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Saturday, August 17

ホテルの無線LANにiPadをつなぎ、BBCの天気予報でコペンハーゲンの本日の天候を調べたら、晴れて、曇って、雨降ってのマーク。ジュリア・ロバーツの食べて、祈って、恋をしてのような天気か。朝食を食べているときの窓の外は、雨が降っていた。降っているものの小雨で、小雨だと地元の人たちは傘をささない。外の様子を確認して誰も傘をさしていないので降っていないのかと思ったら、ちゃんと降ってる。見渡すと、観光客だけが傘をさしている。

今日はコペンハーゲンの中心部をまわる。最初の目的地は国立美術館。地下鉄でノアポート駅で下車し、途中、ローゼンボー城が見えたが、てっぺんあたりを工事している。外国を旅すると、観光地のどこかひとつは必ず工事中な気がしてならない。で、国立美術館もまた入口を工事中。

『地球の歩き方』には「デンマークは、残念ながら世界的な画家は輩出していない」とずいぶんなことが書いてあるが、現代にいたるまでのデンマークの画家たちがずらりと展示されているのを前にして、たしかにデンマークの美術家の作品はいまいちパンチが弱いという印象が残る。現代美術などは、誰々っぽい、誰々に似ている、という作品がわりとあって、『地球の歩き方』の見解もそれほど不当ではないかもしれない。そうしたデンマーク美術の状況を踏まえると、ハンマースホイの絵画は異彩を放つ。国立美術館にひと部屋、ハンマースホイの絵画だけで埋められた空間があり、こちらがハンマースホイ好きという贔屓もあるが、絵画がじっと佇むことを要請しているような、簡単に素通りすることを許さないような、なんとも言えない独特な風情を湛えている。

部屋にひとりいる女性は窓から外を眺めたり、本を読んでいたり、あるいはただ立っていたりする。窓からは陽光が差し込んで、床に窓枠の影を落としていたり、あるいはいなかったりする。とりたてて事件があるわけではなく、物語も感じられない。平静と安寧に満たされた室内にみえる。それなのに、何かが奇妙で、不安をさそうような雰囲気がどこかにある。似たような室内画は同時代の画家によっても描かれているが、それらと比較したときハンマースホイの作品が際立っているのは、主題や技術よりも、このどこか不安をさそう空気なのである。(港千尋『ヴォイドへの旅 空虚の想像力について』青土社)

国立美術館はまた、印象派を中心とするフランス絵画のコレクションが充実している。マティスの《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》はこの美術館所蔵だった。

つづけて歩いてすぐのヒアシュプロング美術館で、またまたハンマースホイに出会う。ミュージアムショップでハンマースホイの絵葉書を購入。画家が姉を描いた作品が印刷されているものを。

ハンマースホイをめぐる旅はまだつづき、少し歩いてダビデ・コレクション。イスラムの美術品やヨーロッパの絵画や工芸などがところ狭しと並んでおり、係員もたくさんいて、どうしてこれが無料でやっていけるのだろうと不思議なのだが、入場無料。エレベーターで上に向かい、順番に下に降りていこうとしたところ、係員の中年女性が案内図を見せながらイスラム美術をめぐる鑑賞ルートを教えてくれる。上の階はイスラム美術がずらりとならぶ。時間的な余裕はあまりないし、ハンマースホイ目当てで来ているのもあり、くわえてイスラム美術への関心が薄いのもあって、さらっと流してまわったら、さきほどの係員の女性が驚いた顔でもう見たのか? と訊いてくる。見た、と答えると、そんなはずはない、上の階もあるんだ、ちゃんと見て見てと、もう一周させられる。ここで必要なのは英会話力ではなく、断る力か。

なんとかイスラム美術の呪縛を抜け出し、ハンマースホイの部屋にたどり着く。国立美術館とおなじように、ひとつの部屋がすべてハンマースホイ。

つぎの訪問先はデザイン博物館デンマーク。デンマークの天稟は美術よりもデザインの領域で開花したのかも、と感じた展示。きのう歩きまわった疲れが響き、予定より時間が押しているのだが中庭でちょっとオレンジジュースを飲んで休憩。それにしても何かにお金を支払うたびに北欧の物価の高さを思う。

さらに北へ歩く。当初の予定では、自由博物館という第二次大戦下にドイツ軍に抵抗したデンマークの運動史を記録した博物館に行くつもりだったのだが、美術館でけっこうな時間を費やしてしまって押しており、デンマーク抵抗運動史なんてものに関心を寄せる日本人観光客がどれほどいるか不明で、入ったら珍しがられて先ほどのダビデ・コレクションの女性係員みたいな人に、おーよく来た、さあぜんぶしっかり見てね、なんて言われても困るので、今回はパスした。

この先には観光客が群がるアンデルセンの有名な人魚の像があるのだが、人魚像にはまるで惹かれないのでスルーし、水上バス乗り場に急ぐ。ちょうど水上バスが到着していて間に合ったかとおもいきや、満員で乗れず。つぎの便は約1時間後。やむなく歩いて南下し、ニューハウンに向かったところ、陽射しは強くなり、青空が広がる。天気予報の、晴れて、曇って、雨降っては、正確な予報だった。

ザ・観光地の賑わいをみせるニューハウン。今度デンマークに来ることがあったら、ここで食事をしよう。

さらに歩いて王立図書館(ブラック・ダイヤモンド)に到着。図書館旧館の建物の一部を改築してつくられたダニエル・リベスキンド設計のユダヤ博物館も見つけたのだが、こちらも時間の関係で中には入らず、目当ての新館に向かう。図書館に入ると、閲覧室がもう閉じていたというのもあるけれど、多くの人が運河を見渡せるカフェでくつろいでいて、誰も活字に目を通している気配がない。大丈夫か。というのは半分嫉妬で、こういう環境が地元にあったらどれほど素晴らしいだろうと思う建物だった。羨ましい。図書館では現在、キルケゴールについてのエキシビションが開催されている模様。

つぎはハンマースホイが暮らしていたクリスチャンハウン界隈に行きたい。疲れた足を休めるために運河沿いで少しばかり休憩していたら、水上バスがやってきた。お、これはチャンスと思って乗ったら、行きたい方向と逆に進む。ガイドブックには水上バスの終点は王立図書館近くとあったのだが、ちがうらしい。数分間水上バスに揺られて降りた場所は、えらく独創的な建築(住居?)がならぶところ。妙なところに迷い込んだ感あふれるなか、逆向きの水上バスが来るのを待つ。

やって来た水上バスに乗り込み、後部の甲板に出て、運河を水上散歩。陽射しで水面が輝く。クリスチャンハウンで船を降りる。水上バスの船内に無料配布されていた地図は、日本のガイドブックのごちゃごちゃして肝心のところで要領を得ない地図にくらべて、簡潔でわかりやすく、しかも洗練されていた。デザインの国の底力をみる思いだ。

クリスチャンハウン界隈をちょっと歩いて、地下鉄でノアポート駅まで行き、エストー(列車)に乗り換えてホテルまで戻る。

ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館には結局行けず。

夕食はチボリ公園で。遊園地というトポスにさして興味はないのだが、「テーマパークとバカにすることなかれ、チボリは楽しい」(岡尾美代子『Land Land Land 旅する A to Z』ちくま文庫)の言いつけに従い、公園内のレストラン(グロフテン)で食事。それにしてもデンマークの物価は高い。なにしろ食事には25%の税金と15%のサービス料が含まれるという。お金に関しては旅行者泣かせの国である。

コペンハーゲンの印象は、治安がとてもいいということ。近年の移民の流入が主たる原因で犯罪率が上昇しているという説明はもちろんその通りなのだろうが、東京の繁華街と比較して、治安はそれほど変わらないのではないかという雰囲気が漂う。たかだか2日3日で都市の状況を俯瞰して述べるなんて無謀なのは承知しているが、ほかのヨーロッパの都市の緊張感にくらべてコペンハーゲンは格段に「ゆるい」と思う。チボリ公園という、あきれるほど牧歌的な遊園地が都市の中心にあるし。

なによりコペンハーゲンの人びとは信号をちゃんと守る。ちょっと郊外に行くと、横断歩道だけあって信号がない場合がある。では歩行者はどうするかといえば、待っていればよい。すると、だいたい車は止まってくれる。コペンハーゲンの中心部でも車がびゅんびゅん飛ばしているという感じはないし、歩行者は赤信号になったら横断歩道を渡らない。(つぎの訪問地のストックホルムでは、あきれるほど人は信号を無視していた。)