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Saturday, June 16

本を読んでいてすっかり没頭し、そこが部屋だろうが駅のベンチだろうが電車のなかだろうが、物音も他人の存在もないもののようになり、というより本を読んでいる自分自身が、そこにいていないものになる、という経験は、おそらく誰にでもあるはずだし、たしかに幸福で、えも言われない。/でも、本を読んでいる自分が、からっぽの箱のような肉体として、その場所に現実に実在している(読んでいるあいだも)、ということが、あのえも言われない幸福の状態の、半分くらいはになっている。ここと、ここではない場所と、の二つに同時に存在している、という状態が大事なのだ。/本に没頭していて日が暮れたことに気づかず、気がつくとひどく薄暗い部屋のなかで活字を追っていた、というとき、私は自分が長時間そこにいなかったことに気づくのではなくて、自分が長時間そこにいたことに気づく。(中略)/読むことはよく旅にたとえられる。その比喩もわからなくはないのだけれど、私はむしろ、ここに居続けること、の方に似ていると思う。いまでこそ旅も好きになったけれど、子供のころは旅なんか好きじゃなかった。でも、本を読むことは好きだった。旅に出ると、私は旅先に行ってしまう。あたりまえだけれど。旅先に行ってしまえば、そのあいだはここにいられない。(「ここに居続けること」、江國香織/著、『yom yom』vol.1、新潮社)

「本を読むことは旅をすることに似ている」というフレーズが嫌いだ。最初にこれを目にしたのはいつだったか、とっくにわすれてしまったけれど、最初から何ともいえない違和感があったし、あまりに手垢のついた言いまわしで、この言葉を発する人がすっかり思考停止状態になってしまっているように思えてうんざりしていた。上に掲げた江國香織の文章は、そんなわたしのいくらか狷介な心持ちを治癒した。そしてようやく、この名文に出会ってからはじめての、長い旅に出ることになった。

旅のもっともわくわくするポイントのひとつに、空港に到着した瞬間がある。出国ゲートの先は理屈の上ではすでに日本国外で、空港は“ここ”と“あそこ”の境い目、さきごろあった松浦寿輝の東京大学退官記念講演での“波打ち際”という言葉がおのずと思い出され、飛行機の、次から次へと飛び立っていく様子、整備員に丹念に機体を洗われるさまも旅の興奮を誘う。チケットの発券、荷物の預け入れ、出国審査にセキュリティチェック、そうした実際の動作も、出張や旅行でしばしば異国に飛ぶ身ではないためすっかり勝手がわからなくなっている。

今回搭乗するKLM航空はデザインが可愛いためとても楽しみにしていた。水色のロゴに王冠のマークが好ましい。乗り継ぎのアムステルダム・スキポール空港までは約11時間。同じ場所に同じ姿勢で11時間! わかってはいるけど冷静に考えれば正気の沙汰ではない、と長時間じっとしているのが得意でないわたしは切に思う。お楽しみの機内食は、夕食は和食をえらんだ。着陸まであと2時間足らずという時刻にでた朝食は洋食のみ。いずれも献立のバランスがよく、とても美味しい。わたしは飛行機で眠ることができないので、食後も灯りをつけて『エッフェル塔試論』(松浦寿輝/著、ちくま学芸文庫)を読んでいた。この本が今回の旅の課題図書だ。そういえば大竹昭子の本に『旅ではなぜかよく眠り』(新潮社)というのがあったが、どういう内容だったか。

機長のアナウンスによるとアムステルダムは雨とのことだったけれど、着いてみたらからっと晴れていた。乗り継ぎのために小さなバスに乗ってゲートからゲートへ移動……するのかと思いきや、バスを降りたらタラップがかけられた小型機が目の前に。離陸前の飛行機のまわりは当然ものすごい風が吹いているため、いちばん最後にバスを降りたわたしは順番を待つたった数分でも寒風に曝され、寒くてたまらない。後ろをふりむくともう一機、きれいに磨かれた、同じタイプの小型機があった。機体には“KLM Cityhopper”と書かれている。小型機の名称だろうか? grasshopper=バッタみたいで可愛いらしい! と思いつつ、こんなにも間近に、無防備な状態で機体を見られたことに感激した(後日調べたらKLM Cityhopperはヨーロッパ内の国際線を運航するKLM航空の子会社のことだった)。ちなみに“タラップ”はオランダ語らしい。

ここからブリュッセルまではわずか45分ほどのフライト。飛行機が離陸して高度を上げるにしたがって、見えてくる見えてくるオランダの田園風景。湖が、河が、水路が、やっと訪れた夕暮れのオレンジの光に染まりながらきらきらとひそやかに光っている。地の涯まで伸びて、霞んで消える水のリボン。これがオランダ、どこまでも平らで起伏のない湿地が続く土地。しばらくすると絹のような雲があらわれ、その雲を透かして地上に目をこらしているあいだにも次々と雲がたなびいては去っていく。

毎回オランダは素晴らしい光景を見せてくれる。数年前の旅行でスキポール空港から飛び立ったときは季節は冬、夕刻、完全なる暗闇のなか運河に浮かぶ船が眩い光をはなっていた。けれどそのときはその光の印象に終始してしまったため、今度こそオランダの地形を感じたかった。機内で出されたお菓子とジュースもそこそこに、こらえきれずに時折り小さく感嘆の声をあげつつ、短い距離を飛ぶときにはそれほど高度を上げないのだろう、規則正しく並んだ家々や、おそらく羊の群れである豆粒のような白い塊やこんもりした樹木、と地面の様子がはっきりわかる45分の低空飛行に惚けた。

じぶんにとって大切な、この絶景を見れたことで今回の旅の目的の半分は満たしてしまったようなものだ。エネルギーもだいぶ奪われた。明日からのことをまともに書きとめられるか、はなはだ不安になる。

Sunday, June 17

いま私がここにいるのは、決して自分にわかっている理由からだけではないらしい。ラ・カンブルのくぼ地の上で、私はそんなふうに考えていました。そうだここだった、と思った時、私にとってブリュッセルが単なるブリュッセルではなくなったのだ、と言っていいかと思います。ここがどこであっても、そんなことはどうでもいいではないか。いずれにしろ私は、いるべきところにいるにちがいない。おだやかな気持でそう思い、これから降りてゆこうとしているくぼ地の学校を眺めておりました。(『モロッコ革の本』、栃折久美子/著、筑摩書房)

朝食はホテルの食堂で、クロワッサン、チーズ、ハム、サラミ、ベーコン、スクランブルエッグ、オレンジジュース、珈琲。旅先ではいつも朝食を食べ過ぎてしまう。うすいジャケットをはおらないと肌寒いけれど太陽の光は冴えていて、陽射しに目を細めながら颯爽と街に出る。高層ビルが立ち並ぶこのあたりはオフィス街らしく、すれ違う人もほとんどいない。同様にブリュッセル北駅も地元の人がぱらぱらといるくらいでわりあい閑散としている。ここから国鉄に乗ってアントワープまで北上する。この行程は人生二度目だけれど、切符の買い方も改札の仕方も当然何も覚えていないわたしの記憶は役立たずで、四苦八苦しながらなんとか切符を手に入れ列車に乗り込んだ。

アントワープまでは約40分。車窓の景色に見惚れてしまう。ブリュッセル北駅を出てしばらくはまさに高級住宅地! といった趣で、区画された舗道には煉瓦造りの端正な一戸建てが並び、多くの家で、ふつうは居間に置くようなソファとテーブルをそっくりそのまま庭に置いていたのを見て感心したのだけれど、突然の雨に降られたらどうするのだろう? プール付きの家もいくつか見かけてため息を漏らす。

アントワープ中央駅はW・G・ゼーバルトの小説『アウステルリッツ』(鈴木仁子/訳、白水社)の冒頭に登場する場所として有名だろう。プラットフォームから石造りの建物(思わず近寄って見入ってしまう精巧な彫刻が配されている)を抜けると現れるエントランスホールで天井を見上げれば、ガラスと鉄でできた見事な天蓋の下にじぶんがいることがわかる。駅舎という概念をはるかに超えた、重厚で美しい駅舎をしばし堪能し、毎日この駅を利用する人々の群れを思った。

アントワープの街はポレポレ逍遥するのにちょうどよい広さだ。駅を西側に出て、目抜き通りを道なりに進めば中心地となる広場、グローテ・マルクトのすぐそばに建つ、ノートルダム大聖堂が見えてくる。広場にそびえる市庁舎には前と同じようにそれぞれの窓に各国の旗が飾られていて重々しくもポップな雰囲気でなんとなく親しみをおぼえる。市庁舎前には「ブラボーの噴水」もあり、ああ、ここはアントワープ。とほっと胸をなでおろしたあとにそわそわと広場を見渡す。前回の旅で訪れたカフェはまだあるだろうか? もしまだあるなら、ランチはそこでと決めてきた。お店は無事、変わらずあった。ランチの前にシュヘルド川と、川沿いにそびえるステーン城を散策。岡本太郎は1920年代の終わりにベルギーを旅したときのことをつぎのように記している。

「独りで異国の町をさまよっている淋しさに耐えられなくなって、日本郵船の欧州航路の終点であるアントワープ港に、もしかしたら日本船が入っているかもしれないと思って行ってみた。幅広いエスコー河の岸にある波止場には期待した日本船は見られず、二、三の大きな貨物船が、ユニオンジャックや、あまり見なれない国旗をひらめかして碇泊しているだけだった。/景色のよい対岸が眺められる美しい港である。波止場のわきには、中世紀の城塞がそびえていて、港の船舶などと面白い対照を見せている。(中略)夕靄がたちこめて、薄く紅をとかしたような雰囲気の中で、ステーンの古城の尖塔が濃藍の影像を浮き上がらせていた」(『芸術と青春』、知恵の森文庫)。エスコー河はフランス語でシュヘルド川のことだし、ステーンの古城ってステーン城のことだろうし、ここに出てくるアントワープ港は目と鼻の先にあるのだ。

数分歩いて、モード美術館(MoMu)にて「LIVING FASHION Women’s Daily Wear 1750-1950」を鑑賞。館内では服飾系の学生たちがデッサンしたり、熱心に学芸員の話を聴いたり。外国の美術館に行くと、小学生くらいの年齢の子どもたちだと床に座って絵を眺めていて、その姿はいつ見ても可愛いなあと思うが、きょうは年齢層が上であるためそうした風景は見られない。モード美術館のとなりにある書店は「コピーライト」といって、デザイナーのヴェロニク・ブランキーノやユルギ・ペルスーンがよく行く、と1999年の『Figaro』に書いてあったのを事前に読んできたので、ミーハーなわたしはその書店を見られただけでも満足なのだけれど、なんとそのショーウィンドウにはハンマースホイの展覧会の図録が飾られていたので驚いた。しかし本日、お店は閉店。ちなみにその『Figaro』では、ドリス・ヴァン・ノッテンを特集したページで「ドリスが長い間アントワープを代表するデザイナーと言われていたのは、彼がこの街に生まれて、育ったからというだけではない。中世の街並みも大聖堂の鐘の音も、何だかすべてドリス好みのように見えるからかもしれない」と書かれていて、だからわたしはアントワープが大好きだ。そのドリス・ヴァン・ノッテンの店舗「フット(ヘット)・モードパレス」はモード美術館のすぐそば。でもここも本日はお休み。グローテ・マルクトの例のお店に戻ってお昼ごはん。ベルギーに来たなら何はなくともムール貝! であるが、夕食のお店でムール貝をいただくことになっているのでビーフステーキとベルギー名物のフリッツ(ポテトフライ)を。このお店はガイドブックを数冊見ても載っていたためしがないのだけれど、本当に美味しく、ベルギーだとステーキとフリッツのみということも多いと思うのだけれどちゃんとサラダも添えられているし、何より日本人にとってちょうどいい分量なので、またこの広場に来ることがあったら、わたしはきっとまたここをえらんでしまう。

アントワープ駅の時刻表や標識を見ながら、相変わらずわたしはオランダ語は何もわからないまままたここに来て帰っていくのだなあ、と感慨にふけりつつなごり惜しいアントワープを発ち、今度はブリュッセル中央駅で下車。駅東側を出てモン・デ・ザール(芸術の丘)に到着。名前どおり丘になっているため、幾何学模様に花の植えられた花壇を手前に、その向こうにロワイヤル広場、そしてブリュッセル市街が見渡せる。空にはもちろんマグリットの雲!(わりと雲多め。) モン・デ・ザールの一角にある王立美術館では、イジドール・ヴェルヘイデンの作品を観ることができたのがとても嬉しかった。『昼食』と名付けられたこの絵は、画面のかなり大きな割合をしめる、羽毛のような白い花がたっぷり生けられた花瓶とポット、クッキーののったお皿が白いテーブルクロスの上に並べられ、そのテーブルの隅っこで目を閉じてカップを啜る少女が描かれたもので、黄金の壁紙を背景にした不思議な明るさを持つこの静かな作品がわたしは大好きなのだった。

続けて閉館間近のマルグリット・ミュージアムに駆け込み閉館までじっくりと作品を鑑賞したのち、ブリュッセルの中心部に向かい、ギャルリー・サン・チュベールへと足を踏み入れる。ここはさきほど美術館で観た、イジドール・ヴェルヘイデンの絵に描かれた少女が着ていたワンピースのような淡いサーモンピンクの壁の色がとても印象的なアーケード街で、めざすは“世界一美しい本屋のうちのひとつ”と称される書店、トロピズム。外観はアイボリーの壁にモスグリーンの窓枠が美しく、店内は橙色の照明と、ぐるっと一面に張られた鏡に圧倒される。鏡張りはかつてここがダンスホールとして使われていたからだという。ここでアントワープのショーウィンドウで涙をのんだハンマースホイの画集に再び遭遇、無事、購入を果たした。相変わらず、旅先で荷物が重くなる選択ばかりしている。

夜が近づき、陽の光が西日に変わるにつれてぐんぐん気温も上昇するようで(つまり一日の最高気温が夕方に出ることになる)喉がからからに渇いたため、聖ミッシェル大聖堂の見える小さな公園に向かう途中に水を買うためにアイスクリーム屋に立ち寄る。小さな公園のベンチに着いたら、浮浪者らしき男にからまれて困っている人がいたので笑った。いや、助けた。その男から逃げるようにそのまま街いちばんの広場、グラン・プラスへ。ここはヴィクトル・ユーゴーが「世界で最も美しい広場」、ジャン・コクトーが「豊饒なる劇場」と称賛した名高い場所だ。空には飛行機雲がいくつも走る。広場に面した建造物を眺められる窓際の席で、バゲット、サラダ、ムール貝の白ワイン蒸し、フリッツ、とベルギービール(Hoegaarden White)をいただく。たくさん歩いて食べて飲んで上気したじぶんの肌も、やっと陽が落ちて薄暗くなる広場の景色とともに冷めていく。旅の2日目が終わる。

Monday, June 18

本作品をみると、北海と、北海に特有の大気を描くことを画家が本当に楽しんでいたことがわかる。技法は繊細である。また、キャンヴァスの白色の下塗りが透けてみえることで、強い光の効果が生みだされている。光に満ちた日中の明るさが、シルエットや脱衣室や海に鈍色や白色を用いることで強調されている。一見すると自然な構図だが、私たちの目には、この素晴らしい場所の奥行きや印象が伝わってくる。(フェリシアン・ロップス「浜辺」解説文、「ベルギー王立コレクション ベルギー近代絵画のあゆみ」展図録、読売新聞社)

緊張と疲労の交錯した頭と身体で迎える3日目の朝。きょうは今回のベルギー旅行では唯一、初めて訪れる海沿いの土地、オステンドを訪ねる予定なので、出発前なんとしてでも晴れてほしいと願っていた。ところが明け方明るかった空はみるみる暗くなり、出発間際になって雨が降り出した。先行き不安になるもじぶんのことを自他ともに認める晴れ女として自信を持っていたため、そのうちやむだろうと気合いを入れてホテルを出発したものの、非情な空はあっという間の豪雨を傲慢なわたしにつきつけ、雷鳴轟き、暗澹たる空には稲光、洋服はもちろんスニーカーも靴下も、もはや気持ちがよいほどにびしょびしょに濡れ、這々の体でホテルに戻る。この雷雨はいつまで続くのだろうか。きょう一日身動きがとれないかもしれない。もはやこれまでかと放心状態、意気消沈、戦意喪失……脳裏にいくらでも浮かぶネガティブな四文字熟語をぶんぶんと振り払い、気を取り直してスニーカーを窓辺に干してから朝食を食べに出た。言葉少なに朝食を摂っているうちに窓から射し込む明るい光にテーブルの上が温まっていくのに気づく。部屋に戻れば窓辺のスニーカーはほぼ完全に乾いていた! ツンデレ天候にもほどがある。あとの旅程がすべて晴れれば、このエピソードは素晴らしいネタになるはず。

ブルージュを経由した列車は、地図で何度も確認したとおり、北海の海水が流れ込む川に沿って線路の上を走り、この先は港、という完全な終点で止まった。こじんまりした駅舎にはなぜか、到着した人々を迎えるおじいさん、おばあさんでいっぱいで、ブリュッセルやアントワープなどの大きな街では見られない再会を喜ぶ穏やかな光景に心がほぐれる。駅を出ると海はまだ見えないけれどヨットハーバーがあり、葉山マリーナが海からちょっと離れて内陸にある感じかな、などと思う。深い緑滴るレオポルド公園をゆっくり歩き、公園内の池で見かけたシュールな銅像だか石像だかにおののきつつもさすがジェームズ・アンソールの街だと納得し、海岸に到着。初めて地上でヨーロッパの海と向き合った。初めて見る北海。向こうにイギリス大陸が霞んで少しだけ見える。大きな船が港に近づいてくるのが見える。砂浜、なじみのない形のゴミ箱、小型トレーラー、水色の空に浮かぶマグリットの雲、カモメたち、時折り波打ち際を横切っていく数少ない人々。海水に手をさらしたらほどよく冷たかった。わたしの人生にはやはり海が必要だ。それでもまだ、恐ろしい海の力を目の当たりにした体験に対する気持ちと折り合いをつけることは難しい。

極めて少ない事前情報からあたりをつけていたレストランは一軒はあいにくお休み、もう一軒はいくら探しても見つからず、あきらめて適当に入ったお店は大当たりで、きょうもきょうとて夢中でムール貝を頬張り、ビール(Hoegaarden White)を喉に流し込んだ。お腹を満たしているうちに、大勢の地元の人々が避暑に訪れるという、いまはシーズンオフで、どこを見渡してもほどよい人の出で、ここはもう完全にオランダ語の土地だと思うのだけれど当然ながらオランダ語は一切分からず、でもイギリスとの交流が深いせいかある程度英語も通じる、のんびりと寛げるこの街をどんどん好きになっていることを実感した。とはいえかつてはレオポルド1世とその妻、レオポルド2世をはじめ貴族たちが休暇を楽しんだことから、ベルギーでは“海浜のリゾートの女王”という名も持つらしい。

ジェームズ・アンソールの美術館ともいえるジェームス・アンソール・ハウスは海に向かって延びる道の途中にある。受付ではアンソールの絵画に出てきそうなおばさんがキビキビと英語で書かれたパンフレットを渡してくれた。傘やノートなどのアンソールグッズが売られているほか、アンソールが集めた仮面や置物が飾られている1階は、アンソールの両親が営んでいた土産物屋がそのまま復元されているという。3階はアトリエ兼画家の部屋が家具もシャンデリアもそろった状態で再建され、おなじみアンソールのキモくも愛すべき作品が飾られており楽しめるし、部屋番をしていたおじさんは1階のおばさんとはちがってあまりアンソール的な雰囲気を纏っていないタイプで、部屋に入ると「Hello!」部屋を出るときは「Bye! Have a nice day!」と声をかけてくれて気持ちよかったのだけれど、何より気に入ったのは2階にある、スクリーンと、映画館にあるタイプの椅子が2席×2列の4席が据えつけられているミニシアターだった。こんな小さなシアターがある家に住めたらどんなに素敵だろうか。当然、ほかに客はおらず貸し切り状態のそこでは、アンソールがたびたび描いたオステンドの街の仮装行列を撮影した、数分間のモノクロのフィルムがかかっていた。このハウスに一日何人が訪れるのかは知るよしもないけれど、誰もいない部屋でえんえんとあのフィルムがまわり続けているのだと想像するだけでぞくぞくするのだった。

本日後半はいよいよベルギーの旅のファイナル、ブルージュへ。前回訪れたときは、冬、冷たい雨、夕方、持ち時間が2、3時間ほど、という非常に恵まれないシチュエーションだったものの、運河が張りめぐらされ、カリヨンの鐘の音と馬蹄の響きが印象深い、“北のヴェニス” “街全体が美術館”などといわれるこの街の魅力を味わうことができたと考えていたが、今回訪れてみて、この場所の持つ魅力はそれだけでは到底堪能できるものではないと思い知った。樹々の緑が煌めくなか、夏至を迎えようとしているこの時節のブルージュの美しさは筆舌に尽くしがたく、と有り体な表現を自らにすっかり許してしまうほどで、底の浅い己の了見を悔いたのだった。最初に向かった、しんと静まったベギン会修道院では15世紀から変わらない修道服に身を包んだ修道女たちが歩く小径や建物の白壁、空に向かってまっすぐのびる木立が落とす木漏れ日の光景に息をのみ、あとはもうどこを見てもどこを歩いても、この街のクオリティの高さに目眩をおぼえるばかりだった。ブルージュの中心地、マルクト広場にはランドマークともいえる鐘楼があるけれどのぼる余裕がなかったため、次に訪れたらぜひのぼってこの街をパノラマで見てみたい。個人的に思い入れがあるのはアントワープとオステンドだけれど、やはりベルギーでもっともおすすめはブルージュであるなあ、と確信しながら広場にずらりと軒をつらねるカフェのうち特に決め手があったわけでもないカフェに席をとり、飲み納めとしてのベルギービールを2杯(Jupiter、Leffe)あけた。前回の旅で、あまりの時間のなさに半分走りながらこの街をひととおりまわった思い出は、ブリュッセルに向かう列車に乗り遅れたらそのあとの行程がすべてパーになるという綱渡りっぷりで、全速力で走ってブルージュ駅まで戻ってくるという思い出すだけでも疲れるエピソードで締めくくられるが、今回もまた、2杯のベルギービールによって駅のトイレに行くために小走りにならなければならず、わたし、また走ってる。と走りながら思った。

ブリュッセルに戻るために列車に乗り込み、発車を待ちながら窓の外を眺めていると、西日の眩しい駅のホームを、水色の服を着た明るい茶色の巻き毛を持つ女子学生がすたすたと歩いてきて、わたしのちょうど目の前で立ち止まり、真っ赤な鞄から本を取り出して、地面にぺたりと足を投げ出して座った。その一連の動作、そしてその終結としての光景はまるでポール・デルヴォーの絵画のようで、と同時に不思議となぜかエドワード・ホッパーの絵のような雰囲気も漂わせていることに気づき、呆けていたわたしの神経が覚醒された。 明日の朝はタリスでパリに向かうが、出発地点であるブリュッセル南駅まで、スーツケースを転がして向かう交通手段をまだ決めあぐねているのだった。