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Monday, July 22

選挙明けの朝は独特な雰囲気を纏う。狂騒のあとの奇妙な静けさ。テレビがなくてもそれは感じる。ラジオで一瞬、選挙のニュースを聞いた。今週は気になっていた戻り梅雨がくるらしく、来週前半くらいまでスコンとした夏空は望めないらしい。鬱々とした空をうらめしく見上げる。夜は、素麺、もやしと小松菜とコンビーフの炒め物を食べ、ビールを飲んだ。

Tuesday, July 23

とかーん、とした朝。日の出直前、西南西の空はブルー、北北西の空はピンク。本棚に並ぶ本の背表紙が薄暗いピンク色に染められて、どうしたってソクーロフの映画『日陽はしづかに発酵し…』を思い起さずにはいられない。陳腐な物言いになってしまうが、久しぶりに胸が震えるような見事な朝焼けを見た。

『漱石俳句集』(夏目漱石/著、坪内稔典/編、岩波文庫)を読む。漱石の俳句はどれもこれも好きだ。声には出さないまま、一語一語を発音してみる。なるべくリズムに乗って読む。

雀来て障子にうごく花の影
東西南北より吹雪哉
湖は氷の上の焚火哉
餅搗や明星光る杵の先
夜汽車より白きを梅と推しけり
新しき畳に寝たり宵の春

夕方、物凄い雷雨、風もびょうびょう吹いていたが、さあこれから外に出るぞ、という直前に雷も雨も風もピタリとおさまった。やったね。うそじゃないよ。わたしがいちばん自慢できることはやっぱり晴れ女だってことくらいしかなさそうだ。傘をささない人生。今朝、ああなんてツイてないんだろうと思うことに遭遇してやり場のない怒りを燻らせていたことなんかすっかりさっぱり帳消しになってしまった。まったくよくできているものだ。

そしてスーパーに買い物に行ったらほしいものが見事に何もなかった。まったくよくできているものだ。泣いても笑っても、プラスとマイナス、世界はいつも均一に保たれる。

久しぶりにnaomi&goro&菊地成孔「calendula」を聴きながらごはんをつくる。布施尚美(naomi)の歌声はいちばんの清涼剤だ。夜ごはん、ごはん、じゃがいもと小松菜の味噌汁、カマス、サニーレタス・きゅうり・玉ねぎの上に豆腐をのせて海苔をちらしたゴマだれ豆腐サラダ、ビール。

吉岡正晴の「Soul Searchin’ Radio」(InterFM)はとてもいい番組で、いつも聴いているのだけれど、DJの吉岡さんの言い間違いがけっこう大胆というか大間違い、って時があって楽しい。きょうが誕生日、というアーティストの曲をかけるコーナーで、スラッシュの誕生日だということでマイケル・ジャクソンの「Black Or White」をかけるところを「Beat It」をかけてしまい、わたしも、んー、なんかヘンだな、スラッシュだよなあ…と思いながらも大好きな曲なのでノリノリで聴いていたわけなのだけれど、あとで吉岡さんはすみませんでしたーと謝っていた。

あと番組最後のクインシー・ジョーンズ特集のところで、クインシーは最初ジャズから音楽を始めた人だから、「スリラー」というポップス音楽での巨大ヒット曲をつくったことに対して、ジャズ界の人のなかではそれをよく思わない人もいた、でもクインシーのよき理解者であるカウント・ベイシーが「お前はマイケルと大したものをつくったな、俺やデューク(・エリントン)が想像すらしなかった、本当にどでかいことを成し遂げたんだぞ、その意味がわかるか?」と励ました、というエピソードを紹介したのだけれど、吉岡さん「カウント・ベイシーはそう言ってクインシーを励まし、クインシーを抱きしめるんですが、あ、クインシーがカウント・ベイシーを、えーと、デュークを、カウント・ベイシーを抱きしめるんですが…」といろいろ言い直しながら話していたのだけれど、話の流れからすると抱きしめたのはカウント・ベイシーでいいんじゃないの、というかお互い抱きしめ合ったんでしょう、っていうかデュークも出てきちゃってなんだいその三角関係は、と突っ込みを入れながらすっごく楽しく微笑ましく聴いていたわけですが、まあ、ひとつ言えることはラジオの話というのはあとからこうやって書いてもさほど楽しさは伝わらない、ということですね。

まあとにかく、ソウルミュージックを、音楽を愛する人々に向けて番組をつくってくれているなあということがひしひしと伝わってくる番組だし、吉岡さんの語り口が聴いていてすごく落ち着く、心地よいものなのでこれからもずっと聴きます。

Wednesday, July 24

今朝は何やら腹痛を感じながら起きて、午前4時半に窓を開けたらすでに蝉の大合唱に包まれた。きょうはけっこう涼しくなるそうだが、ほんとだろうか。ゴミ出しに出たらたしかに涼しかったんだけれども。

昼過ぎから本格的に体調が悪く、また胃腸の調子がおかしく、夜はカレーライスを食べるつもりだったけれど泣く泣く断念してお粥をつくって食べた。食後、「あなたの微笑みはどこへ隠れたの?」(ペドロ・コスタ監督、2001年、フランス=ポルトガル)を観始めたのだけれどやはり身体がしんどく、途中で寝てしまう。たくさんの夢を見た。うなされて夢の中で叫んだ気がするのだけど、隣で観ていた夫が何も言わなかったのでたぶん声は出していなかったのだろう。

Thursday, July 25

朝になって夫に訊いたら、やはり夕べ映画を観ているあいだ、うなされて軽く叫んでいたらしい。「まあいいやと思ってほっといた」らしい。ひどい。

ある写真を観て、秋のポーランドは本当に美しいのだなあとつくづく思った。いつになるやらわからないけれど、次にポーランドに行くときは10月末に予定したいなあ。

やっと今年初の冬瓜を買った。夜は、冷やしうどん、枝豆、ビール。食後に桃をひとつ。

webDICEに掲載されている“永瀧達治氏によるゲンスブールに関する最後のエッセイ”であるとする「ゲンスブールに関する最後の私的回想文」(映画『ノーコメント by ゲンスブール』劇場パンフレットより転載とのこと) [1]を読む。かつて「全国の《ションベン娘、ションベン小僧》(ゲンスブール自身が名付けた若いファンたちへの愛称)」だったわたしはこのエッセイ、感慨深いものがあった。それにしても永瀧さんはいま金沢にお住まいなのかー。

Friday, July 26

朝起きたらベルナデット・ラフォンの訃報。ベルナデット・ラフォンはシャブロル「美しきセルジュ」「気のいい女たち」、トリュフォー「あこがれ」「私のように美しい娘」、ユスターシュ「ママと娼婦」、あとヴァルクローズ「唇のよだれ」とか、数々の出演作品がまざまざと思い出されるけれど、いちばん最初に彼女を知ったのはクロード・ミレール監督、シャルロット・ゲンズブール主演の「なまいきシャルロット」だった。初めてこの映画を観たときはヌーベルヴァーグを代表する女優だということなんて知るよしもなかった。「なまいきシャルロット」にはジャン=クロード・ブリアリも出ていて、ヌーベルヴァーグファンとしてはかなりぐっとくるのだけれど。この映画でシャルロットとルル(役名。この子役さんの名前は何というのだっけ、忘れた)とラフォンが車に乗ってるところを正面からとらえたショット、運転席でハンドルをにぎるラフォンは若い頃と何ら変わりない、みずみずしい表情を見せている。

さらに感動的なのはシャルロットが帰宅すると食卓にワンピースが置かれていて、それはラフォンからの贈り物で、「わたしに似合ってたのよ」って手紙が添えられているシーンがあるのだけれど、ここでどうしたって見てる側は若い頃のラフォンを想像するわけで、やっぱりヌーベルヴァーグ世代、ヌーベルバーグファンはぐっときてしまうのだった。嗚呼、もうラフォンもブリアリもいない。調べてみたら2人とも74歳で生涯を閉じている。

スーパーで舞茸が安かったので嬉々として買った。モリモリ葉のついたサニーレタス買ってでっかいレタスも買っちゃって、うさぎかわたしは。マンションの屋上で洗濯物を取り込んでいたら電線の上で鳥がmignon、mignonと鳴いていて可愛くて、mignonは可愛いという意味だから納得だった。あまりの蒸し暑さにやってられるかとビールのロング缶を飲みながら洗濯物をたたみ、近所のパスタ屋に出かけてスパゲティを食べたあとまたスーパーで買い物をして帰った。冷蔵庫には冬瓜や大根がまだ下ごしらえされないままで入っていて、まだ熟しきっていない桃がゴロゴロ転がっていて、あとビールの缶も…。そこにサニーレタス、レタス、ヨーグルトのパックなどかさばるものばかり入れようとしたら全然入らず、もしかしてすべて入れることは無理なのでは、と恐怖をおぼえた。こういうことに、ちょっと病的なほどひどく怯える。なんとかかんとか押し込んで、無事にしまえた。ちょっと食材を買い過ぎだ。

夕方、『装苑』9月号(文化出版局)と、このたび定期購読を始めた『花椿』8月号(資生堂)が届く。『装苑』を一気に読んでしまう。

きょうは一日、わたしのTwitterのタイムラインはベルナデット・ラフォンという文字であふれていた。素晴らしい女優だったな、とつくづく。わたしにとっての彼女の代表作を1本選ぶならば、「あこがれ」もいいけれど、やはり「私のように美しい娘」を選びたい。

Saturday, July 27

4時半起床。したものの、きょうは朝の風が気持ちよかったので窓のそばのソファでひたすらぼうっとしてしまい、まったく無為な時を過ごしてしまった。ピクルスでもこしらえておこうかと台所に立ったけれど、考えてみたらパンパンの冷蔵庫にはもうピクルスの容器を収納する余地がまったくないためあきらめ、ガスコンロや壁を磨いたり、保存容器の消毒をしたりと、掃除を中心に行なった。掃除をしながらラジオを聴いていたら、誰でも上手に書ける読書感想文の書き方を教えます、とか言っているのが聞こえて憤怒した。そういうこと言ってるからだめなのよっ! と小学校、高校と学校の読書感想文コンクールで入賞したわたくしが申し上げておきます。

タイルでできている台所の壁をせっせと磨いていたら、造り付けの棚の金属の先端が右手薬指の爪の中に突き刺さり、あまりの激痛に全身の皮膚がチリチリと痺れ、その場に膝からくずおれた。洒掃薪水最中の怪我には「殉職」という言葉が相応しい。

憤怒と痛みを乗り越えてつくった朝ごはんは、鮭のおにぎり、おかか梅のおにぎり、レタスとしめじの味噌汁、烏龍茶。久しぶりの和朝食が最高に美味しい。が、食べ過ぎた。

食後、新宿に出て、文化学園服飾博物館にて「『装苑』と『装苑賞』その歩み」。装苑賞受賞作品と創刊号から最新号までの表紙をずらりと並べた、極めてシンプルな構成ながら圧巻の展示。素晴らしかった。装苑は1936年に創刊されたのち戦争で休刊を余儀無くされ、1946年に復刊したが、ちょうど先日図書館で、復刊後の創刊号と各年代ごとのバックナンバーを数冊、ペラペラ捲って読んだのだった。時間をかけて、気長に全号じっくり読み直してみたい。個人的に、小泉今日子、観月ありさ、水原希子が誌面に登場するとぐっとしまる気がする。この3人は被写体として、やはり際立つ。

そののち市ヶ谷まで移動し、ミヅマアートギャラリーで「宮永愛子展 house」、そして神保町のギャラリーメスタージャで山田宏一「『Nouvelle Vague』ふたたび!」という非常に大切な2つの展示を観た。そのまま神保町で久しぶりに古本を漁りまくる。あー楽しい。

帰宅。夕ごはんは、しめじとレタスとパプリカのあさりパスタ、白ワイン。食後に桃をひとつ。

Sunday, July 28

朝ごはん、くるみパン、サニーレタスとトマトのサラダ、ヨーグルト、オレンジジュース、珈琲。野菜のピクルス、冬瓜の煮物、肉そぼろ、スナックエンドウの塩茹で、いんげんの胡麻あえなどつくる。冬瓜の皮むきに難儀した。

このところちょっとした隙間の時間にパラパラ読んでいた『富士日記』(武田百合子/著、中公文庫)をフイフイと捲って読む。百合子さんは、なんとなく重苦しい気持ちを「墨を呑んだような気持」と書いている。昼ごはん、素麺、冬瓜のそぼろあんかけ、枝豆、キムチ、ビール。じっとしていると寝てしまいそうで、食後も台所を整理したりもう履かないブーツをゴミに出したり立ち働いた。

ちょっと横になったらやっぱり瞼がじりじりじりと落ちてくる。15分ほど転寝して、クリーニング店とパン屋と図書館、のち近所のいつものカフェに向かう。カフェを開く予定もないのに『小さなカフェの開業物語』(渡部和泉/著、旭屋出版)を読む。店内に大量に本を並べ、本のある空間を楽しんでほしい、とするカフェが前よりも増えたと感じるが、私感としてやはり本のセレクトについてはcafe moyauのuniqueさったらないだろう。近所でラーメンを食べ、買い物をして帰宅。

2011年を境に、それまで年に一度か二度しかできたことがなかった口内炎がひっきりなしにできるようになった。2ヶ月に一度くらい普通のが、3ヶ月に一度くらい喋るのも辛いほどのができてしまう。喋っても痛い、食べても痛い、いちばんひどいときはじっとしていてもじんじん痛い。あまりの痛さに息苦しくなってしまう。昔は口内炎になっても一晩眠れば治ったのに、何だというのだろう。

きょうは、冬瓜は思ったより出汁の味が染み込んでくれず、刻んだ野菜はなんだか形がふぞろいで、つくったものを詰め込んだ容器からは液漏れし、立て掛けたものは倒れ、注いだものはこぼし、しまいにはコップを取り損ねてあやうく割ってしまうところだった。それは未遂におわったものの、久方ぶりにやれやれ! と呟きたくなる日だった。それもこれも口内炎のせいだ。忌々しい。

  1. 「ゲンスブールに関する最後の私的回想文」(映画『ノーコメント by ゲンスブール』劇場パンフレットより転載とのこと) []