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Friday, September 7

気象動向が一個人によって左右されるなどという気象学の知見を無視したあまりに非科学的な思考とは縁がないので、晴れ男/晴れ女あるいは雨男/雨女という定義づけにさしたる関心を払わずにこれまで生きてきたのだが、新宿のブルックリンパーラーで自他ともに雨男と認める御仁との邂逅を果たした後、事前の天気予報はひょっとすると一時的な雷雨の可能性もなくもないと伝えていたとはいえ、店を出た途端に土砂降りという状況は、さらには手元のiPhoneで東京アメッシュを確認してみたならば新宿界隈だけが局地的に急激な雷雨という状況は、雨男などという俗っぽいカテゴライズを超えて、近代科学の思想的基盤を揺るがす途轍もない呪術的な何かを感じずにはいられない。食事前に紀伊國屋書店で国書刊行会40周年記念フェアの棚をじっくりと眺めて、図書目録と『私が選ぶ国書刊行会の3冊』を入手したことが、呪術的な何かの駆動をさらに加速させたか。

Saturday, September 8

朝一番で返却期限のきてしまったあまたの未読の本を図書館に返しに行く。これから趣味の欄を記す必要に迫られたら、「読書」ではなく、「図書館から自宅に本を移動させてまた戻す作業」と書こうと思う。昼過ぎ、銀座の資生堂ギャラリーで2ヶ月分の『花椿』を入手ののち「リー・ミンウェイ展 澄・微」を見てから、乃木坂に移動して国立新美術館で「「具体」 ニッポンの前衛 18年の軌跡」展を見る。ついこのあいだ東京都現代美術館での企画展でも展示されていた作品、田中敦子の「ベル」がここにもある。鑑賞者がボタンを押しつづけることで成立するインスタレーションで、押し「つづける」のがこの作品の肝だと思うのだが、木場の美術館ではボタンをしっかり押しつづける人がたくさんいたにもかかわらず、乃木坂の美術館では押す人はいても押しつづける人があまりいない。土地柄の違いか。つづけて見た「与えられた形象 辰野登恵子/柴田敏雄」展は充実の内容で、絵画と写真の共鳴をたっぷりと賞翫する。それにしても国立新美術館は相変わらず冷房効きすぎ。美術館近くのギャラリー・アートアンリミテッドで柴田敏雄の展示をやっているというので足をのばす。さきほど美術館で見た写真がおいくら萬円なのかがわかったり。乃木坂周辺のギャラリーをもうひとつ、インドの建築家ビジョイ・ジェインが率いる建築設計事務所の展示「スタジオ・ムンバイ展 PRAXIS」(ギャラリー・間)。夜、六本木ヒルズのフランツィスカーナーでドイツビールを飲んで、酩酊。

Sunday, September 9

去年は九月十日に体調を崩して終日寝込む。今年は九月九日に体調を崩して終日低迷。

今週読んだ本。
『ブルックリン・フォリーズ』(ポール・オースター/著、柴田元幸/訳、新潮社)
『絵画をいかに味わうか』(ヴィクトル・I.ストイキツア/著、岡田温司/監訳、平凡社)
『脱原子力国家への道』(吉岡斉/著、岩波書店)
『みすず』9月号(みすず書房)
『椿説泰西浪曼派文学談義』(由良君美/著、平凡社ライブラリー)