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Monday, July 16

海の日は冷房の効いた家で、珈琲とチョコレートと読書。

日本においてはいまだ落ち着きの悪い言葉として響いている「キュレーター」という職業をめぐって、戦後の美術館の歴史と展覧会の歩みをいくつか振り返りながら「学芸員」との差異を踏まえつつ説明を試みる、難波祐子『現代美術キュレーターという仕事』(青弓社)を読む。分業体制の確立された海外とちがって日本の「学芸員」がさまざまな雑事をこなしている実情について触れたあたりを読むと、「ニァイズ」17号での「学芸員なんて道楽みたいな仕事だと思ってるでしょ!」「思ってないニャ!」「いきなり鞭で打たないでニャ!」というコマを思い出さずにはいられない。ところで、巻末の「東京ビエンナーレ」を振り返った中原祐介のインタビューがおもしろすぎるのでそこだけでも読む価値があるのだけれど、そのなかでインタビュアー役の著者が、

いまのほうがずいぶん海外に行くのも楽になりましたし、いろいろな情報も得やすくなったと思うのですが、どうなんでしょうかね。いま資料を調べていると1950年代、60年代の大変だった頃のほうがみんなもっと燃えてがんばっていたような印象があったのですが

と語っていることが「現代の」現代美術キュレーターの困難を端的に言いあらわしているような気がして、たとえば本書にある、

草月アートセンターでおこなわれた多様なパフォーマンス、イヴェントは枚挙にいとまがないが、なかでも当時「ジョン・ケージ・ショック」と言われた1962年のジョン・ケージとピアニストのデーヴィッド・テュードアのコンサートは、多くの聴衆に衝撃を与えた。またアメリカの実験的なモダンダンスのグループ、マース・カニングハム舞踏団は舞踏家のほか音楽監督にジョン・ケージ、ピアニストにデーヴィッド・テュードア、舞台美術と照明監督にロバート・ラウシェンバーグを迎えて、刺激的な公演をおこなった。彼らの日本滞在期間中には、日本の若手舞踏家たちとの交換ワークショップが開催され、さらに東野芳明の企画で「ラウシェンバーグへの二十の質問」という公開質問会形式のイヴェントがおこなわれた。これは、草月ホールのステージに勅使河原蒼風が提供した金屏風が置かれ、会場からの質問を高階秀爾が通訳するのを聞きながら、ラウシェンバーグが無言で、ひたすら金屏風にその質問にこたえるかのように描いたり、廃品を貼り付けたりして制作をおこなう、というものだった。

というごく穏当な紹介文だけでも、現代のどの企画展もかなわない興奮と熱気にあふれている状況をどう考えればいいのだろうと途方に暮れる。

蛤と茄子とほうれん草と玉葱と赤パプリカのパスタと、サニーレタスと胡瓜と茹で玉子とコーンとミニトマトのサラダ、胡瓜のピクルス、バゲット、ポルトガル産の白ワインの昼食ののち、しばしシエスタ制度を導入。

窓から射し込む強い陽射しを灯りにして、読売新聞朝刊での連載がみすず書房の装幀をまとう、芥川喜好『時の余白に』(みすず書房)を読む。時評と美術評の交歓。

夜、白米、茄子と大根と葱の味噌汁、鰺の塩焼き、ひじきの煮物、煮南瓜、ビール。おいしい食事のあとは、最後はカニバリズムに向かう『ウイークエンド』(ジャン=リュック・ゴダール/監督、1967年、フランス/イタリア)を鑑賞。

Tuesday, July 17

文体のしつこさは人によって好き嫌いはあるだろうけれど個人的にはそのしつこさを好ましく思っている堀江敏幸の文章であるが、新作の小説『燃焼のための習作』(講談社)で体験できる相変わらずのしつこさはほとんど感嘆せずにはいられないしつこさで、初期の仕事である『おぱらばん』(青土社)を平行して読みながらむかしからこの人はしつこかったのだなという事実を確認しつつ、「青山ブックセンター」での吉増剛造と堀江敏幸の対談を聴きにいったときに吉増剛造が『おぱらばん』の新潮文庫版に寄せた解説をみずから朗読する一幕があって、そのなかで引用というかたちで堀江敏幸の綴る一節を読みあげたのだが、音声というかたちでもやっぱりその文章のしつこさは輝きを放っていて、嗚呼やっぱり堀江敏幸はしつこいとあらためて思う。

夜、白米、茄子と茗荷の味噌汁、塩辛、小松菜のおひたし、生姜と茗荷の冷や奴、秋刀魚の塩焼き、ビール。

Wednesday, July 18

夜、ハヤシライス、胡瓜のピクルスとミニトマト、ビール。トラピストビールのシメイを飲みながら『時は老いをいそぐ』(アントニオ・タブッキ/著、和田忠彦/訳、河出書房新社)を読む。「コカ・コーラとマクドナルドは誰一人アウシュヴィッツに連れてなんかいかなかった」。

Thursday, July 19

『蜂蜜』(セミフ・カプランオール監督、2010年、トルコ/ドイツ)を鑑賞。

Friday, July 20

仕事の帰りに「新宿伊勢丹」に立ち寄ったら絶賛セール中であったが、セール品の陳列棚を素通りして革靴の紐という数百円の非セール品を購入する。夜、冷やし中華、ビール。

Saturday, July 21

最新号の『クウネル』(マガジンハウス)に京都の「田中美穂植物店コーヒショップ」が紹介されていて、どうやって「商売」として成立しているのか謎な佇まいなのだけれど、「植物を売る仕事は、植物を育てる仕事とも、植物を守る仕事とも違う。きれいごとでは済まされないこともたくさんあり、悩むことも多い」という一節にさまざまな事情が凝縮されて詰まっているような。『クウネル』は行間を読む雑誌。

『ミュージシャンと猫』(佐々木美夏/文、三浦麻旅子/写真、ブルース・インターアクションズ)を読む。

キース・リチャーズは「ロックンローラーは猫だ」という名言を残し、フレディ・マーキュリーも大の猫好きとして記憶されている。数々のミュージシャンたちと親交があったウィリアム・バロウズの著書『THE CAT INSIDE』には、彼の猫に対する偏愛ぶりが描かれてほほえましい。
ミュージシャンと猫。運命的に出会い、生活をともにし、やがては命をまっとうして去っていく相棒。ミュージシャンに愛された猫たちの物語は、それぞれの音楽にとても似ている。

夜、ジャック・デリダ『留まれ、アテネ』(ジャン=フランソワ・ボノム/写真、矢橋透/訳、みすず書房)を読みながらVEDETTを飲んでいたら就寝時間。

Sunday, July 22

竹村和子の遺作『文学力の挑戦 ファミリー・欲望・テロリズム』(研究社)を読んだり、『二千年紀の社会と思想』(見田宗介、大澤真幸/著、太田出版)を読んだり。

昼すぎに買いもの途中で立ち寄った蕎麦屋で鴨せいろ。

夜の献立は、鰻の蒲焼き、葱ともやしと油揚げの味噌汁、海藻とつぶ貝、蛸とわさび醤油、ビール。