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Monday, July 29

朝ごはんは、トマトと玉ねぎのピザトースト、ヨーグルト、珈琲で、大きなトマトとたっぷりの玉ねぎとマヨネーズのピザは非常に美味しかったけれど噛むごとに舌が引きつれて痛く、しかめっ面で食べる。せっかくの美味しさが半減。泣きたい気分。だけどきのうこしらえた惣菜をお昼に食べたら、ピクルスはちょいと控えめながらもなかなかいい味にできていたし、いんげんの胡麻あえは美味しくないわけがなく、かぼちゃの煮物は極めて良くできていて、まあつくった甲斐はあったかな、とささやかな幸せを感じたのだった。

夜ごはんは、和風ガパオライス、しめじとレタスとミニトマトのコンソメスープ、野菜のピクルス、ビール。ガパオライスはついについに、料理の神様降臨! と叫びたくなるほどの美味しさで我が舌を疑った。つくりおきのそぼろ肉と夏野菜を炒め合わせたものをごはんにのっけたのだけど、なぜこんなにうまくできたのかわからない。変わったことは何もしていないレシピだけれど、記念に記録しておこう。茄子、玉ねぎ、舞茸、パプリカをサラダ油で炒め、塩胡椒を適宜加える。にんにくすりおろしがよいのだろうけど面倒だったので無印のにんにくパウダーをふって炒め、隠し味に醤油を少々。いい感じにしなしなしてきたら酒をまわしかけて蓋をして弱めの中火でしばし蒸し焼き。きのうつくっておいた豚そぼろ肉(味付けは砂糖、醤油、みりん、酒)を好きな分量加え、また少し酒をふりかけ、味が物足りないようだったらオイスターソースを小さじ1弱加える。焦がさないようによくかきまぜて十分炒めたらごはんの上にのせ、目玉焼きもつくってのせる。ついでにしめじのスープは味付けは塩胡椒とコンソメブイヨンのみ。オリーブ油をたらすとより濃厚に。

Wednesday, July 31

所用あって実家まで。実家の犬は暑さに非常に弱く、脚も痛いそうで散歩はこのところよしているとのこと、実家に帰ると必ず犬の散歩に行っていたので残念だ。でも脚は3年前から痛めているので大事にしたほうがいい。それにしてもきょうは犬の機嫌がたいそう悪く、あんまり相手にしてもらえなかった。帰る頃になってなんだかちょっと元気になっていたように見受けられたりして。もしかしてわたし、招かれざる客だった? それでも“犬が機嫌が悪い”だなんて、可愛いではないか。これが人間(他人)だったらイラッとするところだけれども。

夜は、有楽町国際フォーラムまで「Quincy Jones The 80th Celebration Live in JAPAN」を観に行った。このコンサートをやることを知って、チケットを買うまで、そして無事にチケットを購入してからコンサート当日まで、本当に本当に楽しみにしていた。クインシー・ジョーンズ大好きだ。センスがよくてクレバーで才覚があって。コンサート前半は亀田誠治がディレクターを務めるトリビュート・パートで、8組の日本人アーティストが登場したのだけれど、わたしにとっては土岐麻子、小野リサ、小曽根真 featuring No Name Horses、三浦大知が観られたのがとても嬉しかった。特に土岐麻子はいつかライブに行きたいなーと思っていたし、6月に小曽根さん(とゲイリー・バートン)のコンサートを聴いて、ああちかいうちにNo Name Horsesの演奏も聴きたい! と思っていたところだったので、こんなに早く叶うとは。そして小曽根さんは唯一、意志的かつ意図的にオリジナルの曲をやったのだけれど、途中で「SOUL BOSA NOVA」が聴こえてきたときの高揚感ったらなかった。圧巻だった。三浦大知のパフォーマンスも評判に違わぬ素晴らしさ。

後半はクインシー・ジョーンズゆかりの人々が登場するクインシー・パート。老若男女あらゆる人が登場する、まったくクインシーったら手広いんだから…と言いたくなるようなステージで、でもやっぱり盛り上がったのは当然ながらパティ・オースティン、ジェームス・イングラム、サイーダ・ギャレットのところで、おまけに「愛のコリーダ」のあとのパティ・オースティン「Say You Love Me」のデュエット相手として松田聖子が出たのにはたまげた。

今回、クインシーがそれほど自らの曲を演奏しなかった、というのは賛否両論あったようだ。まあたしかに、「SOUL BOSA NOVA」や「Ironside」などをやってくれたらいっそう盛り上がったのかもしれないが、それならなぜクインシーはやらなかったのか、ということだ。

それにしても、コンサート前の数日間、1981年にクインシー・ジョーンズが来日して武道館公演を行なったときの「愛のコリーダ」をYouTubeで繰り返し繰り返し観ていて、32年後にも同じ顔ぶれの「愛のコリーダ」を聴けるということにものすごく感動してしまう、2013年のクインシーを観れたのはよかったけれど、1981年のクインシーも観たかったなあ、本当に。

Saturday, August 3

きょうは久方ぶりに、本当に久方ぶりに人と会うのでなんとなく気分が高揚している。洗濯機をまわしながらの朝ごはんは、ピザトースト、珈琲。その後、家事雑事をザーッと片付ける。

恵比寿へ。お昼は相変わらずのRue Favartで、鶏のささみと長ねぎのパスタ、アイスコーヒー。写真美術館で米田知子「暗なきところで逢えれば」を鑑賞。「見えないということは見えているということに等しいのかもしれない」という言葉に思考を促される。米田知子はまずタイトル、パネルに印刷された解説文など自らの作品にきちんとテキストを付与していて、それは彼女自身が選択した姿勢であると、たとえばこのインタビュー [1]を読むと判るのだけれど、その一方で、米田さんの写真はあまりに写真としての完成度が高いため、ひとつの写真作品/芸術作品として完全に成立してしまう。たとえばこの写真から直裁的に、現在の世界のあり方や自らの存在、日本という国について社会的な視点を持つことは難しく、それは綺麗だね、とか美しいね、といった情緒的な方へ方へと思考が流れていってしまう。だからこそ米田さんは説明的で客観的な、読めば理解できるタイトルをつけ、作品について解説するのであり、それはとてもそうあって然るべきことであるのだろうと、今回の展示を観てあらためて考えた。

ナディッフに移動して、NADiff A/P/A/R/Tで森山大道 「記録23号」、G/P galleryで細倉真弓 「Floaters」を観る。ショップで楢橋朝子のエッセイブックレット「とおすぎてみえたこと アムステルダム編」を手にとり、数行読んだだけでああこの文章わたしはきっと好きだ、と感じたので買った。オリジナルプリントも1枚入っている。たしかきょうまでタグチファインアートで開かれているベアーテ・ミュラーの個展は時間がなくて悔しくも観られなかったのだけど、そのミュラーの写真集もショップに並んでいた。写真集を捲りながら、やはり行けばよかった、と思ったけれどナディッフ入って左手のウィンドウに4点だけ展示されていて観ることができたのだった! その後、初めて訪れるAmerica-Bashi Gallery(この夏にオープンしたとのこと)で本城直季の初のポートレート写真展だという「p」を観る。

夜は、今年1月から、いやもっと前からだったかもしれないけれど、ずうっと遊びましょう遊びましょうといいながらも果たせなかった人とやっと会い、楽しく歓談。都内のギャラリーをめぐってるとやたらと浅田彰と会うよね、しかもわたしは浅田彰が観ようとしている展示の前で熱心に観過ぎてじーっと動かなかったり立ちはだかったりして「浅田彰の邪魔をする女」になってるらしいよ、という話ができたのでもう大満足。話は尽きないけれど、日付が変わる前に解散。予想どおり飲み過ぎました。

Sunday, August 4

朝、予想通りの、若干の二日酔い。朝ごはんは食べずにさっさと美容院へ。シャンプーしたあといつも、アイスティーやチャイやりんごジュースを小さなカップやグラスに出してくれるのだけど、ちょい二日酔い気味だと話すと冷たい玄米茶を出してくれた。心遣いに感謝。

デパートでマスカラを買って帰宅。ひと休みしようとラジオをつけたらJ-waveのシトウレイの番組「TOKYO-GRAPH」をやっていて、きょうシトウレイが歩く街は恵比寿で、きのうわたしが歩いたあたりをちょうど歩いていて、あの名物ゲーム場(?)に潜入していた。やはりあそこは小さな小さな、ゲームセンターというかゲーム場なのだな。

近所の商店街で日用品と花の買い出し。花屋では、鮮やかなピンクのスプレーバラ2輪と、初めてクルクマという花を1輪買った。透き通るような薄い薄い桃色の花弁が綺麗だ。大きな葉に花の部分は細長く、バランスがとても面白い。

お昼、ハイジの白パン、目玉焼き、ベーコン、珈琲。ところであややと橘慶太の12年愛の末の入籍のニュースをネットで見て、なかなか感慨深いものがあるなーと。あややは「私の青春には、すべて彼がいます」とブログで語ったそうだけど、わたしの二十代にもわりといつもあややとw-indsがいました。歌広とかカラオケ館とかビッグエコーとかにいました。

もう一度食材の買い出しをして、ピーマンのじゃこ炒め、大根と油揚げの煮物、ポテトサラダなどのつくりおきをこしらえた。

夜ごはん、冷しうどん、枝豆、烏龍茶。食べながらJ-waveの大倉眞一郎がアルメニアを旅した番組を聴く。面白かった。アルメニア共和国の国民は300万人といわれているけど本当はそんなにおらず280万くらいであろうこと、アルメニア人はフランスやアメリカをはじめ各国に散らばっていてディアスポラという言葉はアルメニアの人々を指す言葉としても使われること、アルメニア人はほとんどの国民(7割だったか)が国外に住んでいて自国にいる人のほうが少ないということなど、何も知らなかったわたしは衝撃を受けた。この国についてそうした知識を得ると、国の将来を憂いてしまうが、一方若者たちのなかには非常に優秀な子たちも多く、この子たちが社会に出て政治に参加していけば希望はあるはずだ、というようなことを大倉さんは話していた。

美容院は大好きな場所でいつだって行きたいが、やはり半日仕事で一日の半分はつぶれてしまう。やるべきことを済ませて本を手にしたのは就寝前で、かなり眠たかったが、本、映画、絵や写真に何ひとつふれることなく一日を終えるなんて忸怩たる思いだ。情けないし苛立たしい。だから眠気をぐっと封印して読みかけのままだった『考える練習』(保坂和志/著、大和書房)を読んだ。日付が変わる頃に寝落ち。

  1. 米田知子 インタビュー 感光される時間の層 []