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Monday, May 4

きょうは電車に乗って横浜まで。赤レンガ倉庫、横浜スタジム、山下公園、神奈川県庁のあるこのあたり一帯は本当に綺麗に整備されていて、街全体が美しい。陽射しが眩しく、もうすっかり夏のようだ。サングラスをかけて、絶対に日焼けもしたくないから日焼けどめも塗りたくっているけれど、そんなのものともせず肌に突きささってくる太陽の光が恐ろしい。光は愛しいけれど恐ろしい、そんな季節。

お昼は、チャラン・ポランでおばんざいセット(竹の子ごはん、さつま芋のレモン煮、鰆の幽庵焼き、オクラの揚げ浸し、新玉葱の醤油糀和え、人参のナムル、おから、お味噌汁)をいただく。ここで食事をすると、毎度のことながら、わたしもお料理がんばろう、丁寧に、楽しみながらつくって食べよう、と思う。

再び電車に乗って移動。横浜美術館で「石田尚志 渦まく光」を観る。この作家の作品は、いまひとつのれないだろうな、と予想しつつ観に行ってみたら、予想通りあまりのれなかった。しかし、《海坂の絵巻》(2007年)と題された映像インスタレーションは、増殖していく曲線を描く際に作者の視点にカメラの位置とアングルを合わせたことにより、手前から奥に向かって進んでいくような、というよりも低空飛行を続ける飛行機が真っ白な雪の大地を進んでいくような、そしてそこに曲線が描かれていくような、そうした奥行きを感じさせるもので、これはよかった。逆に、奥から手前に向かって進んでくる変奏的な作品が、展示のラストに置かれていて、これももちろんよかった。

「部屋と窓」と章立てされた最後のコーナーに掲げられていた《REFLECTION》(2009年)という作品は、イギリスの港町にあるギャラリー滞在中に製作された作品で、石田尚志の「ギャラリーに行ってみると、すでにその部屋は美しい光によって描かれている最中だった。僕はそれをなぞっていった」とコメント(解説)にある通り、日のうつろいとともに部屋の窓から差し込む光が壁に描き続ける軌跡を、色彩豊かに、イメージの集積としてあらわしたもので、これは美しくてリリカルで素晴らしかった。そしてこれをわたしはどこかで観ている、と思い、懸命に記憶をたぐり寄せつつ、ネットでも調査してみたら、2014年2月に水戸芸術館で観た「ダレン・アーモンド 追考」の関連企画で観ていたのだった。あの時は、関連企画に志賀理江子の《CANARY》が上映されるということで、そればかり注目していたのだけれど、石田尚志の《REFLECTION》も意想外に強い印象を残したのだった。

絵でも写真でも映像でも、自分はこれをどこかで観たことを覚えている、でも思い出せなくて、懸命に思い出そうとしてみる時、どこかで観ていた出来事はなんだか夢の中のことのように思えるなあ、といつも思う。

その後、「横浜美術館コレクション展 2015年度第1期」も観て、美術館を後にする。バスに乗って赤レンガ倉庫まで。開催中のヨコハマフリューリングスフェスト2015で、ソーセージとビール(エルディンガー ウア・ヴァイセ)をもぐもぐ、ぐびぐび。

Tuesday, May 5

ものすごく久しぶりに餃子をつくって食べ、ものすごく久しぶりに紹興酒を飲んだ。紹興酒は大好きだ。わたしが好きなお酒は、ビール、ワイン、紹興酒です。

Wednesday, May 6

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」を鑑賞。15世紀、フィレンツェ・ルネサンスが花開くにあたって、地中海貿易と金融業で財を成したフィレンツェという街とメディチ家の力がいかに大きかったか、ということがよくわかる、簡潔でありながらもけっこう豪華な展示で面白かった。最終章で説明された、修道士サヴォナローラが行った「虚栄の焼却」についてもっと勉強したい。

お昼は、昔から前を通るたびに気になっていたもののこれまで入らずじまいだったポルトガル料理のお店、マヌエル・コジーニャ・ポルトゲーザを初訪問。週末ランチコースを選ぶ。サラダ、スープ、バゲット、サラミ+魚の揚げ物(バカリャウ?)+砂肝の煮込み+セビーチェの前菜セット、タコのリゾットで2000円。これは安い。もちろん美味しい。赤ワインも飲む。

お腹が満たされたところで、松濤美術館で「いぬ・犬・イヌ」を。犬好きなので外せません。子犬を描いた作品はどれもみんな可愛いなあ。特に円山応挙のわんこが。きょうはもうこれ以上ふらふらうろつかずに、まっすぐ帰宅。夕ごはんに、きのうつくっておいた肉団子と椎茸の中華風スープを温めて、トマトときゅうりと長ねぎのサラダもつくって、ビールを飲む。

Thursday, May 7

夫は「別に…」というので、ひとりで松屋銀座に「誕生60周年記念 ミッフィー展」を観に行く。銀座は好きな街だが、この季節、特に良い。銀座四丁目交差点で信号を待ちながら5月の風に吹かれる。右を見遣ると、少し先にはライオンが。きょうもにぎわっていることだろう。

連休明けの平日ということで会場の混雑はそれほどでもなく、ほっと胸をなでおろす。ミッフィーといえば、キティちゃんやマイメロディと並んで、わたしの高校・大学時代には同世代の女子たちに爆発的に人気が出ていた。それほど人気が出てしまうと白けてしまって、当時は当然のように静観していたけれど、やはりミッフィーといえば石井桃子の訳による「ちいさなうさこちゃん」という呼び名のほうがしっくりきて、幼い頃に何度も何度も手にした、ミッフィーの絵本の表紙に並んだ「うさこ」と「ももこ」という文字の並びは記憶のなかに確実に刻み込まれている。会場では、絵本をつくるにあたって採用されなかった原画と、ディック・ブルーナがミッフィーを描く様子を映した映像を見ることができたのが収穫だった。図録をパラパラめくっていたら、ブルーナは1998年にチャールズ・M・シュルツと会う機会があり、会う前には緊張してナーバスになっていたけれど、実際会ってみたらすっかり意気投合して話がはずんだ、というエピソードが載っていて、いいエピソードだなあ、と思った。

夜、山崎佳代子『ベオグラード日誌』(書肆山田)を読み終える。実に豊かな一冊でした。

Sunday, May 10

望月紀子『ダーチャと日本の強制収容所』(未來社)読了。両親(父は民俗学者のフォスコ・マライーニ)に連れられ来日し、子ども時代を北海道、京都、それから名古屋の強制収容所で過ごした作者とその家族の軌跡を、作者と家族が残したノートや著書などを大量に引用しつつたどる。日本で過ごした時代のことを、ダーチャ、父、母、末の妹が書いている。とにかくよく書く一家なので、残されたテキストが大量に存在する。本書ではそれらのテキストに加えて、後年、ダーチャや彼女の妹がインタビューなどで語った言葉も引用されるため、主語の揺らぎが散見されるのが難点といえば難点。“著者は” “彼女は” “作者は”と言ったときに、著者とはダーチャなのか、訳者(望月紀子)なのか、よくわからなくなる。地の文が続くなかでも同じことが起こるため、言葉の主(ぬし)が誰なのかわかりかねるところが多々あった。これ、もしもあまり興味のないテーマの本だったらいささか読み進めるのに苦痛を伴ったかもしれないけれど、幸い内容は大変面白かったので、最後まで興味深く読むことができた。あと、印象深かったところとして、ダーチャ、父、母、末の妹の記述に時たま相違があったりする。終戦を迎えて帰国することになり、その船出の日について、ダーチャの父は「よく晴れた明るい日」だったと記憶していて、ダーチャの妹トーニは、「海は荒れて、空は暗かった」と記憶している。「記憶の不思議だ」と言っている。うーむ、と思う。