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Wednesday, January 1

日の出の30分前に起床。マンションの屋上からは屹立する建築物に遮られて、日輪が顔をのぞかせる瞬間がいまひとつ確認できない。周囲が明るくなったのを目安として初日の出を見たという実績にしておく。見上げた空は、快晴。

おせち料理、お雑煮、日本酒。正統的な日本の正月料理が食卓に並ぶが、熱燗を飲む機会が正月くらいなものだから、いまだ徳利やお猪口を揃えていなくて、ポーランド製のマグカップで日本酒を飲むという邪道っぷり。日本における東欧革命を食卓で実現させる所存である。

プロジェクターで部屋の壁にひたすら投影する、自宅でお正月映画祭り。ウディ・アレン『ローマでアモーレ』(2012)を見て、ウェス・アンダーソン『ムーンライズ・キングダム』(2012)を見て、小津安二郎『晩春』(1949)を見て、アキ・カウリスマキ『コントラクト・キラー』(1990)を見る。

新年一発目の景気づけとして借りた『ローマでアモーレ』は、能天気だけど苦味のまじったウディ・アレンらしい映画でとてもよかった。よい評判を耳にしていた『ムーンライズ・キングダム』は、出てくるセットや小道具が抜群にキュートで、悪い映画ではもちろんないけれど、多くの人がそんなに絶賛する理由がいまひとつよくわからなかった。そこまでの傑作なんだろうかと疑問が。つづけて再見の『晩春』にあらためて感動してしまい(と同時に異様な映画だとも再認識したのだが)、しみじみ傑作だなあと感じ入ったのは、じぶんの感性が「最近の映画」についていけなくなったということかもしれない。『晩春』は『ムーンライズ・キングダム』の100倍はおもしろかったから(当社比)。もう「昔の映画」にしかしっくり来なくなってしまったのかと思うと、少し哀しい。ウディ・アレンのは新作だけど「昔の映画」といっていいようなものだと思う。制作年に関係なく。カウリスマキも同様に。

Thursday, January 2

Salman Rushdie『Joseph Anton: A Memoir』(Random House)。去年の5月あたりで読みさしになっていたラシュディの自伝を、もう一度最初から読み始める。購入当時激安だったのでアマゾンで手に入れたラフカット版は長いし重いしで持ち運びに難儀するので、キンドルかペーパーバックを待てばよかったかも。

すべての展示が無料になる正月の東京都写真美術館に来るのは今年で三年目。クイズ(といっても展覧会のタイトルを埋めるだけだが)とアンケートに答えてくじを引ける「おめでとう写美クイズ」、去年は鉛筆が当たったが、今年も鉛筆だった。二年連続鉛筆を獲得。去年もらった鉛筆は、鉛筆削りにいまだ差し込まれないまましまってある。展示は「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ」と「日本の新進作家vol.12 路上から世界を変えていく」と「高谷史郎 明るい部屋」。

「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ」のお目当ては、ラルティーグのほう。植田正治の写真はもう充分たくさん見たよと言いたいほどいささか食傷気味で、彼の作品や経歴は繰り返し見たり読んだりしたし、植田正治の写真をめぐってのまったく新しい卓見が今後でてくるという機運もあまりないような気がして、関心は低下気味。唯一気になるのはヨーロッパで植田正治が撮った写真があって、これらを誰か俎上に載せていたりするだろうか。金子隆一がどこかに書いていたりするのかな?

ラルティーグの写真はどれも素晴らしく、植田がラルティーグを敬愛していたという理由とともに、生涯にわたり「趣味」で写真を撮ったという意味で今回ならべて展示されているのだが、自動車やスポーツを媒介としたラルティーグの「運動」への関心を前にして、エティエンヌ=ジュール・マレーやエドワード・マイブリッジのことを思った。植田正治をもってくるよりも。科学的な「冷たさ」を感じさせるマレーやマイブリッジの写真と、親密な者たちへ向けられた「温かさ」にあふれるラルティーグの写真とではある意味対照的なのだけど、「運動」というもののエッセンスを抽出するという射程においては、ならべて参照するとおもしろいのでは。

「路上から世界を変えていく」では、銀座のポーラ・ミュージアム・アネックスですでに見た、意図的にハレーションを起こした大森克己の写真にいちばん惹かれる。しかし大森克己って「新進作家」なのだろうか。

「高谷史郎 明るい部屋」の関連イベントとして坂本龍一と浅田彰と高谷史郎のトークが行われるらしい。ここに村上龍が加われば、坂本龍一のオペラ「LIFE」にあたって『朝日新聞』紙上に掲載された座談会を思い出す、って何年前の話をしているのでしょう。帰りの電車でラシュディの本を読んでいたら、そういえば「LIFE」でラシュディの朗読を使おうとしたら、主催の朝日新聞社から「検閲」が入ったなんて話も思い出した。

Friday, January 3

日本の正月が嫌いなので、あまりに日本的な内容の本を紐解く気にはなれないが、かといって、対抗して西洋べったりの書物に沈殿するのもバタ臭いので、澁澤龍彦『フローラ逍遥』(平凡社ライブラリー)あたりを読むのがちょうどいい。一昨年の正月にも読んだ。花の話だし、落ち着いた心持ちになるのでよい。つづけて岩波の『図書』も読む。青柳いづみこの連載「どこまでがドビュッシー?」が載ってない。

夜、新宿三丁目のBrooklyn Parlorで、知人と新年会。喫煙席しか空いてないと案内された席は、店内を見渡せるいい席。この店は単価がやや高くないだろうか? と危惧していたが、ハンバーガーを注文したら結構なボリュームで、食べ過ぎ注意のアラームが鳴るほど満腹になる。小洒落ているだけの店かと思ったが、そうではなかった。でも周囲を取り囲んでいる本はお飾りにしか見えない。二時間の放談。『QUOTATION』の市橋織江特集の誤植がすごすぎるので是非読んでほしいと伝える。

Saturday, January 4

朝から映画。カウリスマキ『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992)とタルコフスキー『ストーカー』(1979)を見る。せっかく郵送返却の手続きをしたのに間に合わないのでTSUTAYAに出向いて返却。池袋でカレーを食べたり、新宿の丸井で買い物をしたり、山手線の西側で午後を過ごした。

夜、イタリアの赤ワインをあけて、バゲットにオリーブペーストをつけて食べて、そういえば更新されていた『The Economist』誌を読む。今年もまた英文を読む日々がつづく。去年いちばん読んだ本は『ウィズダム英和辞典』と『コウビルド英英辞典』だった。正確には本ではなくiPhoneのアプリだが。おそらく今年もいちばん読むのは辞典になりそうな気配。

Sunday, January 5

なかなか更新されないサイトとしての悪評が一部で起こっているようなので、日誌くらいは毎日書くようにしたい。今週は毎日日誌をつけていた。「毎日日誌をつける」ってよく考えれば、いやよく考えなくても、当たり前の話だが。

午前中は食材の買い出しにスーパーに赴き、お昼ごはんにうどんをつくったり、弁当用のつくりおきを用意したり、放置していた去年の日記を更新したり、なんやかんやで日が暮れて、夜、貸出期限の迫る本を図書館に返しに行って、近所のカフェで夕ごはん。ラタトゥイユ、海老のキッシュ、鶏のささみと白菜のサラダ、赤ワイン。ベルギービール(シメイ)を追加でオーダー。

明日から会社が始まる。陰鬱な夜に日誌をしたためる。