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Monday, October 10

5時30分起床。ちょっと寝坊。朝、昨日つくれずじまいだった残りのお弁当の品をつくって曲げわっぱにつめ、8時00分出発。道中、スタバでコーヒーを買う。9時20分、新宿御苑着。入園。場所を確保して荷物を拡げて深呼吸。空と木々を見る。園内はまだ閑散としている。木陰に陣取ったため、すこぶる快適な体感温度。雨の後だからかものすごい量の羽蟻が発生している。彼らは定期的にパラパラと地面に落ちてくる。量は比べ物にならないが、ローラ・インガルス『大草原の小さな家』でイナゴの大群が襲来したエピソードを思い出す。お昼までまだちょっとあるので読書タイム。11時、じわじわと人が増え、にぎわいはじめる。11時15分、お弁当タイム。あっという間に食べ終わってしまったのでアイスクリームを買って食べる。12時15分、音楽タイム。うとうとしながら、やわらかい風に頬を撫でられながら。至福、至福、至福至福至福至福至福至福。すでに南中時刻を過ぎ、太陽が頭上から照りつけはじめたため、住み慣れた場所を捨て涼を求めて場所移動。移動した先はさらなる羽蟻の大群が待ち構えていて早々に再び移動。最終定住地では羽蟻被害も低減され、引き続きわたしのいちばん得意なこと(音楽を聴きながらぼーっとする)をする。いくらでもそうしていられる。夏の夕暮れに海で聴くはずだったBooker T. の「Jamaica Song」を聴き、名曲は何処で聴いたって良いものだと再確認。イヤホンの中からも外からも子どもの歓声が聞こえ、高まる多幸感。15時30分、撤収。読んだ本、『東京ピクニッケ』(プロジェ・ド・ランディ、白夜書房) = 読了、『森有正先生のこと』(栃折久美子、筑摩書房) = p. 36まで。食べたもの、鮭のおにぎり、明太子のおにぎり、卵焼き、豚肉と小松菜とピーマンのソテー、南瓜の煮付け、ジャーマンポテト、ハーブ&レモンのソーセージ、グリルしたズッキーニ、ミニトマト、りんご、お茶、アイスクリーム。 聴いたもの、「capriciu sound track 新緑篇・晩夏篇・秋風篇」。空をわたるのを目撃した飛行機、1機。蜻蛉が足にとまった回数、3回。羽蟻を振り払った回数、十数回。以上、ドキュメント・2011年10月10日秋の行楽新宿御苑ピクニック。

いったん帰宅して夕飯ののち再び新宿御苑に向かい、「森の薪能」。狂言『越後聟(えちごむこ)』、能『石橋(しゃっきょう)』。小栗康平監督の『眠る男』を観てからというもの、野外で行なわれる能というものを観たくて、15年越しに願いが叶った。ライトアップされた大木の前に舞台が組まれたのだけど、その大木の、頗る太いひとつの枝が馬の顔に見えて仕方がなく、開演中ずっと、「馬がいる! シャガールの馬がいる!」と思いながら観ていた。シャガールの描く絵のなかの馬(動物):人間の大きさの比率と、今日の木の枝の馬:舞台上の人間の大きさの比率がまったく一緒だったのだ。

Tuesday, October 11

小栗康平『眠る男』(1996年、日本)で印象的なシーンは少なからずあって、終盤、神社で能が演じられる場面がとりわけ記憶に残ったものだけれど、それはそうと、『眠る男』が神保町・岩波ホールで上映されている間、新聞で小栗康平によるエッセイが短期間ながら連載されていて、なかでも「母が切った白もくれんの木」と題された一編は

群馬の生家に大きな白もくれんの木がある。今年で八十を超える母が嫁いだときにはもうあったというから、少なくても六、七十年の上はたつのだろう。子供のころ、この時期になると、私はよくその木に登った。白もくれんの花は風に弱い。擦れてすぐに変色する。早めに切って、親類や知り合いに配るのが私の役目だった。何年か前、母がこの木を中ほどからバッサリとつめてしまった。足腰が痛くて落ち葉が掃けない、近所に悪いというのが理由である。私は腰が抜けるほど驚いた。が、そういう母を一人にしておく私に非があるので、それにしたってと後が続かなかった。大ぶりで肉厚なあの白い花が、春の夜、ぼうーっと浮いて見えたりする光景が私は好きだ。

とはじまる、これといってさほどドラマティックなわけでもない日常のひとこまが綴られたものなのだけど、夜露に湿った白もくれんの花や幼少の頃の小栗監督、その母、それぞれの胸の内、などがおぼろげにわたしの心に描き出されてどことなく好きだった。このエッセイはたしか『見ること、在ること』(平凡社)に収められていたはずだが、小栗さんのほかの著書『哀切と痛切』(平凡社ライブラリー)や『映画を見る眼』(NHK出版)などは自宅の本棚にあるのに『見ること、在ること』はなぜか実家に置いてきてしまっていて、いまわたしは1996年の新聞の切り抜きを見ながらこの白もくれんの話の抜き書きをしているというなかなか稀有な状況となっている。

*今日の一枚  Gontiti Recommends Gontiti/GONTITI

Wednesday, October 12

『音楽の在りて』(萩尾望都、イースト・プレス)読了。

知り合ったはじめ、彼らは意志を伝え合うためにことばを探さねばならなかった。孤独が彼らに多くを語らせたが、語れば語るほど彼らは自分たちがますます別個人であり、隔たりがあるのを感じていった。一方は群れに帰りたがり、一方は離れようとしていた。彼らは思考とことばの差で互いの個性を磨きあげた。それは少しも同じようなものではなかった。心の空白を埋めたい相手、自分の望みを知ってほしい相手、自分の分身でこそ、あってほしい相手、このお互いは、近づくにつれ近づくにつれ、おまえはわたしではなく、わたしは決しておまえではない、ことを知るばかりだった。では、自分の望みはどうなるのだろう? 結局分かち合う相手はいないのか。自分の孤独はどうなるのだろう? 結局ひとりのものなのか。誰に背負ってもらうこともできないのか。それではさらに人を知ることに耐えられない。……が、ではなんのために、ことばがあり、個人があり、出会いがあるのか……。

Thursday, October 13

『青豆とうふ』(安西水丸/和田誠、新潮文庫)を読む。安西水丸といえば絵と文章で綴られた『ぼくの映画あそび』(廣斉堂文庫)は映画について書かれたやわらかな読み物として、いままで読んだなかでベスト3に入るだろう一冊だけれど、ところでときどき、無性に観たくなる映画のmyベスト3はと考えるとジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が間違いなく入ってきて、それは特に理由はなく、なんとなく、なんとなくだ(音楽もとてもいいし)。この本のなかで安西水丸はジャームッシュの映画について3本もふれており、「ぼくは「ストレンジャー・ザン・パラダイス」のなかでクリーヴランドの雪に埋もれた湖を三人で黙って見ているシーンが好きだ」そうだし、『ダウン・バイ・ロー』では「ジョン・ルーリーを見ていて「勝手にしやがれ」のベルモンドを思い出した」そうだし、『パーマネント・バケーション』の主人公アリーは、「「時々、若死にするのも悪かないっておもうのさ。チャーリー・パーカーっぽく白いスリー・ピースを着てね。悪かないだろう?」なんてつぶやいたりしている変な男の子」で、その

アリーはマンハッタンから旅立っていく。船のデッキから、マンハッタンのダウンタウンの風景が見え、船のあとに残る泡の上をカモメが飛ぶ。空がとてもよく晴れていて、それがよけいに頽廃的な気分にさせる。空模様はまったくちがうけれど、その後のジャームッシュ監督のヒット作、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」での三人が、雪の湖を見に行くシーンにも同じような感じがあった。ぼくはこの監督の、何ていうのか、ぽかんとした空っぽの風景が好きだ。

と記され、湖のシーンがよっぽど好きなんだなあと思いつつ、ぽかんとした空っぽの空気というのはまったくもってそうだよなあ、とすっかり共感していい気分になってしまうのだけど、『パーマネント・バケーション』についての頁は

七月の末に五十枚の短編小説を一本書いた。それはマンハッタンのバッテリー・パークのフェリー・ターミナルから、ぼくという男と、主人公の女とがスタッテン島にフェリーボートで渡るシーンから話がはじまる。

という書き出しではじまっていて、この短編小説を、江國香織が河野多惠子、安西水丸、江國香織、佐藤正午、村上龍、平林たい子、アントン・チェーホフといった突破力のある面々の作品を集めて編んだ素晴らしい恋愛小説アンソロジー『ただならぬ午睡』(光文社文庫)で読むことができる。

夜、ロベール・ブレッソン『抵抗』(1956年、フランス)を堪能。この映画にはくだんの「ブレッソン・ギャルズ」は登場しない。

*今日の一枚  Family Songs/児玉奈央と青柳拓次

Saturday, October 15

鎌倉に美味しい懐石料理を食べに行く。今日は雨のためスタバのテラス席はなし。電車のなかで『森有正先生のこと』読了。ついに禁断の書を読んでしまった。昔、初めて『モロッコ革の本』(栃折久美子、集英社文庫)を読んだあとに栃折久美子と森有正のことを知り、この本は“最後の砦”と思って読まずにきたのだった。こういう本は途中で休み休み読まないとぐったり疲れてしまう。心乱されてしまうので。

昼前に雨があがった。鎌倉の海は荒れていた。雲間から光のカーテンが射し込むのが見えた。

Sunday, October 16

朝ごはんのあと、『Love Kitchen 世界のキッチンマニア』(エクスナレッジ)を本棚から取り出してぱらぱら。巻末で伊藤まさこがおすすめのバターナイフとしてデンマークのカイ・ボイスンのバターナイフを紹介している。バターナイフは好きなアイテムで、かつて神楽坂の「La Ronde d’Argile」で購入したバターナイフがとても綺麗で気に入って使っていたのだけど、いつの間にかなくしてしまった。バターナイフは家の外になど持ち出さないし、ものをなくすということがそれほどないわたしなのに、と落ち込んだけれど、今年のはじめに鎌倉にあるいがらしろみのお店「ロミ・ユニ コンフィチュール 」で愛らしいバターナイフを見つけたのでいまはそれを愛用している。

雑用済ませて買いもの行って図書館行って蛍光色のような明るいピンクのバラを買ってお弁当のつくり置きをつくっていたら途中で具合が悪くなってしまい一品しかつくれず。夕ごはんは抜くことに。

夜、体調回復して映画2本。まずはロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』(1950年、フランス)。この映画でのブレッソン・ギャルズは司祭を挑発する少女セラフィータだろうか。このネタひっぱり過ぎでしょうか。そんなことよりやっぱりブレッソンは面白い、ちゃんと観ていこー、本も読もー。続けてビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』(1973年、スペイン)。ビクトル・エリセはきわめて寡作なので怠け者のわたしでも全作品観た! と表明できる監督なのだけど、『エル・スール』は一度映画館で観て、二度目、初見だと勘違いしてまた映画館で観て、三度目、さすがに数々の見知ったシーンが生まれたことに満足しつつDVDかビデオかで観た記憶がある、というかこの映画に対する当初の記憶がなにゆえそんなにあやふやなのか疑問なのだが、わたしはどちらかというと少女の名前を冠した書物なども存在する、一般的にもっとも人気があるとされる『ミツバチのささやき』よりは『エル・スール』のほうがよっぽど好きだった。『ミツバチのささやき』はあまりに磁場としてのアナの存在が強力すぎるように思え、すべてに等しい重さがかけられた『エル・スール』の空気感を好んだ。でも久しぶりに観たらばやはり『ミツバチのささやき』も本当に良いなあ、というところに落ち着いた次第。

*今日の一枚  We Sing. We Dance. We Steal Things/Jason Mraz