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Saturday, November 1

労働時間以外の充実した暮らしを生きる糧としている身としては、残すところ今年もあと二ヶ月との通達を聞いて考えることといえば、残すところの休日の日数だけだ。

朝食を抜いて、渋谷経由で銀座線に乗って外苑前で降りる。キラー通りを歩いて、世界各地の朝ごはんを食べられるWORLD BREAKFAST ALLDAYに向かう。本日の朝食兼昼食はここで。二ヶ月ごとに変遷する朝ごはんの今回の場所は、クロアチア。が、わたしは食に関して保守的なので、クロアチアはパスして、以前から気になっていたメニューのイングリッシュ・ブレックファストを注文した。フライドブレッド、ベイクドビーンズ、卵、マッシュルームとトマトのソテー、ハッシュドポテト、厚切りベーコンが大皿に乗ったイギリスの朝ごはん。評判の悪いことで人口に膾炙しているイギリスの食事だが、この朝ごはんは美味。イギリスはおいしい。

WORLD BREAKFAST ALLDAYを訪れる楽しみのひとつに、テーマとなった国を簡単に紹介したしおりを読めることがあり、クロアチアについては「家族を大切にするクロアチアでは、7時から3時の間に働いて夕方には家に帰って家族揃って食事をします。残業はめったにありません。ランチはサンドウィッチなどで軽くすませます」と書いてある。このスタイルの生活に適応できる自信がある。逆に言って、一般的な日本の労働環境にはまるで適応できていない(する気もない)。

ワタリウム美術館で「磯崎新 12×5=60」展を見る。磯崎新の仕事がコンパクトに凝縮されたかたちで展示され、全体像、というより興味ぶかい断片が散在している感じ。会場にあった『磯崎新の仕事術』(王国社)のページをぱらぱらめくっていたら、磯崎新と武満徹はマンガを貸し借りする仲だったとあって、少し意想外。知的膂力でもって創作活動をしているように映るふたりと、「マンガの貸し借り」という普通っぽさがうまく結びつかない。なにより何のマンガだったのかが気になる。

ワタリウムの地下の本屋をぐるっと見てまわり、美術館を出ると外は雨模様。外苑前からふたたび渋谷に出て、東横線で学芸大学駅に向かう。渋谷駅でのJRと東横線の乗り換えで、最短ルートがどれなのかがさっぱりわからない。古書店SUNNY BOY BOOKSに寄る。ここ最近古本屋に立ち寄って何も買わずに店を出るということがなくなっている危険な兆候を察知しつつ、『In-between 6 野村恵子 イタリア、スウェーデン』(EU・ジャパンフェスト日本委員会)、『SAMELAND』(limArt)、『なnD 2』(nu)を購入。『In-between』は金村修のもあったのだが、財布にやや深刻なダメージを与える値段がついていたので見送った。

少し歩いて目黒通り沿いのCLASKAへ。2階にあるCLASKA Gallery & Shop “DO”でムーンスターのスニーカーを買う。「SHOES LIKE POTTERY」という名のシリーズから白のローカットを選んだ。

1階のkiokuhで休憩。おとなしくミネラルウォーター(サンペレグリーノ)にしようと思ってメニューを確認したら、値段がグラスワインと一緒なので、問答無用で赤ワインを注文した。しばし読書。

ふたたび東横線、代官山下車。本だのスニーカーだのの嵩張る荷物はコインロッカーに預けて、小雨が降ったりやんだりの代官山の街を散策する。あたらしい食器が欲しくて、雑貨店をいくつかまわるも、これといったものに巡りあわず荷物は増加せず。具体的には蕎麦やうどんをつくったときの麺鉢が欲しいのだが、そもそも麺鉢自体が見あたらない。代官山ではどんぶりの需要がないのか。

夕餉の予約の時間まで、蔦屋書店で時間をつぶす。代官山の蔦屋書店でノートパソコンを持ち込んでいる人の大抵は、Apple社の製品を使っている。どいつもこいつもMacである。わたしもiMacやMacBookを愛用しているとはいえ、ここまでApple製品ばかりの光景を前にすると、DELLのノートを持ち込んで抵抗勢力として戦いを挑みたくなる。VAIOでもよい。

夜、T-SITE内にあるIVY PLACEで夕食。食事は、ビーフとラムのスパイシーミートボール、チキンとクルミとフレッシュグレープのグリーンサラダ、メカジキのグリル。飲み物は、ビール(インペリアル スタウト)、赤ワイン(ボーグル ヴィンヤーズ)、白ワイン(パトリック ボテックス)。散財の夜が更けてゆく。

蔦屋書店で金井美恵子『砂の粒/孤独な場所で 金井美恵子自選短篇集』(講談社文芸文庫)を買って帰路につく。

Sunday, November 2

きのう吸収したアルコール成分が抜けるまで時間がかかったがために、やや寝坊。予定していた横浜トリエンナーレは諦めることに。わたしはこれまで一度も横浜トリエンナーレに行ったことがない。これほど縁がないと、現代美術にそれなりの関心をもっているにもかかわらず横浜トリエンナーレを未経験というのも、それはそれで結構なことのような気がしてきた。

トリエンナーレには行かずとも、横浜には向かう。昼前、みなとみらい線の日本大通りで降りて、Charan Paulinへ。おばんざいプレートとほうじ茶の昼食できのうの過食を浄化する。

山下公園から港の見える丘公園まで急勾配の道程を散歩して、神奈川近代文学館に向かう。「須賀敦子の世界展」。須賀敦子の生涯を包括的にまとめた充実した内容で、じっくりと時間をかけて見てまわった。

須賀敦子の文章を讃えるものはこれまで数多く書かれ、これからも増え続けるだろうが、須賀敦子による日本文学のイタリア語への訳業についてふれたものは少ない。須賀敦子の、イタリア文学の日本語への翻訳についてであれば、探せばいくらでもあるだろうと想像できるけれど、逆はどうだろう。今回の展覧会でも、須賀敦子のイタリア語での日本文学紹介は「高く評価されている」と書かれているものの、具体的な内実はよくわからない。展示の説明によれば、谷崎潤一郎や川端康成のみならず、日本文学の翻訳候補として(実現はしなかったようだが)、三浦綾子『氷点』なども挙がっている。須賀敦子のイタリア文学の翻訳が、いかにも須賀敦子が訳しそうだなあと思う作家が並んでいるのに対し、日本文学の翻訳はあきらかに「紹介」という使命を帯びているような雰囲気を感じる。そのあたりについて精査して論じているものがあれば是非読んでみたいのだが。

山手イタリア山庭園まで歩いて「外交官の家」の喫茶室で一息入れてから、元町のショッピングストリートを抜け、中華街に向かった。夜風が強く吹くなか辛抱強く行列にならんだ上海豫園小籠包館にて、鮮肉小龍包、春巻き、野菜スープ、チンジャオロースー、海老のチリソース、ビールの夕食。

帰りに照宝で蒸籠を買う。

土日にずっと読んでいたのは、Maxim Leo, Red Love: The Story of an East German Family。平明な文章で綴られた、旧東ドイツの家族の物語。