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Monday, October 14

祝日。昨日の昭和記念公園の疲れで、身体がぐったりしている。体力的に遠出はもう難儀なことになりつつあるのだ。出かけるなら山手線圏内かヨーロッパがいい。

いつ買ったのかまるで記憶のない、本棚の奥の方から発掘された中谷宇吉郎『科学の方法』(岩波新書)を読む。1958年刊行。啓蒙の見本のような色褪せない良書だった。

自然科学は、自然の本態と、その中にある法則とを探究する学問である。
しかしその本態とか、法則とかいうものは、あくまでも科学の眼を通じてみた本態であり、また法則である。それで科学の真理は、自然と人間との協同作品である。
もし自然界に、人間をはなれて、真理というものが、隠されているものならば、それを発掘すれば、それでおしまいである。もちろん宝はたくさん隠されているので、一ぺんでおしまい、ということはない。しかし数多くの宝の中から、一つずつ見つけていけば、手の中に握った真理が、だんだんふえていき、未知の分が、それだけ少くなる。もしこういうものならば、科学はいつかは、宇宙の真理を全部見つけ出してしまうであろう。
しかし科学の真理が、自然と人間との協同作品であるならば、科学は永久に進化し、変貌していくものである。このいずれの見方をするかは、趣味の問題である。「いつかは」といっても、「永久に」といっても、内容は同じことである。しかしこの小著では、私は後の見方に立つことにした。

所用により自宅周辺から離れられなくなったので、近所で買い物を済まして家のなかにひきこもり。

『メリエスの素晴らしき映画魔術』(セルジュ・ブルンバーグ、エリック・ランジ監督、2011年、フランス、63分)を見る。古い映画を復刻するのがいかに大変か、苦労に苦労を重ねてできあがるかが、とてもよくわかるドキュメンタリー。今後、映画黎明期の復刻版を見る機会があったら、心して見ようと思う。デジタル技術で復元というと、どうしてもコンピューターでちゃちゃっと、とイメージしがちであるが、そんな簡単にはいかないのだった。それはそうと、この映画のサウンドトラックは、はたしてAIRでよかったのだろうか。

夜は読書。フィンランドを旅してみたい。そう思って先週は石野裕子『「大フィンランド」思想の誕生と変遷 叙事詩カレワラと知識人』(岩波書店)を読んだ。フィンランドに行ったら高速艇で一時間強で着くというエストニアにも行ってみたい。ということで、小森宏美『エストニアの政治と歴史意識』(三元社)を読んでいる。

いずれにせよ、90年代前半のエストニアは、ロシアの民主化に対する懐疑的な態度を隠さず、むしろヨーロッパにとってのロシアの他者性を強調し、ソ連邦の後継者としてのロシアの責任を追及することにより、国際社会の道義的支援を得て自国の主張を有利に通そうとしていたと考えられる。こうした戦略は、ロシア語系住民の処遇を国際連合などの場に持ち出されて守勢に立たされるかに見えたエストニアが、自国の政策を押し通す際に助けになったことは間違いない。
しかしながら、ロシアの存在ゆえに特別であるという論理は、それゆえにバルト三国が東西間の「グレーゾーン」となりうるという論理と容易に摺り替えが可能であった。「グレーゾーン」とは、言い換えれば、ロシアの影響圏にあると暗黙裡に理解されることであり、それゆえに、EUおよびNATO加盟交渉の大きな障害になると考えられた。こうしてエストニアの外交戦略は、90年代後半、いったん、転換を迫られることになる。

Tuesday, October 15

『冬物語』(エリック・ロメール監督、1991年、フランス、114分)を自宅で鑑賞。このあいだロメールの『恋の秋』を見た神保町シアターでは『冬物語』もかかっていて、劇場においてあったチラシを読むと、

ささいな誤解と行き違いで恋愛が遠回りするのは恋愛映画の定番だが、それがロメールの手になると、日常的なリアリティを生み出す。舞台「冬物語」が効果的に使われ、幸福な気持ちで見終えることができる。舞台はブルターニュ。

と説明されるのだが、主人公のシャルロット・ヴェリに翻弄される男ふたりのことを思うと、はたして「幸福な気持ちで見終えることができる」のか。あのふたりの男が不憫でならない。

夜、ベーコンとパプリカとグリーンリーフを和えたあさりのパスタ。

Wednesday, October 16

台風襲来。災害での人的被害にまったく心を痛めないほど非道な人間ではないつもりだが、台風接近との報を聞いて沸き起こる興奮の情を抑えることができようか。

Thursday, October 17

自宅シネマ。『月島狂奏』(佐藤信介監督、1994年、日本、36分)を見る。最後の2分程のショットのつらなりがよかった。

夜、白米、しらす、辛子明太子、鰺のひらき、ねぎと生姜の冷奴、きゅうりの漬物、キムチ。

Saturday, October 19

自宅シネマ。『情婦』(ビリー・ワイルダー監督、1957年、アメリカ、116分)を見る。ずいぶんむかしに一度鑑賞済み。最後の最後でどんでん返しが待っているのは記憶していたが、どんでん返しの詳しい内容を忘れていた。記憶がぼんやりするのは、この映画、わずか数分のうちにどんでん返しを詰め込みすぎだからかもしれない。丁々発止の会話劇。

つづけて『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ監督、2011年、フランス、100分)を見る。なかなか捻りのきいた難病もの。それなりによくできた映画だと思ったが、「正常」という揺るぎのない大きな柱があり、その柱に接近することこそが唯一正しい道筋なのだという感覚が映画全体を覆っていて、その点が終始気になった。

近所で買い物。いま住む場所には、コーヒー専門のカフェ、おいしいパン屋、センスのよい花屋があり、あたらしく居心地のよさそうなカフェもできた。あとは古本屋があれば完成なのだが。

Sunday, October 20

Michael Booth, Sushi and Beyond: What the Japanese Know About Cooking。邦訳は『英国一家、日本を食べる』(亜紀書房)。アマゾンでレビューを書いている人の話によると日本語版はかなり端折っているらしいので、原書を取り寄せた。むずかしい単語が結構出てくるので、ちょこちょこ辞書を引きながら読了。イギリス人のジャーナリストが食をテーマに旅した日本観光の記録なのだが、いきなり歌舞伎町に行ったり、相撲部屋でちゃんこを食べたり、ビストロスマップの収録を見学したり、服部幸應に会ったり、キッコーマンを取材したり、著者の行動力と人脈形成能力に感心してしまった。オリエンタリズムの観点からどうよ、という気もする内容だけど、最後の脚注までを含め、いろんな意味でおもしろい本。