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Friday, June 22

私は、何日も何日もパリのあちこちを歩き回り、ル・ノートルの手がけた様々な庭園を探索し、ダンカークからニースまでの海辺の風景からトゥルーズ、ヴェズレーとめぐる巡礼の道の撮影をした。ある時はチャウセイ諸島の上にゆっくりとのぼる満月を追跡し、ある時はオーヴィエを襲う稲妻の嵐を追い、古い墓場でひとり墓石につまずいたり、モンサンミシェルの教会堂の尖塔が、流れる雲に落とす影をとらえようとしたりした。またカレーのレース工場や、プロバンスの塩田、ピカルディの採石場、ヴォージュ山脈のユダヤ人強制収容所の撮影をした。フランスを写すことは、一生かけても終わらない仕事である。(『IN FRANCE』、マイケル・ケンナ/著・撮影、RAM)

パリ上空、太陽がくっきり顔を出して天候は良好。きょうは一日モン=サン・ミシェル観光だ。今回の旅では2つ、ツアーオプションに乗っかってみたが、概要しかわからず特に問い合わせもしなかったので、参加するツアーが日本人向けなのか何なのか何もわからない。早朝、集合場所のギャラリー・ラファイエット前で出発を待っていたらあとからあとからわらわらと日本人が集まってきて、どうやら日本人向けツアーだと合点する。やってきたツアーガイドの方は社会科の先生のような日本人男性で、一気に遠足のような様相を呈しはじめ、日本を発って以来、当然のごとく常にアウェイ感を味わってきたのだからきょうくらいは戦闘態勢を緩めてもいいじゃないかと暢気な気分になった。

バスに乗り込むと社会科の先生が休む暇なくパリの歴史、建築、美術、自然、風土などについて次から次へと説明を繰り広げてくれて、まさに遠足風情なのだけれど、とにかくものすごく豊富な知識をお持ちの方で話にぐいぐい引き込まれ、すっかり物知りになった気分。いい気分。いい旅夢気分。

バスはパリを北上し、西へ西へとノルマンディー地方を行く。いまのところおおむね太陽が顔を出しているものの、地上から手を伸ばせば届きそうな低い低い雲が波のように大地を覆っていて、バスの移動とともに雲も移動する。つまり雲の流れがすごく早く、天気が晴れたり曇ったり、分単位で刻々と変わっていく。社会科の先生は要所要所でキャッチーな名フレーズを連発しながら、ノルマンディーの天候が変わりやすい理由も教えてくれたので、もうその理由はわすれまい。道路沿いに咲く黄色い花はエニシダで、多くは海岸線に群生し、この先ポルトガルまでずっと咲いているらしいことも教わる。遠目に樹々を観察すると、背の高い木に宿り木がたくさん寄生しているのが見えた。宿り木がすごく好きなので興奮しながら宿り木を数えていたら、先生がすかさず宿り木についての歴史を教示し始めた。ベルギーの列車の中から車窓を眺めているときにも感じたけれど、いわゆるブッシュというか、こんもりとした茂みを目にするとあの中に身体ごとすっぽりと埋もれたくなる衝動にかられる。幼い頃、背の低い木のしたに身体を横たえ、土の温かみを感じたり草の匂いを吸い込んだりした記憶があるからだろうか。

途中でノルマンディー地方の美しい村に立ち寄った。ものの数分で端から端まで歩けるような小さな村だけれど、立派な教会がある。教会の裏手に鮮やかなピンク色をした紫陽花が咲いている。パッチワークキルトのような壁をした民家。その先に小川が流れる。小さな黄色い花が咲き乱れる。白亜の色をした小さな映画館では『メン・イン・ブラック 3』がかかっていた。この村の“美しさ”は信用できる。

モン=サン・ミシェル地方は天気予報でずっと、きょうは雨だといわれていた。しかし、現地に着いてみれば爽やかな晴天で欣喜雀躍。名物の巨大なオムレツは東京でも食べられるとの事前情報を得ていたのでもうひとつの名物といわれる羊の肉(プレサレというらしい)のステーキをシードルとともにいただいてから修道院の頂上をめざす。さぞかし辛かろうと予想していた修道院の階段は意外にもすいすいとのぼれてしまい、あっという間に頂上のテラスに着いた。ここから見えるのは平坦な草地と遠くの村、空、雲、砂浜、海のみで、思わず「世界の涯を見た」という言葉が口をついて出た。涯ではないのに。

潮の干満を見たいのなら宿泊すべきだろうが、そこまで優雅なプランではないので後ろ髪をひかれながらモン=サン・ミシェルをあとにした。修道院からの眺望が忘れがたいのは間違いないけれど、もしかするといちばん感激したのは遠くに小さくモン=サン・ミシェルが姿を現した瞬間だったかもしれない。

帰りのバスではみな早々にカーテンをひいてしまって眠っていたけれど、なんてもったいない。遠ざかるモン=サン・ミシェルを背景に草をはむ羊の大群に圧倒されたり宿り木を数えていたりしていたらまったく眠くならない。パリに戻って、先生がおすすめしてくれた美味しいレストランで夕食。8等分にカットしたトマトに2種類のソース(バルサミコ酢をきかせたソースと、もうひとつは不明)をなみなみとかけ、長ねぎとブラックオリーブをちらした前菜が非常に美味しく、量も多く、これだけでほぼ満腹。主菜はサーモンのムニエルにこれでもかとマッシュポテトをつけ合わせたもの。お店を出て、赤ワインにふらつく脚で夜道を歩きながらエッフェル塔のことを考えた。明日はパリ最終日、もし雨が降ってしまったら青空に屹立するエッフェル塔はもう見られない。

Saturday, June 23

お天道様、お見捨てなく! 私はまだまだこれから、どこまでも遠く旅を続けるか知れないのです。(『下駄で歩いた巴里』、 林芙美子/著、立松和平/編、岩波文庫)

パリ観光最終日。晴天。午前8時にトロカデロ駅で下車してくるりと踵をかえすと、水彩画のような雲たなびく青空を背景に大きなエッフェル塔と対峙した。もう呆気ないほどに、理想のかたちで見れた。やっと安心できた。

松浦寿輝の『エッフェル塔試論』(ちくま学芸文庫)に記された「エッフェル塔は見る塔であり見られる塔でもあるのだが、本源的には何よりもまず昇る塔なのだ。それは、上昇という名の運動体験そのものを意味する「記号」なのである。昇ることを通じて、われわれには初めてエッフェル塔の本質に参与することが可能となるだろう」という一節を反芻しながら、本当は昇りたいけれど3時間待ちなんて無理無理、というわたしにはエッフェル塔のまわりでエッフェル塔にカメラを向ける人々を皮肉たっぷりにカメラでとらえたマーティン・パーの『Paris』という写真集が誂え向きなのだろうと思うものの、この『エッフェル塔試論』を読むことでエッフェル塔に対する知識と知覚を深化させ、この石造りの“白い街”に、黒々とした鉄材で組み立てられ、かつ“羽根のように軽い”印象を与えるシンボルが存在することの“異様さ”を発見できたのだから、やはりこの一冊は今回の旅のわたしの課題図書としてふさわしかったはずだ。

ケ・ブランリー美術館の外観を見学してからシャン・ド・マルス公園から旧陸軍士官学校、アンヴァリッド、ロダン美術館をまわり、モンパルナス墓地でセルジュ・ゲンズブールのお墓参り。写真では何度も目にしてきたこのお墓の、周囲からの完全なる浮きっぷりを現地で確認した。そういえばこの墓地からすぐそばにあるダゲール通りで、アニエス・ヴァルダは『アニエスの浜辺』(2008年、フランス)のロケを行なっている。通りに浜辺の砂を敷き詰め、机や椅子を並べてじぶんのオフィスを再現した、あの印象的なシーンだ。ちなみにこの映画のオープニングはベルギーのブリュッセルからほど近い浜辺で撮影されたというが、ブリュッセル自体は内陸にある街だし、そもそもベルギーなんて狭いから“ほど近い”といったら北海に面した浜辺しかないだろうけれど、果たしてどこだったのだろうか。リュクサンブール公園に向かい、やっと回転しているメリーゴーランドを見て、ベンチに座ってひどく美味しいアイスクリームを食べた。リュクサンブール公園のメリーゴーランドはオペラ座を設計したシャルル・ガルニエの手によるものとのこと。パリの中心地に戻り、ギャラリー・ラファイエットでお土産と食品を買い込みホテルに帰ってしばし休憩。夜、セーヌ川のディナークルーズ。茜色の空が完全に群青の闇に包まれた午後11時、接岸した船を降りてきらきら輝くエッフェル塔を仰いでパリ観光を締めくくる。フランスでは結局、一度も傘をさすことなく、全日晴天を達成。お天道様に感謝。

Sunday, June 24

ひとつの町が感受性をどんなふうに育てるか、ジュリアン・グラックの“ひとつの町のかたち”は、面白い本だったね。いろいろあるけど、グラックがいっていること、きままに自由に町を歩き回る「遊歩」よりも、歩く場所や時間が自分の自由にならない「歩行」のほうが町からの働きかけが多い、にはサイドラインを引いてしまった。これは、いわゆるツーリズムを根本からひっくり返すような考え方だ。(「クラコフのゆうぐれ」、佐伯誠/著、『翼の王国』2005年8月号、ANA)

旅に心残りはつきものだ。今回は、たしか第9区にあるという「リノ・ヴァンチュラ広場」に行けなかったことが悔やまれる。個人的にはジャン=ピエール・メルヴィル監督『影の軍隊』(1969年、フランス)でのシリアスな演技がとりわけ印象的な名俳優、リノ・ヴァンチュラの名を冠した広場があるというのだ。いたって普通の広場らしいが、訪れることに意味がある。

パリのオペラ座そばのバス停とシャルル・ド・ゴール空港を結ぶロワシーバスは、午前6時という早朝の時間が幸いしたのか乗り込んだパスの運転手がスピード狂だったためか、普通に行っても1時間はかかるといわれていたこの道程をわずか30分足らずで走り抜けた。ここまできたらもうさっさと成田に直帰したいのだけれどそうもいかず、いったんオランダのスキポール空港を経由して成田までふたたび約11時間のフライト。

レストランでもカフェでも飛行機の機内でも、食べ物を注文するとき、目の前に実物を出されたなかからえらぶ、という行為をわたしは偏愛している。メニューに書かれた文字を示すのではなく、実物からえらびたい。たとえばたくさんの種類のケーキがあってそれをえらぶなら、ショーケースのなかから「あれください」と指さしたい。ケーキののったトレーを目の前に出されて「これを」と言いたい。それで、それをそのまま直接渡されたい。KLM航空の機内では、乗務員がミネラルウォーター、オレンジジュース、烏龍茶などを注いだコップをお盆にのせてまわってくるのをじぶんでえらんでとる。たくさんパンの入ったケースを差し出されるのでなかから好きなのをとる。たくさんのなかから自分でえらびとる、ということを実際の動作として行なうのが好きだ。ほかの乗客の、顔は見えずとも手と腕が伸びて、パンをひとつつまんでとっていく、その様子が愛おしい。
冒頭に掲げたエピグラフはわたしの敬愛する文筆家によるものだが、このたびの旅は行き帰りの往復航空券、ブリュッセルからパリへ至る鉄道、宿泊するホテルの予約手配以外はすべてフリーのプランにして、ガイドが同行するツアー客でほぼ埋め尽くされていたモン=サン・ミシェルですらガイドなしの完全フリー観光だったため、好き勝手に各地を歩き回り「遊歩」を実践したが、果たして。日本に帰ったら『ひとつの町のかたち』(書肆心水)を読み返すことにしよう。次の旅に出発するまでの課題図書をこの一冊に決める。

Monday, June 25

帰国。帰りの飛行機で一睡もしていないため、帰宅してから少し仮眠をとる。夕飯にはカレーライスを食べビールを飲んで、一気にザ・日常に戻る。生活とは、日常とは、生きるとは、何とも呆気ない。