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Thursday, November 21

食卓にクリスマスツリーをだした。夕食はベーコン、パプリカ、玉ねぎ、かぶの葉のあさりパスタ、白ワイン。体調は良かったり悪かったり日ごとにコロコロ変化し、きのうまでかなりよろしくなかったが、きょうはまあ、まあまあで、目の具合がだいぶよくなってきているのはとても喜ばしきことで気が大きくなって、久しぶりにワイン1本あけた。

Friday, November 22

夕方、上野の東京都美術館で「ターナー展」を観るため東京都美術館へ向かう。太陽の光がふりそそぐ真っ昼間の上野公園を見慣れているため、夕闇に包まれてこの場所を歩くとなんだかとても寂しい気分になってしまう。

「ターナー展」はこの時間帯でも、そこそこの混みよう。ターナーの風景画は単なる風景描写にとどまらず、画が必ずドラマを孕んでいるということがよくわかったが、わたしはますます抽象性を強めていく晩年の作品群に惹かれた。ぐっときた。なかでも《平和—水葬》は傑作だと思った。当時のたいていの批評家は、こうしたものの輪郭があいまいな絵を貶したが、ターナーはまったくそれに屈することなく、追求し続けた。

焼肉、チヂミ、ビールの夕食を済ませて帰宅。

Saturday, November 23

朝、美容院へ。きょうはどこを歩いても色づいた葉が視界を彩る。美容師さんから、前の人が時間がかかっているので少し遅れてきてね、とのメールあり、ちょっと待ちぼうけで近くの公園のベンチで金井美恵子の『小説論 読まれなくなった小説のために』(朝日文庫)を読むつもりでいたが、きょうだけは、きょうばかりは、金井美恵子の文章に身をゆだねるよりも赤や黄色の木の葉で眼球を潤したい。美容院はサービスメニュー付きの日だったためだいぶ時間がかかってしまった。行き帰りの電車で『作家論』を読む。

一度帰宅してから本郷の東大キャンパスに紅葉を見に行く。三四郎池の橋を久しぶりに渡った。なかなかの人出でにぎわっている。みな手にカメラを提げている。三四郎池では錦鯉と水鳥が共生していた。水鳥は可愛いなあ。

帰り道、道路を挟んで東大の向かい側にある古書店、ヴァリエテ本六でカルヴィン・トムキンズ『優雅な生活が最高の復讐である』、矢川澄子『アナイス・ニンの少女時代』を購入。この本屋、なぜだかわからないのだけれど、不思議なことに一度訪れたその後、2、3度行ってみたものの、通り沿いにあるのだから迷いようもなくそれほどわかりにくい入り口でもないのになぜだかどうしてだか、どうしてもどうしてもたどり着けなかったというカフカ的な古書店なのだ。なぜ見つけられなかったのか。謎だ。あまりに謎だ。ともかくきょうはやっと行けて、よかった。

地元に戻り、図書館で本を3冊借り、花屋でピンクのバラを買い、肉屋に寄って帰る。夕ごはんは、お昼に本郷のお気に入りのハンバーガー屋、FIRE HOUSEでアボカドバーガーとポテトチップスでお腹を満たしたことによりあまり空腹を感じなかったため、肉屋で買ったメンチカツとコロッケ、塩をふったきゅうり、ビールで軽く。

Sunday, November 24

晩秋の鎌倉へ。といっても第一の目的は紅葉狩りではなく、美術館めぐりだ。美術展2つに、文学館の展示1つ。行きの電車に乗り込んだときにハタと気づいた。今、鎌倉って混んでるんじゃないか。紅葉は見頃、天気は良好、絶好の行楽日和。混んでいないわけがない。「混んでいる」という事実が脳内からすっぽりと抜け落ちていた。まあ、仕方なし。

北鎌倉の駅前の混雑ぶりを車窓から眺め、降り立った鎌倉は言わずもがなの大混雑。美術館へ向かう途中、人が多すぎて全然前に進めない小町通りの古書店でまたもや本を買う。チェーホフ『退屈な話・六号病室』、武田百合子『遊覧日記』、饗庭孝男『石と光の思想』の3冊。完全に箍が外れ、古本を買いあさる秋。

神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「西洋版画の流れ ブリューゲルからピカソまで/特別展示 ジゼル・ツェラン=レトランジュ」、鎌倉館で「加納光於展 色身(ルゥーパ)―未だ視ぬ波頭よ 2013」を鑑賞。ジゼル・ツェラン。貴族の娘に生まれ家族の猛反対を押し切って結婚、家が狭いため油絵をあきらめ小さなスペースでもできる版画を始めた——。“パウル・ツェランの妻”というだけでもう存在自体が劇的なのに、そこに至る過程や二人の生活の内実もまた、劇的と言って余りある。半身のようにパウル・ツェランの詩に寄り添うジゼルの版画はジゼルの大きなテーマでもあった「結晶」を想起させる造形をしているけれど、硝子の破片のように見える、いや、これは灰だ、灰の破片に見える。塵や芥のように風に舞い上がってひらひらと地面に落ちる、漆黒の灰の破片。並べられた版画の多くは似たような造形だけれど、長い時間見つめてしまう。ツェランの死後は空や雲、海、砂浜、岩といった自然がモチーフとなることにも興味を覚えた。

加納光於は難解だった。丁寧な解説をもってしても、まずは技法を理解するのに一苦労だ。初の個展は瀧口修造の推薦で開かれたとのことで、あらためて瀧口修造という存在の偉大さを思い知る。

お昼はおなじみOXYMORONで、紫キャベツのコールスロー、スリランカ風マトンカレー。美味しい。ホームが人であふれかえる江ノ電に乗って由比ケ浜で下車し、降りてすぐの鯛焼き屋さんでピロシキを買い、歩きながら食べる。美味しい。鎌倉文学館で「堀辰雄 生と死と愛と」を観る。堀辰雄は昔、3冊ほど新潮文庫で読んだきりだ。また読んでみようかしらん。観賞後、そのまま由比ケ浜までてくてく歩いて海を見に行く。太陽がみるみる沈んでいく。つるべ落としの秋は来にけり。日が沈んだ後も空はまだしばらく明るく、海面の水色、水平線上の桜色、そしてその上にまた空の水色、という見事なグラデーションの夕暮れを見せつけられ、思わずため息。見ているわたしの体内から不純物がきれいさっぱり流れ落ち、軽く軽く、透明になっていくようだった。

帰りの電車のおともは、うにあられとビール。贅沢にも行き帰りグリーン車を使ったのは、「モバイルSuicaでSuicaグリーン券!」のタイトルを掲げ、リラックスして座席に座るSuicaペンギンが可愛かったから。ということにしておこう。それにしても坂崎千春やJRはこのペンギンに特定の名前をつけていないのだなあ。ただの「ペンギン」って言ってみたり。「Suicaのペンギン」と呼ぶことはあるらしい。初期のこち亀で、よく登場する犬がいるのだけど、その犬もこれといった名前がなくて、両さんに「おい、犬!」とか呼ばれていた。