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Monday, November 25

夕方から突如として風強まる。雨。夕ごはんは、しめじとベーコンとほうれん草のパスタ。

夜、『KINFOLK』読む。今号のテーマは「老い」。テーマにかかわらず今回もまた、ページを捲るたびに物語が湧き出てきそうな写真ばかり。我が家所蔵の『KINFOLK』、これで5冊に。

雨音を聴きながら眠りにつく。

Tuesday, November 26

『一冊の本』11月号(朝日新聞出版)の金井美恵子の連載「目白雑録(6)もっと、ちいさいこと(2)」を読んでいて、見出しが「「さん」付けで呼ぶ(呼ばれる)職業」とある通り、先月から職業名に「さん」を付ける付けないの話を相変わらずネチネチとしているのだけれど、

先月号に「編集さん」や「作家さん」という呼び方があることを書いたのだが、私としては「作家さん」という呼び方には、もちろん、薄ら馬鹿が何を根拠にエラそうにといったふうの軽蔑のニュアンスを感じるし、「編集さん」という言い方は、これは、えらそうにタメ口をきくくせに、まとめるという仕事さえまるで出来ない奴、を意味しているのではないか、という気がするので、大衆的な帆が受賞するケースの多い「本屋大賞」のことも、つい子供っぽく「本屋さん大賞」だとばかり思っていたのだった。

というくだりがあって、「本屋さん大賞」というところで爆笑した。

これに付随して、ぜひ金井美恵子には、商店街に買い物に出たときの描写で「豆腐や、魚や、肉や、花や、」と書き連ねる、薄くてぬるい珈琲を飲んでいるかのようなぼんやりした文章を書く文筆家の文章を意地悪く論評してほしいものだと個人的には思う。

Saturday, November 30

体調不良が懸念され行くの行かないのと逡巡したのち、やはり前々から楽しみにしていたのだから行こう、大丈夫だ大丈夫、ということになり、京橋まで「印象派にとっての写真、写真にとっての印象派」と題した鈴木理策と倉石信乃のトークを聴きに行った。ブリヂストン美術館で開かれている「カイユボット展 都市の印象派」での関連企画トーク。ブリヂストン美術館では「土曜講座」なるものが開かれていて、これもその一環なのだけれど、司会のブリヂストン美術館学芸課長の新畑さんがしきりと「きょうお迎えする講師の方々はいつもとはちょっとまた違う感じの方々で……」と言っていたのがおかしかった。まあたしかに、ちょっと違う感じではあるのだろう。それにしても鈴木理策は作品と、本人の相貌と、声がまったく合致しないというかかち合わないというかそぐわない感じがする。

トークは 1. 印象派前後の画家と写真(倉石氏) 2. カイユボットと写真およびカイユボット作品が与える写真的印象について(理策氏) 3. セザンヌの視覚とそれによって誘発された写真について(理策氏) をテーマにカイユボットと写真について、主に西洋のさまざまな写真を参照しながら考察されるもので、非常に面白くてワクワクした。ピアノを弾くカイユボットの弟を描いた作品だったか、違ったかもしれないけど、それを観て倉石さんが「これはちょっと不自然な構図なんですよね。鈴木さん、これは写真で言えばちょっと広角で撮る感じですよね?」と鈴木理策に問い、鈴木理策が「そうですね40ミリくらいですね」と即答していたのもおかしかった。

こういうトークを聴いた時、詳細をこういうところにも記録してよいのだろうか、といつも思ってそういう話になる。難しいですね。じぶんだけではなく、同じ興味や関心を持った人びとと共有できればよいのだけれど。

トークで参照されたのはアンドレ・ケルテス、モホイ=ナジ、木村伊兵衛、アルフレッド・スティーグリッツ、ドガ、シニャック、などなど盛りだくさん。今回のカイユボットの作品はどれも好きなのだけど、とりわけ気に入ったもののひとつに1880年制作の《見下ろした大通り》というのがあって、この構図にそっくりなアンドレ・ケルテスの写真が示され、カイユボットはこうした写真的視点を先取りしていたのかもしれない、という話を聴いた。3つ目のパートでは鈴木理策のセザンヌ関連の写真がダダッとプロジェクターで映し出され、みんなで酔いしれた。あの一連の作品をまとめて観れるなんて興奮してしまう! 鈴木理策の写真集、全部ほしいなあ。『Mont Sainte Victoire』も『Atelier of Cézanne』も『Saskia』も。『Saskia』なんてもう10年以上もほしいほしいと思い続けているのに。ちなみに持っているのは『熊野 雪 桜』だけ。

その後、東京ステーションギャラリーで「植田正治のつくりかた」展も観る。植田正治の奥様と娘さんは本当に可愛いらしいなあ、といつも思う。帰宅して夜は、スーパーで買ったお寿司とビール。

Sunday, December 1

常備菜をこしらえたり、食材と日用品の買い出しに行ったり、日記を書いたり本を読んだり、いつも週末にしているだろうということのおおよそを行った日。とてものんきな一日だった。夜は近所のカフェに夕ごはんを食べに行く。あまりのコストパフォーマンスの良さに驚愕、なんだか申し訳ない気持ちになる。しかし大変にありがたい価格設定であるため、大いに甘えることにする。