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Saturday, May 23

週明けから夫が坐骨神経痛のようなものになり、どんどん悪化して、火曜日の夜は、痛みに苦しむうめき声や叫び声をあげるものだからほとんど一睡もできなかった。なんとか眠りにつこうとしても心配で眠ることもできず、まったく、こちらまでぐったり。先月も夫は高熱を出し、一晩苦しんで、その夜はこちらも眠れなかった。2ヶ月連続、キビシイ。明けて水曜日、朝一番に病院に行く。痛みがひどくて普通に歩けないので、わたしもついて行く。湿布薬でひとまず痛みは落ちついたとのこと、ああ、よかった。

木曜日は、明け方にものすごい雷雨。眠りを侵され、ものすごく眠い寝覚めだった。めいわくー。しかしその雷雨に洗われた綺麗な空は目を瞠るほどで、まるで台風一過の10月の朝のよう。迷惑なんかじゃなかったと、美しい朝に感謝する。その日は夜までずっと本当に美しい5月の一日で、あまりにも綺麗な緑と空に感動して、公園をぐるっと散歩した。足元に目を落としたら蟻の集団、久しぶりに見た。子どもたちが飛ばすシャボン玉は大きく宙を舞い、散歩中の犬はシロツメクサにうもれる。ヒール靴を履いてどこまでも歩いていけそうな気分になる。われに五月を、とつぶやきたくなる。われに五月を、って本当にいいフレーズだ。だからことさら5月に寺山修司を読みたくなるのだな、などといい気分に浸る。いますぐここでハンバーガー食べたいなあ、ソフトクリームもなめたいな、などと夢想していたら、きのうまでの受難にダメージを受けた心が修復されていく気がした。

きょうは朝一番で美容院に行った後、新宿の損保ジャパン日本興亜美術館で「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 -スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年-」を観た。ユトリロとユトリロの母スュザンヌの作品を年代順に並べただけのシンプルな構成が素晴らしい、いい展覧会で、満足した。年長の名だたる名画家たちと渡り合い、人づきあいをよくした性質をそのまま表すように、幼い息子や眠る動物、身づくろいする女たち、親友など、対象を真っ向から大胆に描いた母スュザンヌに対して、ユトリロの絵では、人物は絵のなかの点景に過ぎない。“線描”の人であるスュザンヌ、“質感”の人であるユトリロ。性格も絵も非対称で、ユトリロの精神的な病いは母の存在も大きかったというのに、母はユトリロをなんの衒いもなくキャンバスいっぱいに豊かに描くし、ユトリロは生涯母親を恋い慕っていて、なんとも不思議な親子だと感じる。スュザンヌとユトリロが描いた、花瓶に活けられた花の絵が隣り合わせに並べられていたのを観て、ぐっときてしまった。

その後ブルックリンパーラーで、アボカドとチェダーチーズのハンバーガー、ビール(ブルックリンラガー)でお昼ごはん。木曜日、食べたいな〜と夢想していたハンバーガーを食べることができた。

伊勢丹とバーニーズニューヨークを一通り見てから、紀伊國屋書店で立ち読みあれこれ。畠山直哉『陸前高田 2011-2014』(河出書房新社)を購入。