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Monday, August 19

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ストックホルム

ホテルの窓からは、きのうまでの眺めとは一転して隣の家の壁しか見えない。ところがその隣の家の室内には色とりどりの素敵な洋服がハンガーにかけられずらりと並べられていて、とあるブランドのアトリエのようだ。これはこれでいい眺め! 空はあまりよく見えないが、外は明るい光に満ちているのできっと晴れているのだろう。

今回のホテルの朝食も楽しみにしていた。朝、レストランに行ってみたら、まあ、なんて可愛い! 白いテーブルに白い椅子、ブルーのギンガムチェックのテーブルクロスに、白い一輪挿しに飾られた深紅のバラ、真鍮の砂糖壷、白地に薄青の花柄紋様の壁紙と、白一色で統一されたインテリアにまずノックアウトされてしまった。日本でこの佇まいだとしたらちょっとださくて、もしかしたらギリギリアウトになるかもしれないけれど、この街ではノスタルジックでラブリー、完全に許される。というかもう、素晴らしく、素晴らしく、素晴らしい。一発で好みのど真ん中を射抜かれてしまった。

朝食のメニューはデンマークとほぼ同じで、味も、もうただひたすら美味しい美味しいと言い続けたくなるような美味しさだった。ニシンの酢漬けが2種類、トマト、きゅうり、ミートボール、パプリカ、ピーマン、ゆで卵、ヨーグルト、そしてパンケーキ。決して派手ではないけれど、みずみずしく美しい食材が目を、美味しい味付けが舌を楽しませる。これが素材の力というものか。今回北欧で、トマトやきゅうりやパプリカといった大好きな野菜を、カットしたままで塩もマヨネーズも何もつけずにたくさんたくさん食べたけれど、何もつけなくても本当にこくのある、しっかりした味がして、この味体験は今までにないものだ。

『地球の歩き方』によるとこのホテルの4階には眺めの良いテラスがあるということで、食後に行ってみる。テラスの扉を開けた途端、涼しい風が吹き渡り「あっ、10月の日本の風だ!」と思った。10月の日本で吹くような、乾いた気持ちのよい風だった。少し寒いくらいだ、まだ8月だというのに。あっという間に日本にもこういう風が吹くのだ。時の流れは呆気ない。テラスからは大きなドイツ教会の尖塔が目と鼻の先に見える。小さな花壇が設えられていて、黄色や紫の花が咲いている。ゴミ箱には空の酒瓶が2、3本放り込まれている。中世の雰囲気につつまれた建築がいちいち素敵だ。階によって、調度品や花瓶に活けられた花の種類が少しずつ違う。すべての階の様子を見たくて階段でとんとん1階まで降りる。

きょうはストックホルムをまわれるだけまわる。あしたはもう帰路につくのだ。一日でまわれるわけもないのだけれど(月曜日だから街の美術館施設は軒並みお休みだし)、できる限りのことをしよう、とはりきってホテルを出たら予想以上の寒さに撃沈。ホテルに戻って、くるぶしまでのソックスをやめてオーバーニーに履き替え、より暖かいスカートに履き替えて、再出発。天気は、晴れ。

まずは地下鉄に乗ってロードマンスガータン駅まで。今回の旅の目的の2つ目「ストックホルムでグンナール・アスプルンドの建築を愛でる」が、まだ一箇所残されている。ここでアスプルンド設計のストックホルム市立図書館を見学。オブサーヴァトリー公園の池のそばにゆったり佇む黄金色の図書館が見えてくる。正面玄関の大階段を登って中に入ると吹き抜けの円形空間が広がり、圧倒的な量の本にぐるりと一周を囲まれる。三階分、地層のように本が並ぶ空間は思わず「神々しい……」とつぶやいてしまうほどの迫力だ。いくら写真に撮ってもいくら言葉にしても、この素晴らしさを正確に伝えることはできない。アスプルンド建築、凄い。とにかく、来れてよかった。そもそも今回の旅の発端はこの図書館だったのだから、感慨もひとしお。子ども用の読書室も可愛らしいと評判だったので行ってみたら、夜空のように群青色に塗られた壁に星だろうか、月だろうか、愛らしいペイントが施されていて、部屋全体がかまくらのような丸いつくりをしていて、評判どおりのクオリティ。こんなところで本を読めるなんてうらやましいなあ。ショップで、アイテムとしてはおしゃれだけれど、まあスウェーデンの人は買わないだろうな、という感じのトートバッグとスケッチブック [1]を購入。バッグは日本で図書館に行く時に使おう。

次は市庁舎に向かう。ここの大広間でノーベル賞授賞式や晩餐会が開かれるそうで、館内ツアーもやっているのだけれど、まあそれはパスして、展望台からストックホルムの街を堪能する。目の前に広がる景色の美しさは一体何に喩えられましょう。北欧を訪れた人々が口々に言う、北欧独特の透明な光、というものはこれなのか。水色の空には白い雲が波のように流れていく。いくら写真に撮ってもいくら言葉にしても、やっぱりこの素晴らしさを正確に伝えることはできない。そしてこの快晴の天候を、そっと天に感謝した。

続いてシェップスホルメン島とユールゴーデン島まで足を伸ばす。しかしもう到底時間が足りず、さらっと表面をなでる程度になってしまうことは必至で、予想していたものの残念極まりない。シェップスホルメン島は、市の中心部から橋を渡る手前にまず国立美術館があって、橋を渡ると現代美術館、併設されている写真美術館と建築博物館、東洋博物館などたくさんのミュージアムが集まっているアートの島。そしてもちろん、どの道を通っても海が見える。さらにほかにもギャラリーがあるようで、ジャン=ポール・ゴルチエのエキシビションなどもやっていた。しかしすべて、休館。外観だけ眺めて我慢する。それにしてもこの島も、とにかく海と樹々の緑が美しい。その後また橋を渡って(この橋には欄干に大きな王冠のオブジェがくっついている)、海岸沿いをてくてく歩く。たくさんの船と観光客の様子を見るのがまた楽しいけれど、ユールゴーデン島へは想像以上の遠さで着いた頃には疲労困憊、口もきけないくらいぐったりしてしまった。おまけに朝の肌寒さはどこへやら、太陽がじりじり照りつけて、裸の腕にこの直射日光では熱かろう痛かろうと、暑くても長袖を脱ぐことはできなかった。

ユールゴーデン島にはスカンセンという広大な野外博物館があって、民族衣装を着たスタッフに導かれながら18〜20世紀の風俗を体験したり、動物間や水族館、庭園なども楽しめるため一日中遊べる場所であるのだけれど、ベンチに座って休みながら海を眺めるというだけで精一杯。滞在時間は1時間足らずだろうか、ああ、もったいない。帰りはさすがに徒歩は無理で、中心部まで戻る交通手段はトラムしかないのだけれど、トラムの乗り方がまた悩ましい。手持ちのトラベルカードは使えるのだろうか、切符は車内で買うのだろうか。いろいろ分からなかったけれど、とりあえず乗ってみた。検札は車掌がまわってくる方式で、トラベルカードも使用OK。ふう、疲れた。

こんなに疲れたのにまだやることは残っている。最後に向かうは、ストックホルムの写美!「Fotografiska」。この現代写真美術館も、非常に楽しみにしていた。展示は、六本木の森美術館でも観た小谷元彦。冒頭の解説パネルに「森美術館で行なわれた、日本での小谷元彦の展覧会は2011年3月11日の数日前に終わった……」という内容の文章があり、その事実を思い出してあらためて驚く。そういう時期だったのだ、あの展示を観たのは。

ヘルムート・ニュートンの大規模回顧展もやっており、相当な作品を観ることができた。年老いたレニ・リーフェンスタールとか、Big Nudeシリーズとか、ビリー・ワイルダーとその奥さんのポートレートとか、あとシャーロット・ランブリングのヌード・ポートレートとか。シャーロットの視線が挑発的なこの作品、大好きだ。

上階にはカフェレストランがあって、大きくとられた窓からは当然、明るい海が一望できる。なんて贅沢な空間なのだろうか。近所にできてほしい。海ごと。ハムとチーズのサンドイッチと黒ビールを頼んだら、普通のサンドイッチかと思いきやクロックムッシュのようなボリュームたっぷりの温かいホットサンドにリーフサラダがたっぷり添えられたプレートが出てきてびっくり。ごく普通のベビーリーフがなぜこんなにも美味しいのか。もちろんホットサンドも頗る美味。

食事をして体力復活、ぷらぷら歩いてホテルに戻る。あしたで旅はおしまい。ストックホルムはなんだか不思議な場所だった。なんだかすべて夢のようだった。単に一日に訪れる場所を詰め込み過ぎて脳と心が処理しきれず、朦朧としているだけなのかもしれないけれど。

水と緑と光に満ちた、本当に美しい街だった。

  1. いずれも黒地にオレンジ色で図書館の絵が描かれている。普通におしゃれだと思う。ストックホルムの人は買わないだろうけど。 []