからといってムーミンがもうひとつの選択肢であるノルウェーと結びつくとは考えにくいので、この指摘だけであればスコラ的な議論のようにも思えるが、北欧研究者たちによる見解を読むとその射程はずっと奥行きのあるものだった。

この設問に添えられた言語のサンプルは、上からスウェーデン語、ノルウェー語、フィンランド語です。設問自体は選択肢のタと選択肢のBとの関連を問うものではありませんでした。しかし、解答へ至る判断材料としてこれらの言語を載せ、選択肢タの「ムーミン」と選択肢Bのフィンランド語の組み合わせを解答として求めています。これは、もし『ムーミン』の原作がスウェーデン語で記されているという事実を知らない者には、短絡的に「『ムーミン』はフィンランド語で書かれているのではないか」という誤ったイメージを植え付けかねません。既にフィンランド大使館が「フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語のふたつである」とツイートしていますが、私どもは、短絡的なイメージを与えかねない設問のあり方は、フィンランド文化の多言語性、とりわけフィンランドにおいてはスウェーデン語のような少数言語の存在を軽視する考えを受験生や日本社会に与えてしまう可能性があるのではないかと危惧します。

よほどのムーミン愛読者をのぞいて、ムーミンはフィンランドのお話だからフィンランド語で書かれているのだろうと思っている人はかなりの数いると思われる。わたしもその事実を知ったのは、ムーミンの物語の多くを翻訳している冨原眞弓がスウェーデン語を勉強したと書いているのを読んだときだから、それほどむかしの話ではない。ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンはスウェーデン語系フィンランド人であり、ヤンソンの母語はスウェーデン語で、フィンランド語はあまりできなかったらしいことも冨原眞弓の著作から知ったと思う。スウェーデン語とフィンランド語は言語体系が大きく異なるということも。このたびの設問が誤ったイメージを植え付けることになる可能性の指摘は、たしかにそうかもしれない。
もっとも研究者たちの危惧はいささか杞憂だと思うのは、問題意識をもった一部の優秀な人間をのぞいて高校生の大半は愚かなので、この設問のことなど来年には忘れていると想像されるからだ。自身のことを回想しても、受験生の大半は愚かである。「少数言語の存在を軽視する考え」うんぬん以前に、そもそもろくに考えてなどいない。受験生にとって重要なのは正解することであり、設問の背景をめぐって議論することではない。このたびの地理の問題をうけて、ムーミンの公式twitterに受験生と思われる者たちによるクソリプが殺到していると聞いて、むかしもいまも変わらず高校生は愚かであることがわかって安心する次第である。

Wednesday, January 17

三島由紀夫『文章読本』(中公文庫)を読了。ひさしぶりに雨らしい雨が降る。帰り道の足元はびしょ濡れ。
センター試験の設問が話題になるのは、受験者数の多さという注目度によるところが大きい。というより、それ以外に理由はない。だからセンター試験ほどには注目を浴びることのない各大学の個別の入試問題は、けっこういい加減である。受験世界史の悪問・奇問をとりあげた稲田義智『絶対に解けない受験世界史』(社会評論社)なる書物が刊行されているくらいだ。もっとも大学側の擁護にまわるならば、ちゃんと勉強した受験生だけが解けて中途半端に勉強した受験生は間違える問題をつくるのは結構むずかしい。研究者にとって入試問題の作成などというものは、骨の折れる(そしてあまり報われない)仕事でしかないだろうし。先の大阪大学外国語学部スウェーデン語専攻の研究者らがつぎのようにエクスキューズをつけているのは、設問への異議申し立てがそのままブーメランになるからだろう。

私たちがこの見解を公開する意図は、大学入試センターならびに本問に関わられた方々を批判するものではありません。私どももまたセンター試験の末端にあってこれに関わる者です。立場の違いはあれセンター試験に等しく関わる者として、センターならびに本問に関わられた方々の尽力に敬意を払うとともに、センター試験の社会的信頼を維持することに、私どもの研究で得られた知見を参考意見のひとつとして活かして頂きたいとの思いから、この見解を公開します。

Thursday, January 18

ウディ・アレンが養女のディラン・ファローから幼少期に性的虐待を受けたと訴えられている。この訴え自体は以前からなされているので驚きはないが、昨今のセクハラ告発の活発化をうけて風当たりが強くなっている模様。かたやブリジット・バルドーがセクハラ被害を告発したハリウッド女優らを売名行為だと批判している。混沌としてきた。

Friday, January 19

近藤聡乃『ニューヨークで考え中2』(亜紀書房)を買う。TSUTAYAで買ったらTSUTAYA限定のおまけがついてきた。

Saturday, January 20

午前10時すぎ、JR渋谷駅下車。渋谷の街はかつての渦巻くようなエネルギーはもう消えて、うす汚ない観光地に成り下がってしまった雰囲気がある。渋谷の東急ハンズで腕時計のベルトを交換してから山手線で池袋へ。ディスクユニオンと八勝堂書店をまわってレコードを買う。八勝堂書店は2月で閉店してしまうとのこと。池袋駅構内のcamp expressでカレーを食べて家路へ。
日本経済新聞の読書欄にある「リーダーの本棚」は、読書と出世は無関係であることを実証するかのような連載なのだが、本日掲載の富国生命保険の社長の話は珍しくなかなかおもしろい。

本との付き合いの始まりが思想や哲学書だったからか。いまも世間で評判のベストセラーは敬遠する。経営者にもファンが多い司馬遼太郎作品さえ手にしたことのない読書遍歴は、異色だ。

マンションの狭い自室は本だらけ。処分したがる妻とけんかになりますが、「そこに本があることに意味がある」とうそぶき、抵抗しています。

もっとも、司馬遼太郎と塩野七生の名前を挙げておけばとりあえずなんとかなる没個性的な読書ばかりの日本の経営者一般に較べれば例外的ではあるけれど、丸山眞男や江藤淳や木田元を読むことを「異色だ」と形容するのはずいぶんとレベルの低い話ではある。

Sunday, January 21

終日自宅にて。ラジオと読書。昨日買ったファイナンシャル・タイムズ紙の週末版を読んだり、渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦『フランス』(岩波書店)を読んだり、鈴木和成『ヴェネツィアでプルーストを読む』(集英社)を読んだり、矢島翠『ヴェネツィア暮し』(朝日新聞社)を読んだり。『フランス』は表紙にならぶ名前だけみると鼎談のようだが、渡辺×山口と渡辺×蓮實がフランスについて対談している二本立て。1983年刊。『ヴェネツィアでプルーストを読む』は『失われた時を求めて』をまともに読んでいない者にとってはいまいちピンとこない内容で、いうまでもなくまともに読んでいないわたしはピンとこなかった。『失われた時を求めて』を読もう。『ヴェネツィア暮し』は最後まで読めずに途中まで。『ヴェネツィア暮し』の著者が加藤周一の妻であることを読んでいる途中で思い出す。
西部邁が多摩川河川敷で入水自殺を遂げたと知って驚く。西部邁は保守主義を標榜していたものの、妙に左派受けがよかったのは、彼の保守思想がヨーロッパ仕込みだったからだろうか。

  1. 大阪大学外国語学部スウェーデン語専攻「平成30年度大学入試センター試験 地理歴史(地理B)第5問問4への見解」を参照。入試問題に関していま大阪大学が何をいっても説得力に欠けるという話もあるがそれはさておき。 []