162

Monday, June 2

蓮實重彦の『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房)が今月25日に刊行されるとの報せから思い出されるのは、2003年に『ユリイカ』(青土社)がロラン・バルトの特集を組んだ際の、松浦寿輝へのインタビューである。ロラン・バルトの示す「言葉の物質性への執着と、そこにこそ自分の実在の問題のいっさいを見るというエクリチュールの倫理が重要だった」とし、その関心や認識を共有できたのが蓮實重彦であったと述べたうえで、つぎのように言っている。

ただ、私は最初から蓮實重彦の文章はバルトとはちょっと違うなと感じていました。蓮實さんはある意味でバルトよりはるかに強靭、強健な文章家であり、もちろん非常に繊細な批評の書き手ではあるんだけどバルトのあの「弱さ」の魅力のようなものはないですね。バルトはあんなふうに何もかも中途半端にしたまま自殺同然に死んでしまったわけですが、蓮實さんはきっと長生きなさって(笑)、ご自身の仕事を見事なサンテーズ(綜合)で締め括られるだろうと思いますよ。

当時からすでに『「ボヴァリー夫人」論』は予告されていたはずで、いまだ纏めきれずにいるという話だったかと思うが、あれから10年以上の時が経過し、蓮實重彦はちゃんと長生きして、『「ボヴァリー夫人」論』を上梓した。

Tuesday, June 3

米田知子のエストニアの写真に導かれるようにして、梨木香歩『エストニア紀行 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦』(新潮社)を再読した。初読のときにはあまり思わなかったが、エストニアには一度訪れてみたいと考えはじめているので、読みの深度がおおきく変わった。以前は「旅」をあまり好んでいなくて、舞台となる土地に行った/行かないなどというのは読解において本質的な問題ではないと思っていたのだが、その土地を訪れてみると見方が変わる、という凡庸といえば凡庸な見解をいまは受け入れつつある。

旅の計画は愉しい。宿泊する予定はないので、梨木香歩の旅とは異なり、エストニアに足を踏み入れたとしても首都タリンを巡るくらいしかできないだろうが。

Wednesday, June 4

近所にいいカフェができた。夕食どきに行けば、パスタを中心とするメイン料理の他に二品、そしてアルコールもついて1500円もしない、というそれで経営はやっていけるのかと余計なお世話な心配をしたくなる。そして料理は申しぶんのない美味しさ。しかし座席数が少ないので、すぐに満席になってしまう。今夜も、行ってみたら満席。仕方がないので、自宅に引き返し、満席の敵をタコと水菜とベーコンのパスタづくりで討つ。

Thursday, June 5

平野紗季子『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)を読む。おもしろく読んだが、ブログの書籍化をめぐる瑕疵も目について、このネタは紙媒体よりブラウザで読んだほうが絶対いい! と思う箇所もちらほら。平野紗季子は大学を卒業して就職しちゃったようだけれど、いつか書き下ろしを期待したい。

Friday, June 6

『地球の歩き方 北欧 2012〜2013年版』(ダイヤモンド社)のストックホルムのページを読むと、書いたのは編集部かライターか、気合いの入りすぎな文章に出会うこととなる。

夏のストックホルムは、バルト海を疾走する白いヨットのように爽快だ。20時間近く照り続ける太陽の下、フレムゴーデン公園の芝生の上で日光浴を楽しむ半裸の男女は、スウェーデンの満ち足りた生活にうっとりした顔つきだ。一方午後2時30分には日が落ちてしまう12月。凍てついたガムラ・スタンの裏通りをたどれば、陰鬱なシベリウスのメロディを思わせる幻想に囚われる。

何を言いはじめるんだこれは。

Saturday, June 7

湯山玲子『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)。単行本発売時にいちど読んでいるので、再読になる。やっぱりおもしろいなあこの人は。寿司屋に来店する客の職業や学歴までを勝手に決めつけて書いていて、強引なようでつい頷いてしまう妙な説得をもつ人物描写に唸る。

Sunday, June 8

Michaël BorremansのEating the Beardを眺めたり、Miwa OgasawaraのWindhauchを眺めたり。