217

Monday, May 18

等々力渓谷を歩いた翌日、筋肉痛になった。骨を触っても痛くはないので筋が痛みの源であることは疑いないが、しかし筋肉痛にしてはとんでもなく痛く、しかも右半身の下肢だけに激痛が走るという奇病だ。だいたいそんなに歩いていないのに筋肉痛になる理由がわからない。原因がよくわからない奇病によく罹る。原因と結果が明確な病に縁がない。理由なく、突発的に、発病する。坐骨神経痛かもしれない。

Tuesday, May 19

調べてみたら坐骨神経痛は症状であり病名ではないらしい。症状だろうが病名だろうが痛いものに変わりはない。痛みが酷くなる。起きているときも寝ているときも激痛が走る。もうおしまいだ。

Wednesday, May 20

きのう痛みをこらえながら会社近くのドラッグストアで買ったボルタレンテープはまったく効かなかったので、市販薬では駄目だ! 調剤を! 調剤を! という状況になり、会社を休んで整形外科に向かう。レントゲンを撮って骨には異常がないことが確認され、二週間ほど薬で様子を見ましょう、治らなければMRI検査をしましょうと告げられる。処方されたのは、ロキソプロフェンナトリウム錠60mg、レバミピド錠100mg、ケトプロフェンテープ40mg。すべてジェネリック医薬品。診療代を合算しても、きのう買ったボルタレンテープより安い。

さっそく患部に貼ったモーラステープL40mgの後発であるケトプロフェンテープ40mgは、とてもよく効いている感があって希望がもてる。しかしこのテープには、「戸外に出るときは天候にかかわらず、濃い色の衣服、サポーター等を着用し貼付部を紫外線にあてないでください。はがした後、少なくとも4週間は同様に注意してください」という紫外線にあてると強烈な副作用が予想される警告文が記載されており(薬剤師にも注意を促された)、ネットで調べたらモーラステープの副作用はそこそこ有名な話のよう。さすが調剤である。

Thursday, May 21

痛み止めとして処方されたロキソニンの後発医薬品を飲んだら胃が荒れてしまったので服用をやめて、ケトプロフェンテープだけにする。ロキソニン慣れしているはずなのに、ロキソプロフェンナトリウムが体に合わなかったのは後発医薬品だからだろうかと訝しんだが、そのときの体調の問題に左右されるのかもしれない。理由は不明。一方、ケトプロフェンテープは感動的なまでにものすごく効く。

Friday, May 22

ケトプロフェンテープのおかげで、個人的な感覚では80%くらいまで回復したように思う。あとはテープの副作用に注意したい。さいわい野原しんのすけの尻出しスタイルの真似を公道でおこなったりしなければ、患部に紫外線が直接あたることはない。野原しんのすけの尻出しスタイルの真似を公道すれば、それは別の病気だとして捕まるかもしれないが。

今週はここまで病気の話しか書いていない。病のなかで読んだものは、成田龍一『加藤周一を記憶する』(講談社現代新書)、『ku:nel』(マガジンハウス)、望月紀子『ダーチャと日本の強制収容所』(未來社)、酒井順子『ユーミンの罪』(講談社現代新書)。『ku:nel』では、鈴木るみこがヴァージニア・ウルフの庭について書いていた。Monk’s Houseはいつかは訪れてみたい場所。

Saturday, May 23

外出。損保ジャパン日本興亜美術館で「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」を鑑賞。母親ヴァラドンが多少なりとも関心を寄せた同時代の美術動向に、息子ユトリロはまるで興味なし。

新宿西口から東口に移動して、Brooklyn Parlorで昼食。ハンバーガーとビール。それにしてもBrooklyn Parlorの本棚は、客席との距離が近すぎて意図的に本の賞玩を拒否しているかのような配置である。風景としての本棚。

伊勢丹の「フランスウイーク」を覗いてから、紀伊國屋書店へ。畠山直哉『陸前高田 2011-2014』(河出書房新社)を買う。

近所の図書館へ。図書館の新刊の棚にDU BOOKSから出ている『世界のレイヴの歩き方』と『はじめてのレコード』が置いてあって、レイヴもレコードもわたしの関心の範疇から外れているのだが、将来レイヴに関心をもつことはなかろうがレコードだったらあり得るかもしれないので、『はじめてのレコード』を借りた。

夜、そうめん、新玉ねぎとトマトとサニーレタスのサラダ、キムチ、ビール。

Sunday, May 24

買いものと料理の日曜日。朝食、ホットケーキと珈琲。昼食、冷やし中華とビール。夕食、グリンピースごはん、かぶと油揚げと万能ねぎの味噌汁、鰤の照り焼き、塩辛、冷奴、ビール。

夜、畠山直哉『陸前高田 2011-2014』(河出書房新社)を読む。

こんな風景写真を撮るよりは、仮設住宅に住む子供やお年寄りの笑顔によって、明るい未来を暗示することの方が、ポリティカルにはコレクトかもしれない、と思うこともある。でもあいにく僕には、ものごとをそのように行う習慣が生まれつき備わっていなかった。あるいは僕の写真作業が、特に造形的な面で、いわゆるアートにおける普遍性を感じさせるような隠喩やイディオムを用いているように見えて、じっさいは個人的事情だけを立脚点にして進められている点に、アート慣れした人々は違和感を覚えるかもしれない、と思うこともある。(じっさい英国の、旧知の美術館キュレーターから「悪いけど、この写真に対して意見を述べることができない」と言われたことがある。) だがそのような考え、感じ方があるとしても、それはいずれにしろ、いまの僕にとっては、どこかですでに見聞きし知っている「単純な物言い」のひとつでしかなく、それよりは、良い悪い、正しい正しくないすら「わからない」ような、自分にとって未知の方角へと、たとえ何かに引っ張られるようにしてでも、このまま進んでゆくしかないだろうと感じられる。(正直に言えば、それを邪魔する「単純な物言い」の権化は呪われるがいい、と思うことすらある。)