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Wednesday, August 21

何事もなくホームグラウンドにたどり着いた安堵と、何があろうとまたここでやっていかなくてはならないという諦念。旅の終わりに抱く感情はいつも複雑だ。きょうは一日ぼうっとした頭で、地に足が着いていない浮游感とともに過ごした。

帰宅して洗濯機を何度かまわしながらシャワーを浴びて、お昼は焼肉店に肉を食べに行く、というか石焼ビビンバを食べに行く。スーパーをはしごしてレトルトのカレーやパン、ジャム、ヨーグルトなどを買って帰宅。荷解きをある程度終えたところで少し昼寝をする。とはいえ天候が不穏で、いつ雷雨に見舞われるかわからないので落ち着かない。東京アメッシュをにらみつつ、あらかた乾いた洗濯物を取り込み、近づいてきた雷鳴轟くなか、少し眠る。旅先で見た景色ばかり夢に見る。登場したのはみな異国の人々だった。

あっという間に夜がくる。

Thursday, August 22

いまじぶんがいる場所と生活をとても愛しているけれど、旅行直後は旅した土地と時間に対する郷愁が怒濤のように押し寄せてきて、空や雲、透明な光、海、湖、乾いた空気、涼しい風、街並や人々の様子、電車の色や形、線路やホーム、カフェに飾られた花、白い壁、言い出せばきりがないけれど目にしたすべてを思ってふいに泣きたくなる。相当強い衝動として。旅のなかにも、生活はたしかにある。

一日、食欲があるようなないような状況が続き、お昼過ぎになって、ああやっぱりあんまり食欲ない、と感じる。旅行中に朝食をあまりにたくさん食べ過ぎたせいだろうか。睡眠不足に加え、一週間ぶりの日本の蒸し暑さにやられているせいもあるだろう。

夜は素麺とビールでさっぱりと。眠くて、21時には寝てしまう。

Saturday, August 24

日本に帰ってきてから身体が時差を修正しようと頑張っているもののなかなかうまく戻らず、夜中に二度は汗をかいて目覚め、クーラーにあたって涼んでから再び朝まで眠る、という状態。今朝はなんとか5時台に起きて、本を開いて文字を追うと、おとといきのうは気にならなかった左目の霞みがひどいことになっていて、少し痛みもある。オノ・ヨーコ(にそっくりな院長さんがいる)眼科に行くべきか、これは。しかしきょうは休診日なのだった。

朝ごはんはクロワッサン、スクランブルエッグ、ウィンナー、ヨーグルト、珈琲。お昼はグリーンタイカレー、ビール。ビール飲みたい欲はあるけど、いつもより苦く感じる。スーパーで食材をどっさり買って、でもあんまり食べたいものがなくて、何をつくればいいかわからなくて、日が短くなったなー、と寂しい気持ちで帰る。帰り道にある、イタリアンカフェレストランの窓際の席で老夫婦が背中を丸めて食事をしているのが見えた。人々が食事をしている風景は、人が熱心に本を読んでいる姿と同じくらい好きだ。

やはり目の痛みのことを思うと憂鬱だ。夜は、ソーセージ、コンソメ味のポテチ、ビール。ここはロードサイドダイナーか。ダイナーのある風景も好きだ。エドワード・ホッパーの絵、目玉焼き、フライドポテト、クラブハウスサンドイッチ、アップルパイ、珈琲、ビール……。

Sunday, August 25

午前5時起床。ほどなくして雨が降り始めた。多くの人が、出かける予定のない日の朝に降る雨は好きだと言うように、雨嫌いのわたしも遠出の予定のない朝に静かにもの言わず降る雨は好きだ。

旅行の写真を眺めたりぼーっとしたり、日記を書いたりしているうちに午前7時、8時、9時と過ぎていっても、(夕べ深夜までパソコンに向かっていた)夫が一向に起きてくる気配がないためなかなか朝食を用意できず、もうわたしはお腹が空いて空いて我慢できなくて、お米を炊いて、以前お土産にいただいた、じぶんではとても買えないような高価な海苔をケチケチとまだ使わずに取っておいたのを思い出し、塩むすびをにぎって美味しい海苔を巻いて食べた。あー、美味しいよう。わたしはお米が三度の飯より好きなのだ!

きょうは左目の痛みと霞み、気にならず。常備菜のおかずを3品ほどつくる。いつもの花屋で紫のスイートピー、ピンクのバラ、つる系の葉っぱを買う。花屋の店長さんはとても可愛くて穏やかな女性でわたしにとってはわりと話しかけたくなっちゃうタイプなんだけど、きょうはあまりおしゃべりする元気を絞り出せず、言葉少なめ。近所のお気に入りのカフェでよく冷えたりんごジュースを飲みながら『一冊の本』(朝日新聞出版)のバックナンバーを4冊読む。あと『地球の歩き方 シベリア編』(ダイヤモンド社)も。別に、行く予定はないんだけど(興味はとてもあるけど)。旅の後には旅の本を読むとはかどるので、今のうちに熱心に読んでおく。1ヶ月くらいでその熱も冷める。

夜は、あさりとベーコンとパプリカと舞茸のパスタ、赤ワイン。

Monday, August 26

夜、ごはん、茄子と舞茸とほうれん草の味噌汁、ホッケ、たたききゅうりの甘酢あえ、烏賊の塩辛、金目鯛の煮付け(缶詰。お土産の頂き物)、ビール、でやけに魚々しい夕餉。食後、食卓で座ったまま居眠り。疲れている。日付が変わる頃、土砂降り。身体中が熱く、眠れなくて辛い。嫌な夢ばかり見る。きょうも目の調子が悪く、パソコンに向かう気が失せた。

Thursday, August 29

目の霞みと痛みに耐え切れなくなってきたので、かかりつけの眼科までオノ・ヨーコ(にそっくりな眼科医)に会いに行った。ルイジアナ美術館の展示、盛況でしたね! とは言わなかった。いつものように丁寧な診察と説明で、診てもらうと本当に安心する。左目の眼球に傷がいくつもいくつもついているとのこと。疲れからくる自律神経の失調によりいろいろと不調なのであるらしい。少し時間ある? 涙がどれくらい出ているか検査してみましょうか、斜め上を見ながら5分間くらいぼーっと座っていればいいからね、と言われ、はいはい、時間あります、ぼーっと座っているのは大得意です、と言って両目に特殊な小さな紙を差し入れて涙の量を計り始めたら、ものすごい異物感でヒリヒリ染みてしまい、まさに滂沱の涙。頬から涙がつたって落ちて鎖骨に水溜りができた。5分も経たないうちに看護婦さんが来て、わー、なにこの滂沱の涙! となってすぐに検査紙を取ってくれた。ああ、痛かった。きょうは目が敏感になっているからもう涙Max、全開状態だったわね、でも涙が出るのはよいことなのよ、とオノ・ヨーコは言った。そしてカルテに貼られた検査紙の横に涙全開、と書いた。

わたしがいままでに出会った素晴らしいお医者さんは、やはりこのオノ・ヨーコが真っ先に思われて、本当に出会えてよかったと思う。目の弱いわたしにとってこれほど心強い導き手である人はいない。あとは幼少の頃、病弱でいつも病院に担ぎ込まれていたわたしを診てくれた佐藤先生も素晴らしかった。この先生がいなかったらきっといまのわたしはない。わたしの記憶が正しければ、佐藤先生はその後、とても偉い人になった。

薬局で目薬と眼軟膏を出してもらって帰る。目薬をさしたら楽になり、昼間は『ヴァレリー文学論』(ポール・ヴァレリー/著、堀口大学/訳、角川文庫)をゆるゆると読む。

無益なことをやる場合は、すばらしくやること。さもなければ、かかずらわないこと。(p.106)

知性を伴わない直覚は、アクシデントでしかない。(p.119)

だれもが、他人がかつてまだ見なかった何ものかを見ている。しかもこれらのものの総和は零だ。役に立つのは皆が同時に見たものだけだ。(同)

夜、素麺、豆腐とトマトとサニーレタスのゴマだれサラダ、枝豆。

Friday, August 30

相変わらず蒸し暑い夕方、ミッドタウンのカフェレストランでサーモンの薫製と玉ねぎのマリネ、豚肉と茄子のポロネーゼ、ギネスビールの食事をとった後、国立新美術館で『アンドレアス・グルスキー展』。なんとストックホルム市立図書館を撮っていたのか、グルスキーは。知らなかった。

Saturday, August 31

このところ曜日はともかく日付の感覚がおかしく、きょうで8月も終わりということに朝起きてしばらく気づいていなかった。

早朝に家を出て鎌倉へ。電車の中で『ヨーロッパ・二つの窓』(堀田善衛・加藤周一/著、朝日文芸文芸文庫)を読む。青い空、蝉の声、むわりとする湿度、きょうは予報通り猛暑日になりそう。おなじみスターバックスコーヒー鎌倉御成町店のテラス席に陣取って朝ごはん。ハム&マリボーチーズのバゲットサンドのサラダ付きプレート、珈琲。プレートセット、変わってた。前は玉ねぎといんげんとチーズのマリネ風サラダとポテトチップスが付いたのだけれど、普通のリーフサラダになっていた。まあどちらでも良いのだけれど、マリネ風サラダのほうが好きだな。庭のプールは濁った緑色だった。一昨年の夏の終わりに来たときは青くて綺麗な色をしていた。きょうのテラス席には犬が2匹、白いのと黒いの。

鎌倉に来るたびに住みたくなって困るからもう来ないほうがいいのかとさえ思う。でももっと来ればいいのだ、月一くらいで。鎌倉はわたしにとって特別な場所なのだから。

吹き出る汗を拭いながら粛々と歩いて、神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「野中ユリ展 美しい本とともに」をすべり込み鑑賞(明日で終わり)。《青い花のシリーズ》や《青と黄のデカルコマニー》、メインビジュアルにもなった《マルセル・プルーストと弟》など、あまり色を使わずシンプルでスマートな作品が良い。特に《青い花のシリーズ》はすべて素晴らしかった。神秘主義的な作品には少し距離を感じてしまう。あと野中ユリの記した文章をもっともっと読んでみたいと思った。

再び灼熱の太陽に照らされ、湿気に蒸されながら若宮大路を歩いてお昼ごはんに向かう。行きしなに古本屋木犀堂をのぞいてジャック・レダ『パリの廃墟』とイングマール・ベルイマンの映画解説本を買う。

OXYMORONで紫キャベツのコールスロー、スリランカ風マトンカレー、ビールをいただく。わたしずっと“オクシロモン”だと思っていた。正しくは“オクシモロン”だ。アルファベットの意味を調べて綴りをちゃんとチェックしておかなかったのが原因だ。前の日記にオクシロモンと書いてしまったかもしれない。恥ずかし。

古本屋はもう一軒、Books mobloに初めて行ってみた。なかなかよい品揃え! リトルプレスが充実。森有正の対話集を買った。ちょうど行きの電車の中で読んだ『ヨーロッパ・二つの窓』に、堀田善衛が、サント・シャペルには森有正に連れていってもらった、と話している箇所があった。タイムリー。

鎌倉駅まで戻って江の電に乗る。七里ヶ浜の前あたりで眼前に海が広がり、車内で歓声がおこる。めずらしい光景だ。きょうは子どもが多いからかな。鎌倉高校前で降りる。荒れ狂う波。台風から温帯低気圧に変わったとはいえ、やはり海は影響を受けている。風も強いと聞いていたけれど予想以上で、砂浜におりたら砂粒が肌に吹き付けてきて痛い痛い! 写真を数枚撮って、5分足らずであわてて撤収。それでも海は良い。

江ノ電で終点の藤沢まで行って、ぐるっと東京に帰ってきた。ぐったり。

Sunday, September 1

きょうから9月。とても暑い。朝、マンションの屋上で洗濯物を干し、クリーニング店に行っただけでどっと疲れる。きのうの疲れも残っている。きっと旅行の疲れだってまだ残っている。朝昼兼用ごはん、ベーグル半分、ウィンナーとベーコンとほうれん草のソテー、コーン、ミニトマト、ヨーグルト、珈琲。

まだ少し痛みがあるものの、だいぶ目の調子が良くなってきて霞みがとれてきたのでパソコンに向かう気になった。タラタラタラタラと旅行日記を書く。こんなにタラタラタラタラ書いていていいのだろうか、と思う。今年1月、福山知佐子『反絵、触れる、けだもののフラボン―見ることと絵画をめぐる断片』で著者がホルスト・ヤンソンの絵を観にドイツを訪れた時の旅日記を読んで、いい旅行日記だなあ、と思って憧れた。そんなふうに書けるわけもないのだが、それでも昨年、細かく書き過ぎてくどい……という感じの旅行日記を書いてしまったので今年はサラッと、風通しのいい日記を書きたいなぁ、と思っていたのに早々に挫折気味。

なんとなく身体が怠く体調が思わしくない。夕方、いつものカフェでチーズケーキとアイスカフェオレを美味しくいただきながら読書をしていたものの、どうにも気分がすぐれない。いつもの花屋でトルコ桔梗とオランダセダムを買い、日用品の買い出しは最低限にとどめて帰り、怠さと頭痛と吐気に耐え切れず横になる。しばらく休んでどうにか復調。夕ごはんは日清カップヌードルBIGカレー味を食べ、ビールを飲んだ。先日旅行から帰ってきた翌日くらいに突如として日清カップヌードルが食べたくなったのだった、何年ぶり? 十年ぶりくらいだろうか。それ以上かもしれない。

旅行の後、なんとなくジャンクなものを食べたくなるのは、あのおもちゃのようなパッケージの機内食のせいかもしれない。あるいは外国の街角で目にするマクドナルドやサブウェイ、バーガーキングなどのせいかもしれない(どうしたって見慣れたロゴや店構えだから、親しみをもって見てしまうのだ)。コペンハーゲンでもストックホルムでも、マクドナルドほど多くはなかったが、バーガーキングもちょいちょい見かけた。

Twitterを見ていたら宮崎駿が『風立ちぬ』をもって長編映画から引退、との報が流れてきたが、たしかポニョのときもそう言ってなかったっけ、違ったっけ。本当に引退してしまうのか気になる。というかこの場合の論点は宮崎駿の引退ではなく、引退すると言いつつ前言撤回したり実質上は引退したことになってなかったりする人がここ数年、とても多いことなんだけど、まあ、いいや。

体調悪化を回避し、早めに寝る。