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Monday, February 22

内容は主に現代写真を紹介する誌面構成の雑誌『Aesthetica』は世界各地の展覧会情報も掲載されており、いま世界でどのような展覧会が行なわれているかの片鱗を知ることができる。しかし資金的にも時間的にもまったく訪れるのが不可能な展覧会ばかりなので、「行けない」という事実を前に、無駄にフラストレーションの貯まる情報収集であるような気がしなくもない。現在開催中の展覧会でいうと、アムステルダムのFOAMで開催中のジャック=アンリ・ラルティーグとフランチェスカ・ウッドマンそれぞれの写真展とか、ロンドンのPhotographers’ Galleryでやっているソール・ライターの回顧展とか。行きたいけれども、遠すぎる。

朝、パンケーキ、珈琲。昼、弁当。夜、茄子とベーコンのアンチョビパスタ、バゲット、麦酒。

Tuesday, February 23

野崎歓『アンドレ・バザン 映画を信じた男』(春風社)のあとがきを読むと、本書の元となったバザン論は1990年代後半に一橋大学の語学系教員が出していた雑誌「言語文化」に掲載されたものだったとの説明ののち、

これらの論文の執筆をとおして、自分なりに「バザン主義」の骨格が見えてきた気がして、それを柱にバザン入門の本を刊行できたらと願ったのだが、実現には至らなかった。当時、これらの文章を読んでくれた人はごく限られていただろう。ただし、一面識もない山田宏一氏に思い切って抜き刷りをお送りしたところ、懇切な励ましのお返事を頂戴したことは今でもよく覚えている。

という山田宏一いい人エピソードが披露されている。

朝、トースト、目玉焼き、サラダ、珈琲。昼、弁当。夜、白米、小松菜としめじの味噌汁、牛肉のしぐれ煮、ふろふき大根と煮卵、蓮根と人参の甘酢炒め、蒟蒻のピリ辛炒め、麦酒。

Wednesday, February 24

アメリカ合衆国の共和党ネバダ州党員集会は、ドナルド・トランプが勝利という結果に。この暴言家が共和党の大統領候補に、事態の推移によっては大統領に就任する可能性がでてきた。各種の報道を瞥見すると、極端な政治的スタンスの人物が擡頭しているのは現在の世界的傾向だとの議論があるけれど、渡辺将人『現代アメリカ選挙の変貌 アウトリーチ・政党・デモクラシー』(名古屋大学出版会)を読むと、アメリカの政党制度にはどれほど極端な思考を有する政治家であっても排除する機能はないとの指摘が冒頭にあった。

日本や欧州の政治像をアメリカの政党にあてはめて理解することは、しばしば大きな誤解の原因となる。実際には現代アメリカの民主・共和の二大政党は、日本や欧州の政党の多くと比べてはるかに脆弱な存在なのである。アメリカの政党に党首や党本部が存在せず、党議拘束もなく、規律もきわめて弱いことにもそれは表れている。大統領や政党の全国委員会の委員長は党首ではないし、全国委員会は大統領選挙のための支援組織であって党本部ではない。
なにより日本の政党との最も大きな違いは、候補者の指名機能を持っていないことだ。政党の執行部が公認候補者から比例名簿の順位まで決める日本の慣習からすると、とても信じられないかもしれない。現代のアメリカでは、政党の候補者を予備選挙によって有権者が直接決める。このことの意味の大きさは、いくら強調してもし過ぎということはない。なにしろ有権者の支持さえあれば、政党の執行部の方針に反発する候補が当選することがあるのだ。いいかえれば、アメリカの政党は、選挙を通じた外部の影響の浸透にきわめて無防備なのである。

朝、ベーコンとトマトのグリル、サラダ、バゲット、ブルーベリージャム、珈琲。昼、弁当。夜、白米、小松菜と油揚げの味噌汁、大根と人参の白だし煮、豚肉とピーマンのオイスターソース炒め、きゅうりとパプリカのピクルス、キムチ、菜の花のおひたし、麦酒。

Thursday, February 25

1号だけ復刊するマガジンハウスのカルチャー誌『relax』を買う。読者だったわけではないので特段感慨はなく、今回なぜ買ったのかと訊かれれば、なんとなく記念にと答えるよりほかない。なんて薄っぺらい雑誌なのだろうという印象しか『relax』にはなくて、あの背表紙の言葉もあまり好きではなかった。今回の復刊号にも背表紙に「そろそろ自分が気持ちいいテンポってどんなだったか思い出す時期かもね。」とある。やっぱり好きにはなれない。いよいよなぜ買ったんだの風が吹き荒れてくるが、復刊という後ろ向きな話題でしか盛りあがる術をもてなくなってしまった、日本の雑誌という終わりゆくメディアへの郷愁とでも言おうか、つまるところ記念である。

朝、くるみパン、サニーレタス、茹で卵、珈琲。昼、弁当。夜、味噌ラーメン、麦酒。

Friday, February 26

iPadでエコノミスト誌を読む。

会社帰りに東京ステーションギャラリーで「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」展を見る。モランディは人物を描かなかった。ほとんどが静物画、近隣を描いた風景画もあるが人物はでてこない。おそらくモランディは、人物画をとおして成し遂げるような絵画の達成を、モノとの対峙により静物画において実現したのだろうと思う。

いまやこう言っていいだろう。モランディの壜たちに、お好みの演技をつけているのだ、と。その演出には、対照的な二つのコンセプトがあって、画家は、その両極のあいだを揺れ動いているようにみえる。すなわち、詩的な抒情性とドラマティックな悲劇性とのあいだである。かくして、モランディの壺たちは、この両極のあわいを漂うことになる。
(岡田温司「静物の肖像 モランディの壜たち」『肖像のエニグマ 新たなイメージ論に向けて』岩波書店)

朝、ベーコンポテトドッグ、サラダ、珈琲。昼、和幸でとんかつ。夜、近所のカフェでパスタ。

Saturday, February 27

好天、だが、買いもの以外は家で読書する休日。『図書』3月号(岩波書店)、待鳥聡史『代議制民主主義 「民意」と「政治家」を問い直す』(中公新書)を読む。

朝、トースト、目玉焼き、トマトとピーマンのグリル、珈琲。昼、ステーキ、キャロットラペ、トマト、赤ワイン。夜、白米、長葱とわかめの味噌汁、コロッケ、メンチカツ、人参とコーンのサラダ、ほうれん草のおひたし、麦酒。

Sunday, February 28

お出かけ日和とラジオが伝えても、自宅に籠ってひたすら読書。

K・ラウスティアラ & C・スプリグマン『パクリ経済 コピーはイノベーションを刺激する』(山形浩生・森本正史/訳、山田奨治/解題、みすず書房)、司修『Ōe 60年代の青春』(白水社)、長谷川晶一『ギャルと「僕ら」の20年史 女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉』(亜紀書房)、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ 4』(荒このみ/訳、岩波文庫)をソファのそばに積む。

『パクリ経済』のなかで一番ためになったのは、山田奨治による解題だろうか。『Ōe 60年代の青春』は大江健三郎の本の装幀を多く手掛けた著者による、しかし装幀論でもなく大江論でもなく回想録ともいいがたい何とも奇妙な本。『ギャルと「僕ら」の20年史』によるひとつの時代をつくった雑誌の栄枯盛衰を追ったドキュメントは、感動や悲哀に向かう筆致にやや紋切り型を思わなくもないが、ギャル文化に関する知見はたいへん深まった。岩波文庫版の『風と共に去りぬ』で驚くのは、冒頭の登場人物紹介で物語上のポイントをほとんど説明してしまっている点である。誰が死ぬとか殺されるとかKKKに入るとか、小説を読み始める前に判明するこの人物紹介は何なのだろう。

朝、トースト、サニーレタス、茹で卵、珈琲。昼、白米、白菜とわかめの味噌汁、うずらの卵とかいわれ、ほうれん草のおひたし、筍と竹輪と油揚げの煮物、ほっけ、緑茶。夜、ポークシチュー、小松菜のオイル蒸し、コーン、バゲット、赤ワイン。