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Monday, March 25

復刊した『八本脚の蝶』(二階堂奥歯/著、ポプラ社)を読んでいる。

Tuesday, March 26

復刊した『八本脚の蝶』を読み終える。

Wednesday, March 27

きのうの昼間からなんとなく咽喉がイガイガして炎症を起こしているような気がしたので夜は葛根湯を飲んで寝たのに朝起きたら悪化していてがっかりする。病院へ行って薬をもらう。

Thursday, March 28

起きたら咽喉の炎症なんかどこかに行ってしまったようですこぶる体調が良い。はりきって上野までくり出す。国立西洋美術館で「ラファエロ展」、東京都美術館で「エル・グレコ展」を鑑賞。エル・グレコの絵は五月女ケイ子の描く絵にちょっと似ている。色使いとか、上へ上へ、下へ下へと伸びていく感じとか(あとで調べてみたら同じような感想を抱いた人々がネット上に少なからずいることが判明)。観賞後、新しくできた東京都美術館内のレストランIVORYにてランチをいただく。窓の外にはやわらかなピンク色の桜が風に揺れている。注文したいわいどりのソテーには、ワイルドライスという未知の食材がつけ合わせとして添えられていた。イネ科マコモ属の草なのだそう。食感は玄米のような感じ。デザートにスタバでドーナツを食べてから満開の桜を眺めながら歩く。上着を着ているのが馬鹿馬鹿しくなるほどの暖かさで、子どもたちは半袖で走り回っていた。

桜の下を歩きながらムージルの『静かなヴェロニカの誘惑』の一節を思い出す。

「そうなのだ、彼の内には、言葉によってそれを求めればまだとうてい感情とはいえぬ、感情があった。それは感情というよりもむしろ、あたかも彼の内で何かが長く伸びだして、その先端をどこかにひたし、濡らしつつある、そんな感じだった。彼の恐れが、彼の静けさが、彼の沈黙が。ちょうど、熱病の明るさを思わせる春の日にときおり、物の影が物よりも長く這いだし、すこしも動かず、それでいて小川に映る姿に似てある方向へ流れて見えるとき、それにつれて物が長く伸びだすように」(p.105)

きょうは “熱病の明るさを思わせるような春の日” なのではないか。

いったん帰宅し、ポストに届いていた『装苑』(文化出版局)5月号を読み、雑用を済ませてから東京オペラシティへ。今夜はジェーン・バーキンの震災復興支援コンサート “VIA JAPAN”。プログラムを買ったらセットリストが載っていて、今回はテーマが “ジェーン・バーキン、セルジュを歌う” であるからセルジュとジェーンがつくりあげた歌がずらりと並んでいて、ジェーンを知ったばかりの十代のわたしはこれらの歌のタイトルをせっせとノートに記した。日本語とフランス語で。なぜかそうしたい気持ちになったのだ。じぶんの手で書き、ノートに記録し、それを所有したい気持ちに。90年代初めにジェーンを知ってからというもの、わたしの人生でジェーンの存在を知る人が身近にいたことは、ごくわずかな時間を除いて、無かった。とても長い間じぶんひとりで彼女のことを想っていた。そんな彼女が日本に深く心を寄せてツアーを行なって、それも日本の素晴らしいミュージシャンたちと組んで、そしてたくさんの人たちに熱烈に迎えられているなんて本当に夢のようだというか、とにかく嬉しい。嬉しい。

コンサート終了後、どれだけ拍手喝采してもし足りないような思いで、わたしはおそらく人生二度目のスタンディングオベーションをした。人生初のスタンディングオベーションはきっと、2003年のジェーンのコンサート “アラベスク” だ。2000年のジェーンの来日公演では、アンコールで歌った「La gadoue」で、観客たちがわーっと舞台下に詰めかけて、オーチャードホールがダンスホールになった、あの光景をずっと憶えている。

素晴らしいミュージシャンたちとの素晴らしいパフォーマンス、それだけに集約されない、そこから零れ落ちるすべてに胸打たれた。会場を包んだあの空気、きょうの景色もずっとわすれない。

せっかくなので曲名を記録しておく。

REQUIEM POUR UN CON 馬鹿者のためのレクイエム
TOMBEE DES NUES トンベ・デ・ニュ
DI DOO DAH ディ・ドゥ・ダー
EN RIRE DE PEUR D’ETRE OBLIGÉE D’EN PLEURER おびえた笑顔
MARILOU SOUS LA NEIGE 雪の下のマリルー
AMOUR DES FEINTES いつわりの恋
LE COUTEAU DANS LE PLAY プレイ・ナイフ
BALLADE DE JOHNNY JANE ジョニー・ジェーンのバラード
CON C’EST CON CES CONSEQUENCES さよならは早すぎる
CLASSEE X X型クラセックス
CES PETITS RIENS ささいなこと
UNE CHOSE ENTRE AUTRES 別離の歌
COMIC STRIP コミック・ストリップ(ヴァイオリニストの金子飛鳥さんとのデュエット!)
LES AMOURS PERDUES 失いし恋
JANE B ジェーンB. 私という女
MON AMOUR BAISER キスのテクニック
AH MELODY アー!メロディー
FUIR LE BONHEUR DE PEUR QU’IL NE SE SAUVE 虹の彼方
HAINE POUR AIME 愛のイニシャル
BABY ALONE IN BABYLONE バビロンの妖精
LES DESSOUS CHICS シック
La Javanaise ラ・ジャヴァネーズ
La gadoue ぬかるみ

もしかしたら抜けがあるかもしれないけれど、プログラムの記載とわたしの記憶をもとに。

Saturday, March 30

今朝の空気は冷たくて、ヨーロッパの12月の朝の空気のようだ。極寒になる少し前の、まだ寒さがいくらか心地よく感じるこの気温と湿度。とはいえ12月のヨーロッパはもちろんとても寒く、12月のワルシャワのサスキ公園で、衛兵の交代式を見物するのに帽子をわすれてしまったわたしはほんとに耳がちぎれるほど寒い思いをして、寒さにふるえるわたしが写真に写っている。

『図書』(岩波書店)4月号を読みながら京王線に揺られて、世田谷文学館へ『帰ってきた寺山修司』を観に行く。今回の展示は主に寺山修司が中学生のときに制作した学級新聞や高校時代に主宰した同人誌、大学時代に綴った手紙など、青春時代に彼がじぶんの手でもって生み出した資料を中心にまとめられている。『新潮日本文学アルバム 56 寺山修司』はわたしの中高時代の愛読書のひとつで、これは資料と写真でひとりの作家の一生の仕事を追った文学アルバムなので、当然、学生時代の答案用紙やプロになってからの直筆原稿、台本、脚本、絵コンテ、そして一生を通じて発信された厖大な書簡! が豊富に掲載されている。この一冊によって、ランボー、コクトー、スタンダール、ボートレール、サルトル、アンドレ・ジッド、バシュラール、シラー、エリュアール、フィリップ・スーポーなどの人名や作品がわたしの脳内に深く刻みつけられたともいえる。青春時代に身近な人々にしたためた手紙に、寺山がこれらの人名や作品からの引用、アフォリズムを何度も何度も書きつけていたからだ。今回の展示はこの新潮の文学アルバムには掲載されていない書簡もたくさん公開されていて、感極まりながら会場をぐるぐる5〜6周もしてしまった。

寺山修司は人が好きだったんだろうなあと思う。全国の高校生に向かって同人誌をつくろうと呼びかけて仲間を募ったり、日々の活動を記したニュースレターやビデオレターを制作したり、劇団を立ち上げたり、現代に生きていたらもうSNSにまみれて暮らしていただろう。でもそれでいて寺山修司は日記というものを軽蔑していたようだ。「内省することばには何も意味もない。ことばはすべてひとに向けて発せられねばならない」と。それに賛同するかどうかはともかく、彼は人との仲立ちとしての言葉の力を信じてやまなかった。

それにしても新潮文学アルバムに「生涯、整理魔・メモ魔・ファイル魔だった(が、蒐集魔ではなかったという)」とあるように、これだけのメモやノートを残したというのは “記録” という面からも興味が尽きないひとだ。

夜は五反田のフランクリン・アベニューで食事。初めてマッシュルームチーズバーガーを食べ、初めてイタリアのミネラルウォーター(ガス入り)、サンペレグリノを飲んだ。思っていたよりもずっと美味しかった。帰宅後、湯船に浸かりながら『ボードレール詩集』(堀口大学訳、新潮文庫)を読む。そういえば5月には岩波文庫から堀口大学訳の『月下の一群』が出るらしい。

Sunday, March 31

『UP』(東京大学出版会)4月号を読む。恒例のアンケート特集「東大教師が新入生にすすめる本」は東大新入生でなくともためになるセレクト。

1998年の3月31日はとても熱くて、屋外に仲間といたときに、男子たちが次々にシャツを脱いでTシャツ一枚になっていった姿を鮮やかに思い出す。それにひきかえきょうはなんて寒い3月末日だろう!